第49話

 咳き込むと肺から上がってきた血が床に赤い模様を描いた。

「つむぎ!」

 動けるようになったことでつづりちゃんがすっ飛んできて治癒魔法をかけてくれる。

 かなでと委員長も復帰したようで血をペッと吐き出したり、顔を拭いながら僕らを庇うように前に進み出てくれた。

「ナイスでーす、むぎさん」

「私としたことが、油断したな」

 目に入りそうな血を袖で拭いながら、委員長がいつものように指示を出す。僕は妙な高揚感を覚えながらそれをぼんやりと見ていた。

「私とかなでで時間を稼ぐ、その間に傷を癒せ」

「了解」

 こちらに視線を戻したつづりちゃんは、僕のぽやんとした表情に気がついたのか怪訝そうな顔で眉を顰める。

「つむぎ?」

 呼びかけにハッと意識を戻す。その時、僕はとんでもない事態に気がついた。


 かなでに渡した分の魔力が元通りまで――いや、それよりも何倍にも膨らんでいる! すでに限界値ギリギリだ。絶えずどこからか注ぎ込まれているように無限のエネルギーが僕の中に入り込んでくる。


「ひっ、な、なんで!? どこから!? つづりちゃんちょっと貰って!」

「うっ!? ちょ、やめっ、アタシそんなにタンク容量大きくないんだからっ」

 だってこのままじゃ僕、魔力があふれて内側から爆発しちゃうよ!

「うおっ!?」

 立ち上がった僕は後ろから委員長の腕に飛びついて魔力を押し付ける。右手を繋いだままだったつづりちゃんもかなでを捕まえて、魔力を左から右へ流しているようだ。

「ば、馬鹿な、なぜ……っ!?」

 気付けば僕たちは四人、横並びで手を繋いだ状態で内側から白く輝き出していた。

 結んだ手を通してみんなの気持ちが伝わってくる。絶対に負けられない思いと、何をするべきかの疎通。

 ピタリと重ね合わせたように、僕たちは『その魔法』を詠唱し始めた。


 響き奏でる旋律と、紡ぎ綴る言葉たち。


「七つの言ノ葉紡ぎだす、調べ奏でる銀の風」

「二つの調べ奏でゆく、言ノ葉紡いで金の糸」

「終止符打つのは汝の咎か」

「始まり告げるは我らの声」


 これは創作のチカラだ。お話の中に生まれた僕たちが、これから先の世界を掴み取るための、未来への魔法。


 クリエイターの猛攻が迫り来るのだけど、無意識下で張った僕の防御魔法がそれらを全て打ち砕く。

「なぜぇ!? なぜだぁ! 私の創造したきゃらくたぁガなぜ反抗すルぅ!? 思い通りにならなイィ!?」

 うろたえたような声が響く中、スッと目を開けた僕らは創造主をまっすぐに見据えた。


「アタシたちは生きてるからよ!」

「一人ひとりが考えて、感情があって、明日を生きるために今日を生きている!」

「ストーリーを演じるだけのキャラはもう居ないぞっ」


 ねぇクリエイター

 僕らの創造主

 もう大丈夫だよ、僕たちは道しるべあらすじが無くたって歩いていける


 理屈や評価なんかに縛られないで、そのまぶたの裏に映る世界はあの時のまま続いているはずだから


(だから、ねぇ)


 僕は力いっぱい笑った。


「思い出してよ! キミが描きたかったモノガタリを!」


 その言葉に、影は一瞬だけ泣き出しそうに顔を歪ませた。

 あぁ、今ならわかる。君はずっと――解放されたかったんだ。


「ニュー・クリア!」


***


 仰向けで倒れ、時折ケイレンしたようにビクビクと身体を震わせるクリエイターを、僕らは少し離れた位置から見守っていた。

「赦、ユル、ユルサナイ、ワタシハ、私ノ、使命ハ」

 ……こんな状態でまだ戦意喪失してないだなんて。

 グググと身体を起こそうとするクリエイターを見ていたかなでが静かな声で言う。

「あの目に埋め込んだ赤い球が本体なのは間違いないね。壊すまで何度でも挑みかかってくると思うよ」

 その言葉に、僕はグッと拳を握り込む。


 世界を滅ぼそうとした奴だ。

 殺るしか、ないのか。

 でも……


 ところがその時、つづりちゃんの魔具がポーンと音を立てた。取り出した彼女の手の中で柔らかい声が流れ出す。

「悪意のあるプログラムを検出しました。駆除を開始します」

「!?」

 ドンっとつづりちゃんがよろめくほどの勢いで白い光が飛び出す。光は倒れていたクリエイターに取り付いたかと思うとその身体を見る間に溶かし始めた。

「アアアアアアアアアアAAAAAAAAA!!!」

「10……20……40……」

「なに!? なんなのよ!」

「マザー?」

 委員長の言葉に応える声は感情の起伏を一切感じさせなかった。

「タスクをようやく実行できました。巧妙に隠れていたクリエイターを引きずり出して頂き感謝いたします」

「アアアアアッッッ!! 消エ、消エル!? 話を書かなイと 私ハ 譖ク縺咲カ壹¢縺ェ縺代l縺ー」

「70……80……90」

 その壮絶な光景を僕らはただひきつりながら見守るしかできない。

 クリエイターは埋め込んだ赤い球から涙を流し、何かを追い求めるかのように宙に手をさまよわせた。

「なぜだ、私は、ただ、みなが望む、話、を」

 その時一瞬だけ、フロアの壁にホログラムが投影された。大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが楽しそうに笑っている映像だった。

「アァ、また、皆の笑顔ガ、見たイ――」

「100% 処理を完了しました」

 無機質な声と共に、色を失った赤い本体が床にカロンと転がる。世界を操る黒幕の、悲しいほどあっけない最期だった。

「……」

「……」

「……」

 誰も何も言えない中、スッと動いたかなでは落ちていた球を拾い上げた。

「ここの人たちも、最初は楽しいお話を望んでいたんだろう。でも次第にそれじゃ満足できなくなっていって、過激で残酷な話を求めるように……」

「クリエイターは、みんなが望む話を作ろうとしていただけだったのかな」

 最後に見た映像が目に焼き付いて離れない。

 これで良かったのかな。


***


 それからフロアの中をよく探索した僕らは、さらに上層へと移動する装置を発見した。

 みんなでその円形の板に乗るとスーッと上へ浮き上がり、天上が開いていく。

「わ……」

 それまで無機質な黒い空間に居たので、突然流れ込んできた夕陽色が鮮やか過ぎて思わず目を覆う。

 少しずつ視界を開けると、そこはもう大樹の頂上だった。自然な形で幹が開けて人が歩きまわれるステージのようになっている。

 世界のてっぺんで、僕らはどこまでも広がる茜色の夕焼け世界を声もなくただ見つめていた。それはたとえようもなく美しく、自分が何の目的でここまで来たかも一瞬忘れてしまうくらい圧倒的な光景だった。

 あぁ、この感情を言葉にするには僕の人生経験は乏しすぎる。たとえ何百、何千、何万文字並べたとしてもこの光景を表現することはできないだろう。だから記憶に焼き付ける。目の前に広がる景色を忘れないために。


「ねぇ、あれ」

 ようやく感動の渦に少し慣れてきた頃、つづりちゃんがある箇所を指す。視線を移すと少し離れた位置にキジョウ遺跡で見たのと同じ形のデスクが置かれていた。

 ただし今回その上に乗っているのは原稿用紙ではなく、見覚えのある空色の本だった。僕の……この世界のモノガタリだ。

 よく見ると机には色々な配線がくっついており、今もその装置は生きてるのか脈々と光が走っては大樹へと吸い込まれていく。僕は静かに近寄るとその本を机から引き剥がしにかかった。

「この装置はもう要らないね」

 ブチブチと本に接続されていた配線を引き抜いていくと、ヴゥンと微かな音を立てて光は消えていった。

 本の表紙を見つめていた僕は、かなでから羽根ペンを借りてタイトルに二重線を引く。そして少しだけ笑って本を机の端に置いた。

「置いていくのか?」

 委員長の言葉に振り返って頷く。ボロボロのみんなは僕と同じように笑っていた。


「もう僕たちはこの本の中の住人じゃないから」


***


 世界が終わることなく夜を迎えたのを見届けてから、僕らは降りることにした。だけど昇降板に乗ろうとした所でかなでがふと足を止める。

「どうしたの?」

「……」

 長い前髪の下に見える表情は少しだけ険しいもので、口の前に手を当てて考える仕草をしている。しばらくして顔を上げたかと思うと僕の背中をポンと押した。

「ちょっとだけ忘れ物。つむぎ達は先に下で待ってて」

「?」

 なんだろうと思いつつも、かなでを除いた三人でクリエイターと戦ったフロアで待つ。その間「そういえば」とつづりちゃんの魔具をみんなで覗き込んだけど、もうマザーコンピューターはいくら話し掛けても応答してくれなかった。

「おまたせー」

 さほど時間を置かずにかなでが降りてくる。何をしていたのかと聞いてみても、寂しそうに笑う彼はゆるりと首を振るだけだった。


 こうして僕らの永い永い一日は、ようやく終わりを告げたのだった。

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