第2話プロローグⅡ



「ちっくしょー!! 二度寝しちまったァ!!」




現在の季節は冬真っ盛りな2月の中旬。

そんな寒空の下で、大声を張り上げて道路を疾走する一人の男……俺だよ。



昨日はアレだよ、早く帰って寝るか、とか思ってたよ。実際早く寝たよ。日付変わる前にはちゃんと寝たよ。

だが、俺は失念していたのだ。この季節には日々格闘しなければならない強敵がいるのだということを……!

そう、そやつは己の体内に諸人を抱き込み、得も言われぬ魔性の魅力で誘惑し、心の弱い者を堕落の道へと誘う凶悪な存在だ。

なるべく避けねばならない存在。だが、そいつは必ず俺たちを己の内側に引き込むことができるのだ。

始めは「俺は味方だぞ」と言って俺たちを誘い込み、そしてその体内で快楽に似た幸福感を俺たちに享受し、そのまま永久に俺たちを虜にしようと画策する狡猾な輩なのだ。

俺たちはそんな強敵と毎日、仁義なき戦いを繰り広げている



だが今日、俺は遂にそいつに敗れた。

言い訳のしようがない、惨敗と言える凄惨たる結果だ。

そのツケを、俺は今身を以て痛感している。



そう、俺を堕落の道へと誘った、そやつの名は───




『人をダメにする布団 DX』




正月のお年玉をはたいてまでして買った──否、買ってしまった一品。

正月セール中のショッピングセンターでそいつ目にした瞬間、俺は雷を受けたような衝撃に襲われ、そしてハッと気が付いた時には既に購入した後だった。

もはやその時から、ヤツは魔性の色気を漂わせていたようだ。

クソ、思えばあの時から、俺は既にヤツの術中に嵌っていたというのか……ッ!



それからというもの、俺とヤツの戦いの日々が始まった。

その戦いはまさに激戦。苛烈を極めた戦いの末、いつもは辛くも勝利をもぎ取っていたのだが、昨夜は冬一番の寒波という後ろ風に吹かれたヤツが勝ってしまったのだ。



「あの布団めェ……この一勝が貴様の最後の勝利だと知れ!!」



真冬の寒さが肌を焼き付ける中、俺は恨み言をあげながら制服姿で全力疾走していた。

何個かボタンを掛け違えている気がしなくもないが、今はそれに構っている暇はない。

なにせ、起きたのは8時10分。今の時刻は8時21分。出席確認の時間は8時30分。ここから学校まで走って最速10分。……間に合わねェな!!



「しかしなァ……ギリギリ遅刻してもあの担任なら許してくれるんだよ」



俺の土下座スキルを舐めるなよ。あの鬼教官とか言われてる体育科の鬼頭先生すら唸らせるほどのスキルの高さだ。

並大抵の相手は俺の洗練された土下座の前に怒りを収めてくれるのだ。

……あれ、誇っていいのかな、これ?



そしてそうこうしている内に、時刻は8時29分。

時間的にはかなりヤバい。だが、そこの角を曲がれば……校門まで1分と掛からない!

俺の勝利だ!




「コラァ、木戸ォッ!! 予冷鳴ってるからもう遅刻だぞ!! 神妙にしろォ!!」




しかしそこに立ちはだかる、身長180cm越えの偉丈夫。

いつものツナギに、陽光照り返すスキンヘッド。加えて、トレードマークの立派な顎髭を携えた用務員の戸部さんが、声を張り上げて叫んだ。その形相、まさに今日こそ年貢の納め時だ、とでも言いたそうだな。

だが、俺は、それでも諦めない!




「押し通ぉぉおる!!」


「来いやぁァァァ!!」




ノリがいいことに定評のある戸部さんがそう切り返す。

俺のネタに鬼気迫る形相で応えてくれるその心意気……正直痺れるぜ!



真冬の路上に対峙する、男子高校生と髭ズラの偉丈夫。

こちらは無手だが、向こうは生徒の取り締まり用のコーンバーを手にしている。

間合いの違いで言えば、戦力差は絶望的。俺が突撃する頃には、既にアレの間合いに入っているはずだ。

しかし、俺は別に戸部さんを倒さなければならない訳ではない。やるべきは、本鈴前に教室に飛び込むこと。なら、俺は目の前の障害を……乗り越える・・・・・だけだ!




「むんッ!!」




接敵のその瞬間。戸部さんはその振り上げた長物を全身の筋肉を使って振り抜き、大気を薙ぐ音を伴って俺に襲い掛かった。

狙いは足元。それが意味するところはつまり、俺の体勢を崩すことが目的なのだろう。



しかしその程度の攻撃。あの爺さんの一撃に比べれば余りにも稚拙!!




「ほいっとぉっ!!」




全身の筋肉を使って跳躍。日々扱かれた俺の肉体を以てすれば、1mの跳躍など朝飯前だ。

全身のバネを利用して跳び上がったところを、脚を屈めてさらに高く跳んだように見せる。

今の俺は地上から1.2m程を浮遊している状態だ。

その空白地帯を長物が軽い風圧を発しながら過ぎ去っていくが、俺にとってもはやそれは脅威でもなんでもない。



ふと、視線が交錯する。

見つめ合ったのは一瞬。だが、それだけで、戸部さんが何を言わんとするかがわかった。

この戦いだって、今日が初めてではない。幾度も、幾十回とも繰り返した戦いの記憶。

それだけ積み重ねてきた過去が繋ぐ、俺と戸部さんの絆が、視線だけで意思の疎通を可能とする!



───次は……卸す



あんたぜってぇ堅気じゃねぇだろ、そう思った俺は悪くないはずだ

俺は悔し気にこう垂れる戸部さんを一瞥して、校舎へと突撃していった。



あ、本鈴も鳴り出しちゃってるゥ!?











◆◇◆◇











静謐な空間に相反するような、豪華絢爛な装飾が所狭しと施された空間。

しかし相反するそれらが両立されることで、その空間には異様な物々しさが漂っていた。



その場にいるのは、純白の正装に身を包んだ、金色の髪を持った美しき十代の少女。

憂いを孕んだその瞳には翡翠色が宿り、佇まいからは年相応の可憐さと、不相応の妖艶さが醸し出されていた。

そして彼女を守るかのように、重厚な金属鎧に身を包んだ兵士たちが彼女のすぐ後ろに微動だにせず佇んでいた。その隊列に、乱れはない。

幾十人収容しようと余りある広々とした空間には純紅の絨毯が敷詰められているが、女性の目の前、部屋の中心部には何かを配置するためか、円形にぽっかりと空いた空間があり、奥からは石畳が顔を覗かせていた。




「では、始めましょう」




鈴の音が鳴るような、透き通った声が紡がれた。

一歩。少女が踏み出し、手に持つ小瓶から赤い液体を滴らせた。

すると、部屋の中の空気が一変。荒々しい魔力の奔流が部屋の中に吹き荒れた。



そして、空白地帯に眩い光が線を形どり、線と線が紡がれ、幾何学模様を創り出し、巨大な魔方陣が浮かび上がった。

それは王家秘蔵の魔法───『勇者召喚』

300年前、魔王により世界が滅亡の危機に瀕した時に王家が使用した超位魔法。

異世界より神の祝福を得た者たちを呼び寄せる魔法だ。



300年間、アレンウッド王国が使うことなく代々後世に受け継いできた魔法だが、今再び魔王が蘇り、人類の危機に瀕しているというのならば、これを使うのに躊躇いはなかった。

既に大国も含め、幾つもの国々が地図から姿を消している今、一刻も猶予もなかった。




「神よ……矮小なる我らの願いを、どうかお聞き届けください」




祈りにも願いにも似た少女の独白を皮切りに、祝詞があげられていく



『勇者召喚』は、今まさに成し遂げられようとしていた。その対象は───











◆◇◆◇











厳かな鈴の音が鳴り響く中、俺は再び全力疾走していた

脳裏に焼き付いたこの音。幼少期より何十回、何百回、何千回と聞き、心に刻みつけられたこの音を聞くたびに、人は必ず何かが始まる、もしくは期限が迫っていると心のどこかで思うのだ。

そう、それは、俺も例外ではない




「コラァ!! 廊下を走るなぁっ!!」


「歩いてたら遅刻しちゃいますよ先生ェ!!」


「遅刻しないように来んか!!」




ごもっともで。まさにぐぅのねも出ない正論とはこの事だな

階段ですれ違った先生の言葉にそんなことを思った。



チャイムが鳴り始めたのと同時に俺は校内突っ込んだから、鳴り終わりまで25秒。

その間に、校舎入口から3階の一番奥の教室まで行かなければならないが、さほど障害という訳ではない。階段なんて3段飛ばしでいけば10秒もかからず3階に辿り着く。

ハッハー! もしかしたら遅刻せずに済むんじゃねぇかな!




「よっしゃ、まだ間に合う……!」




予想通り、10秒以内には3階に辿り着いたみたいだ。

チャイムの音楽からして、このまま突っ切れば問題なく教室に辿り着けるだろう



そんなことを思いつつ、俺は正面を向いた。捉えるのは、最奥にある教室。

そこから、ステージを照らすスポットライトのような、眩い光が漏れていることに気が付いた。当然、今日は文化祭の準備とかそんな行事とかはないし、ましてやスポットライトを持ち出すような馬鹿な遊びをするやつはいないだろう。

そこから導き出される答えは───





『異世界転移』





「チィィッッ───!!」




気が付けば、俺は荷物を投げ捨てて地面を蹴っていた。

心臓の鼓動が嫌なほどに早まる。1秒も経っていないというのに、もう背中が冷や汗でびっしょりになっている。背中に氷柱を突っ込まれたというのはこんな感覚なんだろう



ふざけるな、ふざけるな! ふざけるなぁっ!



その教室には仲間がいるんだぞ、いつも俺とバカ騒ぎする友達がいるんだぞ! いつもバカ騒ぎした俺を咎める、腐れ縁の親友もいるんだぞ!

そんな大切なものを、勝手に俺から奪っていくんじゃねぇよっ!!




「間に、合えぇぇぇェェ!!」




最後のひと踏ん張りで、地面を勢いよく蹴り、教室前に辿り着いた。

そして一際大きく光った瞬間に、俺も教室のドアを蹴破って中に飛び込んだ

ドアを蹴破って入った俺が見えたのは、ほぼ消えかけの状態のクラスメートたち。多分もう、転移される寸前なんだろう。

その中で唯一顔を判別できたクラスメートと視線が合う。

そいつは俺と視線を合わせた途端、安堵を浮かべていた。そこにどんな理由があったのかはわからねぇ。けど、今にも泣きそうで、だけど嬉しそうにはにかんだその顔を最後に視界に捉え、俺の視界は完全に光に覆われた。











◆◇◆◇










寒空の下。道場の縁側に座って茶を啜る一人の老人がいた。

年齢に似合わぬ逞しさを滲ませる老人の名は、木戸 孝重。この道場の師範代である




───おやおや、遂に彼も呼ばれたか。孫を連れ去らせた気持ちはどうだい?



「ふん。あやつなら、どのような理不尽だろうと自分の力で跳ね返すだろうて」



───ふ~ん。随分と、信頼しているんだね



「当然だ。なにせ、そういう風に育てたのだからな」




彼の周りには誰もいない。その光景を見ようものなら、きっと年齢故に呆けたのだろうと誰もが思うだろうが、しかし彼に会話を返す存在は、確かにいた




「お前の方こそ、ワシの孫を心配しているように見えるが?」



───ふふふっ。ボクにとっても、ずっと見守ってきた彼には愛着が湧くんだよ



「ずっと共に居るワシには、欠片も愛着を抱いていないようだが?」



───そりゃあ、ボクを“こんな状態”にした君に愛着を持てなんて、土台無理な話だろう?



「ハッハッハ! 違いない」



───笑いごとじゃないんだけど!?




大笑いをする老人に、子供のような幼さを感じられる声が悲痛な叫び声をあげた。




───5年前に障壁を破られた時から、こんなことになるんじゃないかと覚悟は決めていたけどね。……そろそろ君も、維持が限界に来てるんじゃないかな?



「そうさな……役目を終えるのも、そろそろ考えねばならんな。だがそれは、孫が返ってきてから、だな」



───……はぁ、そこは譲らないみたいだね



「おうともさ」




それを境に、会話は途切れた。

からっ風が吹く長閑な風景を一望した彼は、ふいに空へと視線を向けた。



そこにあるのは、澄み切った青空だけ。

だが彼は、その青空のさらに向こう。今、孫がいるであろう別の世界に向けて、思いを馳せていた。

その彼が何を思っているのか、それを知る者は、ここにはいない



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