第38話

「あのねぇ、キミのことなんかもうお見通しなんだから。何年の付き合いだと思ってんの」

 本当に長い付き合いだったんだ。

 どの回でも、どの記憶でも。僕の隣にはキミが居た。

「いまさら無かったことにするには、僕とキミは積み上げた物が多すぎる」

「……」

「もっと単刀直入に言おうか。寂しいからいやだ。キミが居てくれなくちゃダメなんだ」

 ようやく顔をあげた彼は、唇を震わせながら蚊の鳴くような声で言った。

「許されるのか? こんなオレでも、お前の世界で生きていけると」

「うん」

「共に生きていけると……物語りを紡いでいけると!」

「大丈夫だよ」

 少しだけ笑った僕は、手を差し伸べる。

「だから一緒に帰ろう、かなで」

「っ……つむぎ!!」

 助け起こそうとした手は逆に引き寄せられ、気づけば息が詰まるほど強く抱きしめられていた。


 世界が動き出す。風がザザァと吹いて薄紅色の花びらを巻き込みながら流れ始めた。


「……!」

 一度動き始めた世界は、その姿をどんどん変貌させていった。涼しげだった空は不気味なほど美しい夕焼けに染まり、風がだんだんと強く冷たくなっていく。

「早く脱出しないとまずい」

「どういうこと?」

 そう聞くとかなでは体をこわばらせながら言った。

「この世界はオレの為に用意された世界なんだ、それをオレが否定したもんだから壊れ始めてるんだと思う……」

 そうこうしてる間にも、少しずつ空間が剥がれ落ちる。あとには真っ暗な闇が残されるばかりで背すじを冷たいものが走った。

「こっちだ!」

「わっ」

 手を引かれ走り出す。ジャブジャブという音もおかしな具合に反響し始めていた。

「オレがつむぎの世界にいく時に使った泉がある。そこからなら帰れるかもしれない」

 闇の落とし穴をなんとかよけつつ黒い森のふもとにたどり着く。うっそうと茂る森を駆け抜けると唐突に美しい泉があらわれた。

「ここが……」

 透き通った水が湧き出る泉は、さきほどの浅瀬に流れ込んでいるようだ。

「ここに飛び込めば、もしかしたら」

「ちょっと待って! 戻るのはいいけどもうリセットされた後の世界になってるんだよ。キミがいない百一回目……」

 どうするのかと思っていると、かなではどこからか一冊の本を取り出した。空色の表紙に白銀の文字で読めないタイトルが書かれている。

「一度は破り捨てたんだ。だけどどうしても捨てられなかった」

 そしてポケットから丸めてグシャグシャになった紙切れを取り出す。

 かなでがそれを泉にそっと浮かべると、透明だった水は空色に光り始めた。

「ロードしなおす。少しムリやりな展開になるけど今さら構うものか」

 そのふちに立ちゴクリと息を呑む。

 その時、かなでが持っていた空色の本がすぅっと溶けるように消え去った。

「本が……」

「とうとう作者代理クビみたいだな」

 どこか不敵な笑みを浮かべた彼は肩をすくめてみせた。

「もうこの話にプロットなんて要らないんだ。あとはもう坂道を転がり落ちるように進んで行くだけ。それをあの『影』はわかっていないらしい」

 僕の話はどこに向かうのだろう。定められたあらすじに抗えるのだろうか。

「……キミ言ったよね、最後までそばに居てくれるって」

「つむぎが望む限り。オレは側に居るよ」

 しっかりと手をつないだ僕らは、ひとつうなずいて泉に飛び込んだ。


***


 とぷんと泡のきらめく水に飛び込むと、視界がめまぐるしく変化した。


 最初は透明だった水が、沈むごとに暗くなっていく。かと思うと赤黒くなったり真っ白になったりする。


 せまい穴をムリヤリ潜り抜けているよな圧迫感が苦しい。早く出して、ここから早く!


 何度も意識が遠のきそうになる。この管はどこまで続いてるんだろう……


(この子は――どんな世界を見るのかしら)


 突然どこからか聞こえた懐かしい声にぼんやりとまたたく。誰……?


(どんな世界だとしても、たくさん素敵な出来事に会えると良いね)

(ふふっ、そうね。だからこの名前にしたの?)


 おと さん……おかあ、さん?


(この子が自分だけの話を紡いでいけるように)

(たくさんの人たちとの出会いを紡げるように)


(つむぎ――僕たちの大切な子供)


 真っ赤な世界の向こうに光が見えたような気がして目を見開く。

 そうか、この道は……この管は!


***


 ゴツン!


「――ッ!!」

 突然、頭に強烈な痛みが走り、声なき悲鳴をあげる。見ればすぐ近くで同じように頭を押さえたかなでが悶絶していた。

「ひどい……オレのやわらかオツムがつむぎの石頭に勝てるわけない……」

「誰が石頭だっ、それにキミのはやわらかとかじゃなくて『ゆるい』――」

 そこまで言ってハッとした。ここは

「戻ってきたの?」

 辺りを見回すと、そこは大聖堂だった。影も王子も居なくなっていたけど、確かにあのガラス張りの正面とステンドグラスが美しい空間だ。

「待って待って待って、いま僕すっごい混乱してる。時系列的には今どの辺り? ちゃんとあの瞬間に戻って来られたの?」

「大丈夫だと思うよー、ほらオレの血がまだこんなに生々しい」

「ひぃっ!!」

 床におびただしく広がる赤い海に悲鳴をあげる。それに指をつっこんでケラケラ笑う様子に呆れてしまう。楽しそうだけどそれ自分の血だよ?

 改めてその姿を確認してふっと苦笑をうかべる。いつもどおりの幼なじみがそこにいる。それだけのことなのにすごく安堵してる自分が居た。


 大丈夫、さっきの百一回目はきっと夢だから。


「……っていうかすっかりキャラ戻ってるし」

「でしょでしょー、オレ完全復活!」

 ウザいポーズを決めるかなでにため息をついて、苦笑しながらその手を引っ張り上げる。

「おかえり」

「ただいま」

 立ち上がった僕は辺りを見回す。不気味に静かな大聖堂は人っ子一人居なくて居心地の悪い物を感じてしまう。

「『影』はどういう動きに出ると思う? まだこの世界が続いてるってことは少しは安心していいのかな?」

「そこなんだよな……一度は諦めたオレが結局巻き戻しただろ? 怒り狂っててもおかしくはないと思うんだけど」

 パッと花でも咲くように両手を広げたかなではこう続けた。

「それとも、もしかして頑張ったオレへのご褒美で存在を認めてくれたとかぁ?」

 タイミングを見計らったかのように、どこか遠いところで爆発音が響く。ズズ……ンと地面が細かく揺れてパラパラと天井から埃が落ちてきた。

「『ねーよ』、だって」

「うん、すまんかった」

 状況がつかめない。僕たちがしなきゃいけないことは――

「と、とりあえず学校に戻ろうよ!」

「つむぎどっから来たんだよ? 転移装置は?」

「来た途端に消えちゃったってばーっ!」

 ここからレークサイドまで行くには、乗り合い馬車でも半日はかかってしまう。夜明けも近いっていうのに!!

「なんかこう、パパッと一瞬で移動できる道具とかないの?」

 いつも変な発明をしてるからダメ元で聞いてみたら、あっさり頷かれた。

「あるある。人間の分子をバラバラにして転移先で再構築するようなのが」

「あるの!? っていうかなんでそんな物騒なもん作ってんの!?」

「ただしまだ実験段階で、下手すると半分だけしか送れなかったりするんだよねー、上半身だけ移動しても出来ることって限られてくるっしょ?」

「怖いわ!」

「あー、でも寮に置いて来ちゃった」

「使わないから! あと帰ったら絶対に家宅捜索するから!!」

「ジョーダンだよ、さすがにそんなオーバーテクノロジーは無理」

「冗談言ってる場合かぁっ!」

 くだらない言い合いをしながら走っていると、どこか遠くの方でキュォォンと鳴く声が聞こえた。聞き覚えのある音に僕らは顔を見合わせる。

「今のって」

「きっとそうだよ!」

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