第7話 リアル鬼ごっこはお預けです


「クぅッ……!」




 熱した鉄でも突っ込まれたと錯覚するほど、身体の中が焼けるように熱い。

 これまで幾度も爺さんや伯母さんにコテンパンにやられたが、流石に殺傷沙汰になるまでやられた覚えはない。せいぜいが骨折程度だ。

 だが今回、横合いから飛んできた矢は俺の脇腹に深々と突き刺さり、腸の中ほどくらいまで届いている。地球なら確実に119番案件だ。



 まぁ最悪この程度なら問題ない・・・・・・・・・・。意地と根性でどうでもなるんだが、問題なのは今が絶賛リアル鬼ごっこの最中であることだ。

 後ろから追いかけてくる狼は確実に俺を食したい模様。だから足を止めたら確実にアウトなんだが、直線的に走っているのに不意打ちでいきなり横から力を加えられたら、そら倒れるしかない。



 脚が絡まり、もつれ込むようにして盛大にコケる。

 体中が油で揚げる前にパン粉をまぶすみたいに砂まみれになっているけど、せめて食われる前はお化粧直してきなことをさせて欲しいなぁと思ったり「グルルゥ……」あ~、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい……!



 俺の目の前に、漆を塗られたような漆黒の毛並みに覆われた丸太みたいに太い脚がズシン、と地面を固く踏みしめる。毛並みを押し上げる筋肉に、数多の獲物を屠ってきたと思える歴戦の鋭爪。薄っすらと付いた赤い液体は、たぶん俺の血だろう。

 次いでスンスンと、湿った何かが俺の首周りに当てられ、獣臭が混じった吐息が俺の髪を揺らす。



 どう見ても、食す前の検分だ。もはや俺は逃げ回る獲物ではなく、寝転がった食べ物にジョブチェンジしたらしい。




「ォ………? ぐ……ッ!」




 「何処のどいつだよこの状況で俺を撃ったバカ野郎は……!」なんて台詞を吐こうと思ったら、思うように口が動かないことに気が付いた。それは口だけではなかった。

 思考はハッキリしているくせに、身体全体が痺れているように全く反応しない。人間は血液が半分くらいなくなったら死ぬというのはどこかで聞いたことがあるが、それでもまだそこまで出血はしていないはずだ。身体が動かなくなることなんてあり得ない。

ってことは他に要因があることになる訳なんだが……と思った辺りで、ハッとある可能性に気が付いた。




───矢に何か仕込みやがったか!!




 ギリギリ動く目を動かして矢が放たれた方向に目を向ける。

 木々の上に見える人影は5人。いずれも上物そうな軽装、整った顔立ち。そして髪から覗く、尖った耳。見間違いなどなく、さっきのエルフどもの仲間。たぶん残った連中だろうが、いずれもニタニタとイラつく笑みを浮かべている。確実にこの状況を愉しんでることから、下手人はあいつらだとすぐに察せた。



ファック、ファック、ファァァァァァックッッ!!!



 が、いくら心中で怨嗟の声をあげようとも状況は最悪のまま。

 むしろ、恨みの籠った視線をあいつらに向ければより一層笑みを深くし、更に視線をキツくすれば一層連中の笑みが深くなるという俺の精神衛生を尽く蹂躙し尽くす最悪な悪循環だ。




「グルルルル……」




 だが、そんなイラつきすらお空の彼方まで吹っ飛ばすような黒い絶望災厄が俺の目の前にいる。

 首の辺りのニオイを嗅いでいた鼻は退けられ、次いで脇腹に刺さった矢に興味が移っている。その表情を察して強いて表現してみるなら、「この突起物何かな~」だろうか。……そのまま抜いてくれるかな?




「グァッ」




 ここに来ての今日一のファインプレィィィィィッ!! 黒狼は恐らく食すのに邪魔だと思ったのだろうか、そのまま矢を咥え込もうと口を開いた。

 どうやら敬虔な信徒である俺の祈りが、どこぞか知らぬ神に届いたらしい。俺無神論者だけど。信徒とは(哲学)



 いいぞ。取りあえずそのまま刺さってる矢を引っこ抜いてくれ。

ここは地球じゃなくて異世界。ファンタジーの宝庫だ。もしかしたら毒じゃなくて、麻痺付与の効果をもつ魔法かもしれない。向こうはエルフ。神話要素が入っているなら魔法の適正は高いはず。なら、十分にその可能性が考えられる。そしたら抜けたら俺は自由になれるだろう。



おっ、そうだ。いいぞ。その調子だ。そのまま口を開いて……そう、ゆっくりだ。そしてその矢を奥まで咥えて込んでそのまま引っこ抜いてくれ……………………あ




「……ガウッ」




お肉そっちじゃな~~~~~~~い!!!



 違う、違うぞヒュドラルカよ。お前はお子様ランチのチャーハンに刺さっている旗を引っこ抜かずにそのまま食べる派なのか!

 断じて、断じてそんなことは認めんぞ! 普通は食す前にを抜くだろう!! 麻痺付与の矢とかだったらそのまま麻痺が取れたかもしれないのに!!



 ああ!! (胴に)硬くて太いモノが入ってる!?


 そんな、そんな(身体の)奥まで!?


 俺、これでも(食べられるのは)初めてなのに!?


 こ、このままでは、このケダモノに食べられちゃう!?




 ……いや、割とマジで痛いんですけど。

 血がドパーって出てるじゃねぇか。これ以上は失血死するんですけど……!?



 なんて思ってたら、ちゃんと矢は引っこ抜いてくれた。

 ……体格の違いから抜き方は結構雑くて内臓のいくらかがゴリゴリ削られたけど、この際ちゃんと抜いてくれたからスルーしよう。俺は寛大な人間なのだ。

 ヒュドラルカは咥えた矢をぺっ、と地面に吐き出し、矢を放った連中を睨んでいる。たぶん、勝手に獲物を傷つけたからイラついているのだろう。自分で仕留めたかった! とありありを目が語っている。意外とコイツは強情なのかもしれない。



 身体は……よし。ちゃんと動くな。

 俺の読み通り、やっぱりあの矢が麻痺付与の魔法が付加された矢だったらしい。

 今のヒュドラルカは俺から意識を外している。このままそろそろと移動すれば、もしかしたら川まで逃げ出せるかもしれない。



 よし、このままゆっくりと匍匐前進だ。一歩、一歩。そろ~りと進んでいく。

 草むらに突っ込んだらたぶん音が出てダメだろうから、まだ音が立ち辛い地面の上を進んでいく。



 そして、そろりそろ~りと進んでいき、チラッとヒュドラルカの様子を窺った。

 相変わらずの真っ黒な巨体。だが心なしか、頭部が後ろに下がり、代わりに胸部がここからでもわかるように膨らんでいる。何かに耐えるように地面を一層強く踏みしめ、脚の筋肉が隆起していた。



 ここから求められることは即ち───



「ちょっ!? いきなりここで息吹ブレスなんてしな───」


『ルオオオオオオォォォォォンッッッ!!!!!!』


「のわああああぁぁぁッッ!!?!」



 ヒュドラルカの放った超至近距離ブレスの風圧に巻き込まれ、俺は軽々と宙を舞って頭から川の中へとダイブした。




 俺はこんなダイブ望んでねぇからな!?











◆◇◆◇











「おいおい、なんでアイツは向こうのヤツを食わないんだよ!?」


「そんなこと知るか! さっさとここから逃げるぞ!!」




 焦りを含んだ汗をものともせず、その場にいた5人は反転して撤退する。

 5人は王族直轄の近衛兵隊長のルクシオから指示を受け、王女誘拐犯・・・・・の下手人を始末する指示を受けていた。運悪くヒュドラルカに目を付けられ、彼らと同時に相手取っていては逃げ切れないと判断し、苦し紛れに攫った王女を返して見逃してもらおうという魂胆だったのかもしれないが、そんなことで彼の罪が帳消しにされたわけではない。

 王族誘拐は、未遂であっても死刑確定の重罪なのだ。彼が許される道理はない。



 彼は近衛兵の一人が放った【麻痺矢パラライズ・アロー】を受け、身体の自由を奪われて地面に這いつくばった。王族を攫った下手人にしては気味の良い末路だと彼らは嘲笑った。何もできず、無力に這いつくばり、彼は最期にヒュドラルカの餌として生を終えるのだ。ざまぁ見ろ、というのが彼らの総意だった。精一杯恨みの籠った目で睨みつけてきたが、結局彼ができるのはそこまでだ。得も言われぬ征服感が彼らを満たしていた。



 だが、結果は覆った。



 まさかあのヒュドラルカが、狩るべき獲物を横取りされたと怒りを露わにするとは誰も思わなかった。彼に刺さった矢を引き抜き、怒りの籠った瞳でこちらを睨んできた段階で、余裕という言葉が彼らの中から霧散した。



 そして僅かに体を仰け反らせた段階で、彼らは撤退に切り替えた。

 下手人をヒュドラルカにぶつけてアイリス王女が逃げ切るまでの時間稼ぎも兼ねていたのだが、状況が変わった。彼らは王女が逃げた方向とは別の方向に、全速力で逃亡した。




『ルオオオオオオォォォォォンッッッ!!!!!!』




 その瞬間、大気を震わせる轟音が背後から圧を纏って押し寄せた。

 身体が震え、鼓膜が悲鳴をあげる。

 木々はその圧に耐え切れず半ばからへし折れ、次々と倒れていく。

 彼らは身体を魔力障壁で覆っているからその程度で済んでいたが、それがなければ一瞬で水風船の如く破裂していたか、一瞬でミンチにでもなっていたことだろう。



 竜種の十八番たる『息吹ブレス』とは異なるものの、ある一定以上の力を持ったモンスターは、身体の奥底から滲み出る畏怖を宿した『咆哮ハウリング』を放つことができる。その『咆哮』は、身体に受けると込められた畏怖に身体が硬直し、少しの間だが行動が制限される。魔力障壁を張れば、実力差によっては完全に遮断することもできるのだが、相手は『災厄』に名を連ねる一体。意地を張って防ぐより、撤退した方が賢明だった。




「急げ、とにかく攪乱して、ヤツの注意を王女に向けないよ───」




 だから、彼らに判断は正しかった。敵対しないことも、撤退することも、全て正しかった。



 だが、彼らは失念していたのだ。



 相手は『災厄』の一体。力の象徴にして理不尽の権化。

 その一体に敵と認識されただけで、彼らの命運はとうに尽きていたのだということを。



 黒が薙ぐ。たったそれだけで、先頭を走っていた部隊長の一人が、忽然と消えた。

 そして遅れて聞こえる、柔らかいナニかが打ち付けられる音。部下の頬に、赤黒く生暖かい液体が付着する。



 視認はしない。だが、それだけで何が起こったか頭では分かってしまった。



「──ッ、散開しろォォッ!!」



 いち早く正気に戻った部下の一人が、すぐさま指示を出す。

 それに応じた他の部下たちも、すぐさま指示に答える。



 だが、これもたった数秒の時間稼ぎにしかならないことを彼らは知っていた。

 一ヶ所に纏まっているよりも、分散した方が全員を狩るのに時間を要する。自分が狩られることがわかっていた上での、決死の判断だ。



 彼らにそうさせるのは、彼らの心に宿った一つの想い故に




───姫様……どうか、ご無事で




 王家直轄近衛兵団 5番隊。そのメンバーの命全てが尽きたのは、これから少し経った時のことだった。

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