第30話
彼はこちらを振り向かないまま話し出した。
「すまない、私が直接お前を守ってやりたいとは思っているんだ。だが」
その声は少しだけ弱くて、いつもの気然とした様子はどこにもなかった。
「駄目なんだ。協力するとは言ったが、まだ私の脳はお前が犯人だと叫び続けている。これではいざという時、お前を裏切ってしまうかもしれん……!」
ダン!と壁に拳を打ち付ける音が響く。その肩は微かに震えていた。
「すまない、こんな肝心な時に私は」
悲痛な叫びをそれ以上聞きたくなくて、僕はその背中にそっと触れてみた。
「ありがとう委員長。正直に話してくれて、嬉しいよ」
「しかしっ!」
振り向いた委員長は怒る寸前か泣く寸前のような顔をしていた。
「私は弱い……こんなにも無力だ。お前に疑惑が降りかかった時にもっと主張すれば良かったんだ! あやつがそのようなことをできるわけがないと!」
「……」
この人はどれだけ悩んだんだろう。頭が固いって他の二人にからかわれる時もあるけど、本当は誰よりも優しくて自分に厳しい人なんだよね。
「だーいじょうぶ! きっと上手くいくよ、だって僕らは期待のたんぽぽ組なんだから!」
僕はわざと明るい声を出して彼を励ます。ねぇ委員長、そんなに責任を感じなくたって良いんだよ?
「だから、そんな辛そうな顔しないでよ……」
なんでだろう、この人が辛いと僕も辛い。笑って欲しい、悲しい思いなんてさせたくないって気になってくる。うつむき加減の頬に触れようと手を伸ばした、その時だった
「え――」
急に引き寄せられて暖かいものに包まれる。気づけば僕は委員長にぎゅうっと抱きしめられていた。空気が、揺れる。
「好きだ」
耳から入ってきた言葉を理解した瞬間、僕の頭は沸とうしたかのようにボッと熱くなった。
「え、えええっ、あっ、ああああの、あの。や、やだなー委員長ってばそんな」
「つむぎ……」
泣きそうな震える声が届き、僕はその真剣な想いに気づいた。笑ってごまかそうとした言葉を呑み込む。
「今のは聞かなかったことにしてくれていい、今回の件が片付くまで忘れてくれ。だが不安なんだ、お前がこのままどこかに行ってしまうのではないかと」
力強い腕に抱かれ、感じたことのない気持ちが湧き上がる。バクンバクンと心臓が痛いほどにうるさい。このまま爆発してしまうんじゃないだろうか。
「つむぎ、捕まるな、なんとしても生きてくれ」
「う……うん」
ゆっくりと離れるぬくもりを、つい追い求めてしまいそうになる。熱くてしょうがない頬を感じながら、僕はなんとか一言だけ押し出した。
「……ありがと」
***
講堂の舞台袖はいろんな小道具が置かれている。その一角にある木箱に座り僕は待機していた。降りた幕の向こうからは人のざわめき声が聞こえてくる。
ここまで秘密地図の裏道を通ってきたので誰かに見つかることはなかったけど、国中が血まなこになって探してる人物がこんなにすぐ近くにいると知ったらみんなどう思うんだろうな。
「よーっし、準備はいいかぁつむぎ。いっちょド派手なパフォーマンスを決めてやろうぜ」
「んー」
楽しそうな幼なじみを前に、僕はイマイチ気の入らない返事をする。そんな様子が気になったのか、顔を横にして覗き込まれる。
「おーい、なにボケッとしてるんだよ。誰のための作戦だ?」
「あ、ごめ……」
慌てて顔をあげると、目の前でかなではしゃがんで頬杖をついていた。そして真顔のまま聞いてくる。
「委員長と何かあったっしょ」
ドキッとして背筋を伸ばす。
「オレたちが出たあともなかなか来なかったし、なァんか話してるなとは思ったけど」
ど、どうしよう。
「かなで、あのね」
ゆっくりと話し出した僕は、委員長から告げられた想いを告白した。
「びっくりした。まさか委員長が僕にそんな感情抱いてると思わなかったから」
「なんでー?」
「だって僕は何か取り柄があるわけじゃないし、特別勉強ができるわけでもないし、いつもみんなの足をひっぱってばかりだし」
ちょっとためらって白状する。
「……チビだし」
「ブハッ」
「笑うなよ!」
カッコよくて成績優秀で、ちょっと古風だけど優しい委員長はとてもモテるのだ。これまでにも何度も女のコから呼び出されて告白されてきてるのだって知ってる。そしてそれを全て断っていることも。
「なんで僕なんかって、ふしぎでしょうがなくて」
「嫌だったの?」
そう聞かれてまたカァッと熱くなる。
「う、嬉しいよ、でも、あの」
今まで告白されたことなんかなかったしどう返したら良いんだろう。あぁもう、なんでこんな非常時にあんなこと言うのかな委員長はっ!
「オレは何となくわかるけどなー」
「え?」
顔をあげると、かなでは指を折りながら口を開いていた。
「つむぎの良いところ。オレたちならいくつだって上げられるよ」
「た、たとえば?」
「よく食べ、よく眠り、よく遊ぶ」
「……」
「しっかりしてそうで抜けてるとか、街で買ってきたプリンを落として半日はへこむとことか」
「もういい、もういい、っていうか気にしてないから! あれは僕の凡ミスだったの!」
止めようと掴みかかるのに、ヘラヘラ笑いながら避けられる。
「いつも一生懸命なところとか、ドがつくお人よしなところとか」
「お人よしって」
「困ってる人は絶対に見捨てないし、いつだってまっすぐであり続けようとする」
振り上げたこぶしを力なく落とす。
「ほら、こんなにいっぱい出てくる。つむぎは全然ダメなんかじゃないよ。だからそんなに自分を卑下しないでいいんだ。大丈夫、オレたちはみんな分かってるから、じゃなきゃ協力なんてしない」
しばらくうつむいていた僕は、勢い良く自分のほっぺたをはたいた。
「やめたっ! 考えんのやめた! 委員長の事は全部終わってから考える!」
「果たしてそれができるかなー?」
「できるってば!」
ニヤニヤ笑うかなでにぷいっと背をむけて、タクトを具現化させる。
「……ま、いいんじゃないの」
「ん?」
振り返ると、少しだけ口もとを上げてかなでは笑っていた。
「委員長はイイやつだよ、今どき珍しいくらいに実直だしオレと違って誠実だ。委員長と付き合ったら、きっとつむぎは幸せになれる」
僕はその天然記念物なみに貴重な発言をみつめ、正直な感想をつぶやく。
「めずらしい、キミが素直に人を褒めるなんて」
「おいおい、オレだって人を見る目くらいあらァ」
肩をすくめるという大げさなアクションに笑った僕は、クルッと舞台を向いた。
「わかってるよ、僕の周りはみんな良い人ばっかりだ。もちろんキミも含めてね」
それだけを言い残し、返事を待たずに駆け出す。そうだよ、今はまず目の前の問題をクリアしなくちゃね!
***
舞台袖に一人取り残された少年は、しばらくその後ろ姿を見送っていた。ややあってぽつりとつぶやく。
「オレが良い人、か」
うつむいたままの彼は、悲痛な笑みのまま口を開いた。
「なんて面白くない冗談だ」
いつものようにふざけた道化を演じようとして、やめた。全てを諦めたように言葉を濁す。
「もう……いいんだ。つむぎが苦しまなくて済むなら。それがオレの一番の願いだから」
***
講堂での話題はやはり、逃げ出した犯罪者のことで持ちきりだった。
「でも新聞部の前に姿を見せたのを最後に、まるで目撃情報がないんでしょ?」
「もうとっくにどこかに逃げちゃってるってウワサもあるけど、でも」
「しっ、聞こえるわよ」
睨みつけるこちらに気づいたのか、おしゃべりをしていた女子三人組はトレーを持ちながらそそくさと逃げて行った。アタシの向かいに座っていた委員長がスープを飲みながらたしなめる。
「つづり、そのように威嚇をするな」
「してないわよ、あっちが勝手に逃げただけ」
今晩これから起こることはどこかに漏れていないだろうか。袖口にいるはずのあのコは今にも捕まってしまうのではないだろうか、不安ばかりがよぎる。
そんな気持ちを紛らわそうと、目の前にあったパンをつかんで口に放り込む。そうよ、体力勝負なんだから少しでもお腹に詰めておかないと。
「アンタもしっかり食べておきなさいよ、ぶっ倒れて任務失敗とかになったら化けて出るわよ」
「私は……」
スプーンをカチャリと置いた委員長は、どこか遠い目で話し出した。
「今でも戸惑っている。以前の私ならばこのような無謀で勝算のない賭けに乗り出しはしなかっただろう。ましてや確証のない疑わしき者を庇いだてするようなことなど決して」
「それだけ、アンタが変わったってことじゃないの? 良いか悪いかは別として」
入学当初なんてガチガチの優等生だったくせに、今じゃこんな計画の片棒担いでるっていうんだから驚きね。それだけつむぎの存在が大きいってことなんだろうけど。
「だがこんな私でも貴様らから学んだことがあるぞ」
「なに?」
委員長はそっぽを向きながら早口で言った。
「規則が全てではないということだ」
アタシは一つ目を瞬いてから、ニヤリと笑った。
「ごめんなさい」
「なんだ?」
「アタシね、今の今までアンタを疑ってたの。私が書く話ならアンタみたいなのは土壇場で裏切るから。でも取り消すわ」
「な、なにぃ!?」
立ち上がってパンくずを落とす。
「おい貴様! まさかそんな話を書いてるわけではあるまいな! 修正しろ私の名誉に関わる!」
「後でいくらでも訂正するわよ、それより始まるわよ、アタシたちの今後を決める勝負が」
舞台袖が突然爆発する。熱を伴わないそれは攻撃目的ではなく注意を集めるものだ。
「それじゃあ、後で会いましょ。できればね」
「あぁ」
動揺する生徒の間をすり抜けて本校舎の屋上へと向かう。
午後七時十三分――作戦開始。
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