第34話

 冷水を浴びせられたかのように冷や汗が吹き出る。なんで、僕こんなに、動揺して

『やハり、記憶の奥底では覚えておられるヨうですね』

「え……?」

『感じたコトはアりませんでしたか? 似たような光景、言動を』

 ウサギの真っ赤な目がひたと僕を見据える。その中に映るのは笑っちゃうくらい青ざめた僕の顔。


『この世界は一人の男の手によってループしてイルのです』


 じっとりとした手から何かがすべり落ちる。カシャンと軽い音がしてランタンを落としたのだとわかる。ウサギはお構いなしに淡々と続けた。

『つむぎ様ハ、物語論と言うモノをゴ存知ですカ?』

「モノガタリロン……?」

『この世界ハ、一つのお話の中のデきごとで、一人の作者の手にヨって動かされていルという説デス』

 ブルッと長い耳を振るわせたウサギが告げる。


『その作者こそガ、あなた様が「かなで」と呼んでいるあの男ナのでございまス』


 ――さよなら、次は、次こそは。


 隣のひときわ大きい額縁を見上げる。

 かなでに良く似た人物が、僕に良く似た主人公を炎の矢で焼き殺したところだった。

『あの男ハ、自分の望み通りの展開ニ成らぬとわかった途端、モノガタリを破綻させます』

 剣で心臓をつらぬかれる。

『何度も』

 圧死する。

『何度も』

 溺死する。

『何度も』

 絞殺される。

『……何度も』


 ヒザをついた僕は止まらない震えに自分の両腕を抱いた。

「……今の「僕」は何回目なの? 何人目、なの?」

『あなた様ハちょうど百人目のつむぎ様にナります』

 僕は  僕は

「いやああああああ!!!」

 叫んで頭を抱え込む。涙がとめどなくあふれ出てきて、いくらぬぐっても止まらなかった。

『お分かりになりマしたか? 本当の裏切り者がダレかを』


 嗚咽が止まらない

    あたまズキズキする

  きもちわるい


 うそだ、こんなの、うそだ! ……でも


 あぁそうか、いつか見た委員長と恋人になっていた夢。あれは僕自身の記憶だったんだ。

 合宿のとき、崖から落ちそうになった時に聞いた誰かの嘆き声も、昨日の夜、隠し部屋に現われた亡霊も、ぜんぶぜんぶ僕。


『あの男は子供が浜辺で砂の城を作ルように、何度も何度も壊しては創りまス』

 ウサギは寄ってきて僕のヒザにトンと前足を置いた。

『疲れたデしょう、永劫とも思える時間デ魂が疲弊しタでしょう、見かねた我が主様があなた方を救いにキたのです』

 顔を覆っていた手をはずし、滲む視界でウサギの赤い目を見つめる。

『今こソ、作者の手を離れ、あなた方が自由に羽ばたく時』

 さぁ、と促されゆっくりと立ち上がる。

『あの男が、代償を支払う時ガ来たノです』


***


 冷たく固いものを頬に押し当てられている感覚で意識が浮上する。目も開けられないくらいに重たい身体で、オレは自分がどんな状況に置かれているかを考える。

 ……牢、だろうか。頬に感じる冷たい感覚は石の床、ジャラリと鳴る鉄の音はおそらく手足を拘束されている鎖。


 ――あの男が、代償を支払う時ガ来たノです


 あーあ、ついにバレちゃった。

 いつかこんな日が来るとは思ってたけど。


 ……


 …………







 ……もう、いいか。


 あのさ、聞いてくれる? 画面の前のだれかさん。

 うん、今これを読んでいるであろうあなたです。

 いきなりメタ的な展開になってゴメン。聞いて欲しいことがあるんだ。


 ある男の、恥ずかしくて情けないお話。


***


 その男の記憶は、真っ赤に染まった世界から始まった。

 真っ赤っても別に血にまみれた戦場とかじゃない。ただ単に夕陽に染められた世界だったってだけの話だ。


 気づくとそいつは舗装もされていない、どこかの道に座り込んで呆然としていた。周りを見回しても草ばかりで誰も居ない、立ち上がって辺りを探してみたけど誰も居ない。

 それはそれは不安だった、自分が誰かも分からない、誰かに何か尋ねようにもその世界には自分一人しかいなかったんだから。

 時間も何も動いてないみたいでさ、風も吹かなきゃ水も流れない。永遠に夕焼け空のままなんだ。


 そんな時間がどれだけ続いたのか、その世界に時間の概念とかないからよくわからないけど、短くはなかった。少なくとも一人の人間を精神的に追い込むのには充分な時間だったと思う。


 あと一歩で気が狂うって寸前でさ、どこか遠くの方からすすり泣きが聞こえたんだ。

 男は――オレは喜び勇んでそっちに走った、やっと誰かに会える、ここはどこだとか、自分は誰なのかも教えてくれるかもしれないって思ったからさ。


 ところがたどり着いて見たのはとんでもない物だった。黒いなんだか分からないグチャグチャのスライムみたいな生き物が、丘の上にうずくまってすすりなきしてたんだ。


 その『影』は何かを作ってるみたいだった。

 とろけた腕に羽根ペンを握って空中に滑らせていた。するとそこには世界が現れた。

 あ、世界って何だって思った? んー、ちょっと口で説明するのは難しいけど……本とか読んで頭の中でその光景が描き出されてたりしない? そう、それに近い感覚。

 オレは夢中になってその世界に見入ったね。なんせその頃は知識も何にもなかったから、描き出される世界がひどく新鮮で希望と冒険に満ち溢れてるように思えたんだ。

 ところが必ずと言っていいほど途中で異変が起きるんだ。物語りがこれから動き出す! ってところで、いきなりブツッと切れるんだよ。『影』が途中で書くことを止めてしまうんだ。

 世界が途切れる寸前の主人公たちの顔がオレは忘れられないね、みんな永遠に時が止まるのを知って絶望の顔をしていた。


 そんなことを幾度も幾度も『影』は繰り返してた。

 世界を作っては投げ出し、作っては叩き壊し、泣きながら何度も何度も……

 十個目の世界を壊そうとしたところでオレの方に限界が来た。思わず飛び出し、その腕を掴んで止めていたんだ。むやみに新しい世界を作り出すんじゃないって。


 そしたら『影』は何て答えたと思う? 「ならお前が代わりに書け」だとよ。


 マジふざけんなって思った。続きを読みたきゃご自分でどーぞって。アホか

 お前に世界とキャラクターを作り出したプライドはないのかと問いたい、小一時間問い詰めたい。


 でも拒否できなかった。その時気づいたんだ、オレは『そのためだけに生み出されたキャラクター』なんだって。


 言うなれば二・五次元の住人。作者の世界でもない、創作世界でもない、その中間の世界に作られた特異点。


 オレはこの世界を半分ズレた上から見下ろす存在……作者代理だったんだ。


 オレは書くしかなかった。

 世界を描くことが、それだけがオレの存在意義だったんだ。


 最初は順調に進んでたさ。『影』が壊しかけた世界を引き継いで流れを作って行ったんだ。

 楽しかった。このイベントを入れればこのキャラはこういう動きをするんじゃないか、この試練をコイツは乗り切れるのか? 大丈夫か、頑張れって。どんどんどんどん感情移入してさ――


 でも、なんでだろう。話がラストに向かうにつれて苦しくなっていった。

 こいつらハッピーエンドに向かってるのに、どうしてオレはそれを外からしか見ていられないんだろう、って


 同じ『影』から生み出されたキャラクターのくせにひどい差じゃないか。

 上から動かされてるとも知らずに冒険して、恋して、みんなで試練を乗り越えて、泣いて、笑って、楽しそうに――


 オレと何が違う!? どうしてオレは一人で、こんな寂しい空間で孤独な仕打ちを受けなきゃいけないんだ!


 どれだけ泣いても、そこには慰めてくれる仲間なんて居なかった。当たり前だよな、その世界はオレしか居なかったんだから。

 ふと見下ろした世界では、主人公が相手役の男とくっついて、幸せそうに微笑んでてさ


 憎かった。オレがこんなに苦しんでいるのに、この世界のヤツらは呑気にストーリーを謳歌している。ただの記号じみたキャラのくせに。

 もうこんな世界壊してやれと思ったね。話を無理やりねじ曲げてバッドエンドにしてやろうか。絶望的状況に追い込んで、助けなんか来ないままフラグをへし折ってやろうか。

 そう思って話を書いてみたんだ。ところがどんな過酷な状況に追い込んでも乗り切ってしまう。むしろそれをバネに絆を深めてやがる。

 ちくしょう、こうなったら何が何でも妨害してやる。

 ブチ切れたオレは、どれだけこの話に干渉できるかある一つの計画をたてた。


 オレ自身を投影したキャラクターを作って、この話を内側からめちゃくちゃに引っ掻き回してやろうと思ったのさ。

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