清子さんと魔法菓子・3『清子さんとブリーズミント』

 近くの喫茶店に入った二人は、揃って卵サンドとコーヒーを頼んだ。注文が来るまでに、改めて清子きよこは話を切り出した。

「私は、お二人に謝らないといけないといけません」

「それはどうして? 今日は清子さんのおかげで、僕達は本当に助かったと思ってるんだ。むしろお礼がしたいくらいだよ。ありがとう」

 いきなり褒めちぎられて、清子は照れて顔を伏せた。だがすぐに気を取り直して蒼衣あおいに事情を話す。

「たぶん私は……職場体験に登録していた生徒さんではないんです」

 それを聞いた蒼衣は、さして意外といった顔は見せなかった。もしや、ずっと前から見抜いていたのかもしれない。しかし蒼衣は責めることはしなかった。

 むしろ、蒼衣はそんな状況に至るまでの理由を丁寧に尋ねてくれた。おかげで清子も、自分の身に起きている不可思議な現状を落ち着いて説明することができた。

 一通り聞いた蒼衣は、流石に驚いた顔をしていた。

「スマホのことはともかく、この学生証を見る限りだと確かに不思議だね……」

 清子の学生証を眺めながら、蒼衣は何度も首を傾げた。

 世間一般から見ればまだ他人と言うべき間柄に個人情報を見せるのは危険な行為な気もするが、蒼衣を疑う気持ちにはなれなかった。

 結局解決法は見いだせなかったが、蒼衣は学生証を返却しながら話し始めた。

「正直言うと、魔法菓子について知らないって言われた時に、不思議だなって思ったんだ。それにその……何か戸惑ってる雰囲気があったから」

「本当にごめんなさい。何も関係ない人間がしゃしゃり出てしまいました」

 頭を下げようとする清子の額に、蒼衣は指を当てた。

「清子さんは僕達を陥れようとして、仕事を手伝いたいって言ったわけじゃないよね? 力になりたいっていう気持ちは、厨房から見える限りだけどすごく伝わってきていたから。あまり自分を悪く言わないで欲しいな」

 蒼衣は人差し指を口元に当てて、自分を責めようとする清子の言葉を止めさせた。

「ごめん、僕にも正直何が起きているかは見当も付かない。記憶喪失って言うにはいろいろ覚えているみたいだし。あ、スマホの中に写真とかは残ってない? みんなスマホで写真を撮っているのをよく見るから」

「あ、そういえばすっかり忘れていました! 見てみます」

 圏外でも、写真のデータが残っていれば、撮影したものは見ることができる。そんな当たり前のことが頭から抜けていた辺り、やはり自分は記憶喪失ではないかと思えてきた。

 そんな後ろ向きな自己評価は横において、清子は早速写真のデータを開いた。すらすらとスマホを扱う清子を、蒼衣は目を丸くしながら眺めていた。

「ありました。よかった、たくさん残ってたみたいです」

 両親と撮った写真に、友達と旅行に行った写真。見ればどんな時に撮影したか、全て覚えている。

 最初の両親との写真は、初めてスマホを買ってもらった時に撮ったものだ。友達との旅行の写真は、それぞれに思い出があって語り尽くせない。

 こうしてフォトデータをめくっていくうちに、清子は一枚の写真に辿り着いた。確か友人の伊智子の別荘へ行った時の写真である。小金持ちな彼女の家で、ゴールデンウィークによくみんなで泊まりに行っていたのだ。

 映っているのは清子、科子、伊智子、そして伊智子の家で雇っている運転手、砂城だ。

 一人ずつ頭の中で名前をあげていくうちに、この時のことが段々思い出されていく。最近行った遠出の中では確か一番新しいもののはずだ。

「あれ?」

 写真の左端に、清子達から少し距離を離して、伏し目になっている男が一人映っていた。口の端はなんとか笑顔を作ろうとしているが、目線は逸している。笑顔が苦手というのがありありとわかる。

 ボサボサの髪によれたワイシャツ姿という冴えない格好をしているので、使用人ではないだろう。ましてや旅行スタイルの少女三人とも程遠い。

「誰だろう。どうしても、名前が出てきません」

「覚えがないの?」

「はい、けれどなんでだろう、他人っていう感じがしなくて。どうして思い出せないのかな……」

 清子はどこか悲しげにスマホの画面を見つめた。こんな愛想の悪い男がどうして自分達といるのか、清子はいくら頭を捻っても思い出せない。普通なら薄気味悪く思うところだが、清子はこの男を憎めなかった。

 頭を抱える清子を見るに見かねてか、蒼衣は優しく声をかけた。

「とにかく、清子さんの身に起こってることが普通じゃないことはわかった。もしよければ八代やしろとも相談してみようと思うんだけど」

「それは、お仕事の邪魔をしてしまいます」

「気持ちは本当に嬉しいけれど、早めに手を打ったほうがいいと思う。こっちの仕事の心配だったら、今は気にしないで」

 蒼衣の言うことはとても正しかった。勤め先でもない場所の心配をしている場合ではない。

「できることなら、お手伝いだけは最後までさせてください。私から言い出したことなのに、中途半端は嫌なんです」

 清子はつい食い下がってしまった。口に出してしまってから、それが迷惑極まりないことに気づいたが、本音であることも事実だった。

 その気持ちが伝わったのか、はたまた元からそういう気質なのか、蒼衣は嫌な顔一つせずに頷いた。そして、小さく唸ってから冷静に答えた。

「正直、今の清子さんは仕事どころじゃないと思う」

 やんわりとした突っ込みを入れられ、清子はしょんぼりとした。確かに今は、どうでもいい意地を見せるべき時ではないのだ。

 しかしそれを見た蒼衣は、取り繕うように言葉を続ける。

「でも清子さんの気持ちはすごくよくわかるんだ。自分で言い出したことは、最後までやり遂げたいよね」

「蒼衣さん……」

「だけどね、八代には帰ったら真っ先に話は通しておこうと思う。職業体験どころじゃないって判断されたら、残念だけど諦めてもらうことになる」

 これ以上もうワガママを言える立場にはないので、清子はこれ以上あれこれ言わずに、素直に承諾した。自分で決めたことを完遂できない悔しさは残るだろうが、状況が状況だけに仕方がない。

「だけど、できる限り清子さんの味方になって話すつもりだよ。もしかしたら誰かとはぐれただけかもしれないからね」

 と、蒼衣はコーヒーを飲み干し、穏やかに微笑んだ。

 その優しさに、清子はさっきとは違う涙がこみ上げてきそうになった。




 ピロートに戻ると、客足はまだ落ち着いていて、喫茶コーナーで若い女性客が一組談笑している程度になっていた。

 こういうタイミングを狙って、二人は交代で休みを取っているのだと清子は蒼衣から聞いていた。二人だけで店を回しているとは聞いていたが、口で言うよりずっと過酷なのだろう。

 蒼衣は早速、八代に清子から聞いたことを包み隠さず伝えた。了承したことだったが、八代がどういった反応をするか、少し怖くもあった。

 八代は蒼衣と違ってかなり驚いている様子だったが、清子のスマホと学生証を見ると、目を白黒させた。そして腕を組んでしばし唸った後、何かを決め込んだように大きく頷いた。

「ひとまず、最低限の事態は飲み込んだ。ただ悪いんだけど流石に疲れた。まずは休憩に行かせて」

「すいません、私のことで余計な面倒を」

「まあ、その辺りは帰ってから話そう……というわけで、ひとまず店は任せた!」

 そう軽い調子で言い残し、そそくさと八代は出ていってしまった。よほど疲れていたのかと八代を気遣う清子だったが、一方の蒼衣は安心したように微笑んでいた。

「とりあえず、もうしばらくは一緒に働けるね」

 そういえば、八代は清子がここで働き続けることに関して、何も言うことはなかった。一応認められたということなのかもしれない。

 否定されなかったことにホッとしていると、蒼衣が小さくつぶやく。 

「それにしても、相変わらずフットワークが軽いなぁ」

「えっ? どういうことですか?」

「いや、なんでもないよ。さあ、オーナーが帰ってくるまで、何事もないように頑張ろうか」

 心なしか、蒼衣は声を弾ませながら答えたように、清子には聞こえた。




 喫茶コーナーの客が退店し、清子がテーブルを片付けると、店内は蒼衣と清子だけになった。

 こんな美形の男性と二人きりになるんだ、と考えた途端に清子は気恥ずかしくなってきた。

 片付けて店内に戻り、蒼衣の横に立った清子は、なんとなくこの立ち位置が落ち着く気になっていた。

 この店が自分にとって居心地が良いのか、それとも蒼衣という存在に安心感を覚えるのか、理由はわからないが、蒼衣の顔を少し見上げると、なんとなくホッとした。

「どうしたの? もしかして、僕の顔に何かついてる?」

「い、いえいえいえいえいえ! なんでもないです!」

 首を傾げる蒼衣から、清子は全力で顔を逸した。

「もしかして、何か思い出した? なんだか今の清子さん、すごく落ち着いた顔をしてたみたいだから」

「落ち着いた顔、ですか?」

 言われてみると、こうして誰かの顔を見上げていた気がした。その時はもう少しだけ上に目線を向けて。

 そういえば、見上げていた顔は、あの写真に映っていた人のように、どこか気の抜けた愛想のない顔だった気がする。しかし、その横顔がどんなものだったかは浮かんでこない。

「ごめんね、変なこと言っちゃったかもしれない。あんまり気負いすぎないで。少しずつ思い出せばいいんだから、ね?」

「はい……」

 しかし、感傷に浸る前に、客足が徐々に増え始めた。私語を挟む余裕もなくなり、蒼衣は必死に接客、清子は箱作りや袋の用意などに専念する。

 気づけば時刻は帰宅ラッシュの頃合いだった。昼間程ではなくとも、店内は段々と賑やかになっていく。

 やがて、休憩から帰ってきた八代がレジを交代した。

「後で大事な話があるから、意識はしといて。本当ならすぐにでも伝えたいんだけどなぁ」

 とは言っても、多忙さがそれを許してくれないので、八代はすぐに切り替えてオーナーとしての顔に戻る。それからの清子は、レジで接客の手伝いをしたり、厨房に戻った蒼衣から頼まれた補充の商品を運んだり、忙しく動いた。

 客足がようやく落ち着き、少しは余裕が出てきた。しかし、ふと八代がまた顔色を変えた。

「あーまずいな。見られると面倒くさくなるから、しばらく蒼衣の手伝いを頼んだ」

 そう言われ、清子は不思議そうに振り返りながら厨房の方に引っ込んだ。蒼衣も何か察したのか、自分の身体で清子を隠すように移動させる。

 身を隠しつつ店内の様子を伺うと、何やら八代が親しげに話しているのが見えた。相手をそっと確認すると、三人の老婆だった。

「うちの常連さんで、よくお世話になっている人達なんだ」

 旅行帰りのついでに顔を出したという三人は、蒼衣の顔が見たいとせがむが、八代に軽く一蹴されていた。蒼衣は、恐らく清子のことが見つかったら興味本位でいろいろ聞かれて大変だろうから、と身を隠させた理由を教えた。

「そうだ、今のうちに一つ頼み事をしたいんだ」

「はい、私がお力になれることでしたら」

 清子は、件の老婆達に見つからないよう、控えめに胸を張った。

「新商品の候補に考えている、魔法菓子の試食をしてもらいたいんだ。その、チョコミントはいける方?」

「はい、友達に好きな子がいて、よくオススメされます。癖はあるけど美味しいですよね」

 その友人、伊智子の顔が清子の頭に浮かぶ。もう一人の友人にして幼馴染の科子は「ミント味は歯磨きで十分」と切り捨てるので、伊智子とよく論争になっていたことを思い出した。

 返事を聞いた蒼衣は少しホッとしてから、冷蔵庫の中から菓子を一品取り出す。

「これは、チョコミントタルトですか?」

「その通り。だけど使っているミントは魔力含有食材っていって……つまり魔法の力が篭ったミントで作ったんだ」

 魔法菓子の仕組みを清子は知らないが、これがさっき食べさせてもらったものと同じく楽しい仕掛けのあるものだということはわかった。

「うちの客層的に、チョコミントは需要あるんじゃないかって思って。でもいざ手を出してみると想像以上に大変だったんだ。ようやくある程度納得できた一つがこれ」

「とても美味しそうです」

「ありがとう。実はチョコミントの味わい方を理解できる人が周りに少なくて困ってたんだ。八代からは感想を貰ったけど、チョコミント自体はそこまで好きじゃないみたいでね。好きな人の意見をもっとダイレクトに聞いてみたかった」

 早速チョコミントタルトを口にすると、一口食べた瞬間、中からやんわりと涼しいそよ風が吹いた。風はやがて全身を吹き抜けていくような感触と変わっていく。

 清子は驚いて目をパチパチさせたが、チョコミントのさっぱりとした味に加えて、そよ風がさらなる清涼感を生んでいる。

「ブリーズミントって言う食材を使ったんだ。高原が産地で、そこに吹く涼しい風の力を調整しつつ内包しているんだ。それと、食べながら目を瞑ってみて」

「はい。わぁ、すごい」

 言われた通りにした清子は、目を閉じたまま驚きの声をあげた。瞼の裏に、薄っすらとだが高原の風景が映し出されていたのだ。タルト生地に使った材料を利用し、投影できるようにしたのだという。

 まるで高原の真ん中に立ち、その風景を眺めながら魔法菓子を楽しんでいるような感覚だ。空調が程よく効いた室内では堪能しづらいが、これを炎天下の木陰で楽しめたらどれだけ涼しさを感じられるだろうと、清子は食べながら思いを馳せる。

「とても美味しいですし、魔法もとっても面白かったです。夏に向けた商品だとしたら、私はすごく欲しいなって」

「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、八代にはちょっと地味って言われちゃって」

 確かに言われてみれば地味かもしれない。食べた人間は魔法の効果を実感して楽しめるが、さっき食べさせてもらった粒のような派手さには欠ける。

 派手なら良いわけではないそうだが、さりとて地味過ぎるのも考え物だ。魔法菓子はどれか一つに偏りすぎると、逆に安っぽく見えることもあるのだと蒼衣は教えてくれた。

「私はこれ、とっても好きです」

「チョコミント自体、好みが分かれる商品だからね。もっと改良して、なるべく広い人に受け入れられるように頑張ってみようと思う。食べてくれてありがとう」

「こちらこそ、ごちそうさまでした」

 清子は深くお辞儀しながらお礼を返す。目を閉じると、まだ少しだけ高原の風景が残っていた。

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