第3話 呼ばれた先は……

『トンネルを抜けると、そこは雪国であった』なんて有名な一節があるけど、たぶん今の俺の置かれている状況は、そんな趣深い一節の言葉には到底なり得ない物騒な状況なんだと思う。


だってそうだろう? 今まさに命の危機に瀕しているんだぜ? 笑えないぜ?












『目を開けたら、そこは高度数百m地点だった』なんて、笑うどころか顔が引き攣るぜ?








「ちょっ!? 大自然の中に放り出される系とか聞いてねぇえんですけどぉ!?」








さっきまでのシリアスがぶっ飛んでく勢いの急展開だよ!


ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!


飛ばすならせめて王城とか神殿とかしろよ。いきなり呼び出しておいて大自然の中にポイっ、とか畜生過ぎるだろうが!!






他の奴らも同じ状況かと思ったけど、周りを見渡してもどこにも人影なんて見えなかった。こりゃあ遅れて滑り込んだから誤差が生じたとかそんな感じだろう。


だから先ずは自分の身を護ることが最優先だよなぁ!!






内臓がフワッと浮き上がる感覚が頭にガンガン伝わってくるけどそれを押し込めて打開策を模索する。


伸びた枝を伝いながら勢いを殺して着地?———無理。そこまで器用じゃねぇ。そういうのは忍ぶことに命かけた江戸時代の黒装束どもの仕事だ。俺の領分じゃねぇ。






じゃあどうする。生憎と手持ちはゼロ。知恵絞って工夫しようとしてもそもそも工夫するための道具すらない。モモンガとかムササビよろしく、滑空するための被膜とかも持ち合わせてねぇ。


と、なると……








「やっぱぶつかって勢い止めるしかないですよねェ!!」








すごい原始的な減速方法だけどこのさい無視だ無視。覚悟を決めて眼前の緑に目を向ける。


加速度的に目の前に迫ってくる、どこぞの針山地獄よろしくな針葉樹林っぽい木々の刺々しい葉っぱたちを目に入れないように先ずは腕をクロスして、身体を丸める。


これが、急ごしらえでできる最善の防御だ。






そして、一つ呼吸を置いて襲い掛かってきた、全身を打ち付ける鈍い痛み。


上下がすごい勢いで逆転を繰り返し、所かまわず打ち付けてくる痛みを歯を食いしばりながら必死で堪え、気を飛ばさないように全身全霊をかける。


そして打ち付けられること十数回。一秒ほど浮遊感だけを感じた後に俺の尻に襲いかかってきた強烈な一撃に、思わず苦渋の声が漏れたことでようやく止まった。


俺の尻が二つに割れそうなほどの痛みだったと記述しておこう。






痛ててて、と言いつつよろよろ立ち上がり、服に着いた葉っぱとかを払い落す。


体中に纏わりつく鈍痛は振り払えないのが悔やまれるが、この際気にしない。


頭を振って一息ついたところで、わかりきっていることだが、一応周囲の状況確認。








「う~ん……見事に森だな」








見渡す限りの森、森、森……以上!


只々鬱蒼と木が群生しているだけで、他のクラスメートたちはここにはいないようだ。


彷徨い歩いている人影なんかも見当たらない。鳥の鳴き声も遠くに聞こえるぐらいで、近くには聞こえない。まぁ、針葉樹林がある時点でここはかなり森の奥深くなんだろう。鳥もこんなジメジメしたところで過ごしたくもないのだろうか。


当然、人がいるような気配も———え?








「うおっとぉ!?」








いきなり飛んできた何かを、咄嗟に前転をすることで回避することができた。


あっぶねぇな……。気配読めてなかったら頭に当たってたぞ。


そして何が飛んできたのかを目で捉えて、思わず目を疑った。






矢だ。鉄の矢じりが付いた木製の矢が、さっきまで俺の頭があった位置に突き刺さっていた。


……事故にしては、どうしても殺意がありすぎる。


ついーっと、矢が飛んできた方向を見れば……木の上に尖った耳を持ったイケメンフェイスな——エルフの男がいた。手に持った弓、何か知らないけど怒り狂った表情。もしかしなくてもアイツが下手人か。






しかし原因は何だ。俺はおまえに対して何もした覚えはないぞ?


ここに飛ばされて一日も経過していないのに、騒動を起こす暇なんてあったもんじゃない。


むしろ騒動に巻き込まれた被害者的なポジションにいるはずだ。


だから、俺とお前の誤解は解けると思っているんだよ。


うん、きっと俺たちは仲良くなれるはずだ








「……あ~、ハロー? いい天気だね。よければその弓下してくれない?」




「————ッ!」




「人の話聞けよ!?」








前言撤回。やっぱ無理だった。返答はその矢だった、とか間違っても笑えねぇよ。


そのまま身を翻すようにして、矢を放ってきたヤツから全力で逃げ出した。


言った瞬間に額の血管が浮き上がったのだからよほど確執があるのだろう。


あくまでそれも“一方的な”、だけどな!






ヒュン、ヒュン、ヒュン、って飛んでくる矢を必死に避けながら全力疾走。


この追い立てられる感、流れていく景色。今の俺は過去最速の速さで駆け抜けているのではなかろうか、と思えるほどに身体がよく動く。今はそれがありがたい


いつも通りだったら今頃、全身串刺しだろうしな。








「っていうか、エルフってこんな物騒な連中なのかよっ!? 普通こういう時って仲間ポジションになるんじゃないのか!?」








叫んだところで状況は好転しないけど叫ばずにはいられない。


少しでも希望的観測を持った俺が馬鹿みたいじゃねぇか。こんな危険な種族なら対話する前に逃げ出してるわ!!


今でさえヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!! って音しながら矢を撃ってきてるし、殺意に溢れすぎだろ! 好感度が最初からマイナスに振り切れてるよ、親の仇みたいな形相してるよ。面と向かって話し合いしようとしたら開けた口に矢が突き刺さってるよ。


そんな連中に仲良くしようぜ、なんて———ん?








「なんか増えてませんかねぇ!?」








ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!!なんて聞いたときから違和感あったけど、振り向いたら知らない間に数が増えてたよ。今じゃ十人以上いるじゃねぇか……!


そんな奴らが全員矢を番えてる……って!?








「おま、ちょっ!? 一人相手に殺意湧きすぎだろおおおおおっ!?」








一斉に放たれた矢から逃げ切るために全力で走る。結構これでもギア上げてるんだぞ? これ以上上げたら明日には筋肉痛不可避だぞ。


大森林の中を大声をあげながら走る、奔はしる、疾走はしる。


今朝も、転移される前は大声あげながら走ってはいたが、あれは自分を鼓舞するためのものだ。だが今は悲痛な叫び声をあげながら走っている。この違いは意外と重要だ。


なにせ、俺に余裕がないことを意味してるんだからな!








「まぁ、なんにせよ。今は何とか逃げ切ることだけを考え————」








唐突に途切れる言葉。


そこから先が、俺の口から告げられることはなかった。


気が付けば俺は宙を舞い、赤い飛沫が飛んでいる上を見上げていたからだ。


下から上へかち上げられる浮遊感。


何が起こったのかすら分からなかった。前方に走っていた最中だというのに、いきなり真横に吹っ飛ぶなんて訳が分からなかった。


爆発音とかもしなかったし、魔法で吹き飛ばされたとかそんなでもないのだろう






じゃあ、何で俺は吹き飛ばされてる?






その湧き上がる純粋な疑問に押されるように、俺は吹き飛ばされた場所を見た。








「グルルルル……」








そこには、『黒』がいた


夜の蚊帳よりもなお深い、際立った『黒』がそこにいた。


滴る唾液。口元から覗く鋭い犬歯。丸太のように太く、純黒の体毛の上からでもわかる岩の様にゴツゴツした腕。そして黒い身体の中で一際輝く、一対の黄金の瞳






絶望を体現したかのような巨大な狼が、そこにいた。






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