LASTArk past at justice 6
血の乾いた臭いがする。
ほんの少し前まで、臭いもなにも感じないただ広いだけの荒れ地。
どうしてこんな臭いがただよってくるのか。
風の向きが変わったのだろう。拠点のテントのあるこの場所までにも戦場の臭いが立ち込めてくる。
一瞬にして戦争は荒野を血生臭い戦場にしたてあげてしまった。
ここから少しあるいただけの所に、そこには大量の死体が積み上げられている。
死んでしまえば敵も味方も関係ない。ただの物だ。
赤褐色の髪を密編みにした軍人は、テントの前でその光景を眺めていた。
ここからみると荒れ地は、死体が小さすぎてなにもないように見えてしまう。
ずっとあそこで戦っていたはずなのに、区切りがついて辺りを眺める度に回りの死体の数に驚く。
ぐるりとなにもなく感じる荒野を見回した後、灰色に薄く雲の広がった暗い空をボルディーは見上げた。
先ほど敵国から終戦協定が通告された。
当然だろうとボルディーは受け止めていた。
なかなか長い悪あがきだったがこれだけ押されていれば、向こうももう勝ち目はないと判断したのだろう。
軍隊は国から正式な発表があるまではそれまで待機との令が出た。
若い隊員はわりと針積めた顔をしていたりもするが、待機はいたって退屈だ。
ただ通達を待つだけだ。
受理されなければまた戦争は始まる。
ボルディーは何かと待機時はこうして景色を眺めていることが多かった。
別に死んだ同胞や敵国の戦士などへの思いはないわけではない。
しかし、そういったものには折り飽きてしまった。
戦場を駆け巡るようになってどれだけたったのだろうか。
昔は死んだ敵国の兵に心を痛めたりもしていたのに。
ボルディーは仲間の死にも関心が薄くなっていた。
こんなことにも人間は慣れてしまえるのか。
慣れは一種の防衛本能でもあるのだろうかと、そう考えたこともあった。
そう考えてしまうほど、ボルディーは慣れというものが恐ろしかった。
その戦場になれてしまうほど、駆り出される回数もふえて、戦の合間の気休めとちょっとした刺激を求める程度に入ったギルドにも久しく顔を出せていなかった。
団長を任されていたのになんか申し訳ない。
ボルディーはふと、何を思ったのか記憶にあるかぎり最近ギルドへ顔を出した回数を数えてみた。
回数ごとに指を折って数えてみるも……。
「うわ……」
と、声が漏れた。
折られた指はたったの四本。片手ほどにしか収まらなかった。
さすがに自分でも気が引ける。
グリークにほぼまかせっぱなしではないか。
一体どれだけ戦場にいたのか、この戦闘バカ。
軽く自分を自嘲するも、自分は所詮軍人だ。
この戦場の中でしか生きることはできないのだ。
そして、これからどう生きようと軍人であることには変わりない。たとえ撃たれたって刺されたって、この体が腐っても軍人なのだ。
腕を買われてこの道にきてしまったのだからそれを責めることはできない。
はぁ、と、ため息をついて終戦が近いのでボルディーはこれからのことを考え始めた。
ひとまず戦争が終われば暫くは平穏な日が来るだろう。
後処理などはあるかもしれないが、うまくやってとりあえずギルドに足を運ぶべきだ。
皆は元気にしているだろうか?
あいかわらず、オブディットがなにか小細工をギルド内に仕掛けて誰かを引っ掻けたり、センリが火薬量を間違えていろいろ吹っ飛ばしたりしているのが容易に思い浮かんだ。だいたいそれの餌食になるのはノアかグリークのどちらかだった。
ボルディーがそこまで回想して、最近はもう1人増えたのだと、思い出した。
会えた頻度はさほど多くはないものの、自分のチームの平均年齢が他より断トツで若いからということで組まれてきたユースがいた。
最初はずいぶんかわいい子が入ってきたなと、頭をわしゃわしゃと撫でていた。
そのたびに彼はしかめっ面だったが。
今はあの頃よりすっかり大きくなっていた。
前から大人びている節はあったがさらにそれが見受けられるようになった。最後会ったときはとっくに身長を抜かされていた。
子供の成長は早いなと、若干母親じみたことをボルディーは思っていた。
それだけ回りも年をとっていくのだ。
歳はすっかり数えてないがだんだんボルディーも老いていくのだろう。
死臭混じりの風がなびき、顔にかかる前髪を軽く書き上げた。
帰ったらいろいろグリークに聞かなければならなくなりそうだ。
知らせは受け取ったりしていたが主要体制などが変わったや、連携がどうたらこうたらと長々と書いてあったりもしたが、あれは実に分かりにくかった。
やはりこういうのは直接聞くのが一番なのだろう。
紙にかかれた文字というものは口で伝える言葉より、一般素人には少々言葉数が減り苦労する。
聞きたいことくらいはメモしておいたほうがいいだろうか。
今思い出しているだけでも聞きたいことは結構ある。その場でぼちぼち思い出していても迷惑だ。
ボルディーは風に当たるのをやめて、テントの方に振り替えって歩きだした。
日は出ていないものの、暗くなり始めているのがわかったので、戻るには丁度いいだろう。
少し歩いてボルディーはテントの前にたどり着いた。
入り口に垂れ下がった布を開けると、外からも聞こえていた声が一層大きくなる。
ボルディーが入ってきたことに気づくと、皆こちらに向かって敬礼をした。
兵は皆様はどこか落ち着かない顔をしている。ああ、ここのテントは確か入隊したてのやつが多かったのだったか。
その敬礼を受けとり、ボルディーも彼らに向かって敬礼をした。
そして、自分の荷物が置いてある所へと向かった。
ボルディーは荷物の中をあさって、日に焼けたメモ帳を引っ張り出した。
メモ帳を持っていながらもなかなか使う機会がないので、使いきるより紙が焼けてしまうのが先になった。
表紙のかかれていた文字は完全にかすれてしまっている。
パラパラと焼けたページをめくって、新しいページを探す。
最後にこのメモに書き込まれたのはおよそ1ヶ月前のことだった。
それが書き込まれている次のページに、今度聞きたい内容を、ボルディーは書き込み始めた。
が、意外と書くとなると出てこないものである。
「うーん、どんなのだったか……」
ボルディーは一人でぶつぶつといいながら、なんとかポロポロと出てくる断片を繋いで簡単な文にする。
こんな無理やり繋いだもので大丈夫かと自分でも思えてしまうほどだ。
しかし、今で思い出せるものはこんなことしか出てこなかった。
少し時間を開けたらまた思い出すかもしれない。
続きはまた、明日にでもしようかと、ボルディーはメモを荷物の上にポトリと置いた。
と、後ろから何か名前を呼ばれたような気がした。
気のせいか?ボルディーは一瞬そう思ったが再びまた名前を呼ばれたことによって、そうでないとわかった。
誰かが自分のことを呼んでいる。
ボルディーは声のした方に返事とともに向かった。
するすると、人の間を掻き分けて向かった先には1人の若い男が立っていた。
この男とはボルディーは面識はなかった。
だが、軍服の細かい所から広報の者だとわかった。
「何かようかな?」
その若い男に話しかけると、男敬礼をして持っていた封筒から書類を取り出した。
ボルディーが目をざっくり通し始めるのと同時に、男は手際よくパキパキと書類の内容を説明していった。
別に説明されなくても読んだらわかることなのだが。
しかし、この男なりの気遣いなのだろう。
ボルディーは書類を読みながら、男の説明に耳を傾けていた。
パラパラとめくっていくと今後の手順についてのようだった。
なるべく早く済ませたいところだがなかなかそうとはいかなさそうだ。
これは戻れるのは少し後になるかな、と、ぼんやりと考えていると、男の説明は終わっていた。
後半はほとんどボルディーの記憶に残ってないなかった。
それでも、ボルディーは男に礼を言った。
男は敬礼をするとそのまま戻ろうと後ろを振り返った。
が、振り替えるのと同時に何かを思い出したようだ。
男はまた振り返り、合計で一回転すると持っていた鞄から一枚の便箋を取り出した。
大きさはごくごく普通。
よく見る規定サイズだった。
ボルディーがそれを受けとると、男はまた後ろを振り返り本当に去っていった。
男を見送った後、ボルディーはすぐに差出人の名前をを探した。
便箋を裏返すとそこに、それが書いてあった。
面識のない名前だが、どこかで聞いたことはある。
名前はハッキリと覚えてないが、これはおそらくギルド長の名前だったような気がする。
そうだとすれば何の用だろうか。
報告書の類いなら差出人は知っている名前に、それに便箋の厚みや重さから枚数はそんなに入っていない。
ボルディーはギルドから受けとる手紙としたら近状報告くらいしか思い当たらなかった。
しばらく便箋を見ながら何かないかと頭をひねっていた。
しかし考えても心当たりがないので、ボルディーは便箋の端を破って中身を出した。
読んだ方が考えるより断トツで早い。
中はおられた用紙が一枚だけ入っていた。
枚数が少なすぎる。普通の近状報告とかでは無さそうだ。
ボルディーは折った紙を開けて、中身を読み始めた。
タイプライターで打ち込んだ文字なのか、無機質な尖った小さな文字が並んでいる。
目を通し始めたとき、ボルディーはすぐさま違和感に気づいた。
「……………。」
なんだろうか、この突然何かを突き刺された感覚は。
今まで刃物を突き立てられてきたことは何度も刺されたことも何回もあるはずなのに、今までとは全く違う物で自分を貫くような感覚。
ボルディーはさらに、やけにその無機質が自分の何かを抉っているように思えた。
普通ならこんな思いはしないだろう。
こんなの文書などにありふれた、みなりにみなれた文字だ。
なのになぜなのだろうか。
たった一枚の紙にも余白だらけの内容であるのに。
耳鳴りがする。
だが、それはだんだんと大きくなっていく。
ゴーンと大きく鈍い音だ。
これは耳鳴りではない。
ボルディーはようやくそれが終戦を告げる鐘の音だと気づいた。
目の前の紙に捕らわれてそっちに気が回らなかったようだ。
久しくこんな感覚は感じていなかった。自分でもわからないほど、それほどのことだったようだ。
誰かが死んだときの感覚を、ボルディーは昔のように鮮明にそれを思い起こされていた。
彼女は鐘が鳴りやんでも、回りのざわめきが大きくなっても、グリークが亡くなったことを淡々と伝える手紙を握ったまま、その場から暫く動かなかった。
***
「団長ー、久しぶりぃー」
後ろから、帽子をかぶった小柄な女に抱きつかれた。
「おー。オブちゃん久しぶり」
ボルディーが後ろを覗けば、帽子の中からオブディットの無邪気な笑顔が見えた。
ボルディーはこれをみると、自分に妹がいればこんな感じなのかなとたまに思う。
「元気にしてた?」
「うん、元気だよー。」
「悪いことしてなかった?」
「ああ、それなら罠をめちゃくちゃ仕掛けられましたよ……。」
二人の会話を割るように、モコモコとした頭を掻いてため息をつくノアが話しかけてきた。
その顔には疲れと呆れの色が見えた。
「全く、昨日と今日と……何を仕掛けたのあれ……。」
「あ、あれは試作品の爆発罠。どうだった?威力とか吹き飛び具合とか」
なんも詫びる様子もなく、オブディットはニコニコと尋ねてきた。
自分の作ったものを見せにきた子供そのもののようだ。
「ドア一枚飛んだのと壁にヒビが入りましたけど………。」
そういえば此処に来るまで、あったはずのドアがなかったり、「近寄るな」の張り紙を張られて大きく割れた壁とその回りに厳しくテープを張られた箇所があった。
ドアが無いは自分の勘違いかと思っていたがこういうことだったか。
ボルディーは納得した。
ノアが「なんで室内に仕掛けるかなぁ………外でやってよ…」と、ぶつぶつと愚痴を漏らすも、横のオブディットには知ったことないようである。
ぼそっと「生き物相手に仕掛けないと性能わかんないし楽しくないもん」と、どこからかボルディーは聞こえた気もした。
「ところで今度は何仕掛ける予定?」
ノアの愚痴は完全スルーのオブディットにボルディーはちょっと聞いてみた。
「爆発罠はさすがに怒られたから今度は拘束罠でも試そうかと」
「なるほど、気を付けとこ」
「あ!カンニングされた!!」
オブディットはしまったと、悔しさを顔に見せた。
ボルディーはそれをみてしてやったとばかりにニヤニヤしてる。
罠の種類によって設置方法は決まっているので気を付けておけばわりかし避けられてしまう。
ボルディーはいつもこうして手口を聞き出していた。
「いや、そもそも仕掛けないで」
ノアの顔はひきつっていた。
そのままボルディーは二人と自分がいなかった時のことを話していた。
「ところで……」
少し立った時にボルディーが別の話題を切り出した。
「なんかメンバーがさん………いや、2人いないみたいだけどどうしたの?」
ここのギルドは今日は少し静かだった。
物理的に人数が少ないためか、それともなにかが足りないためなのか。
それはボルディーにもわからなかった。
わからないなか放っておくしかないだろう。
そのうちこの感覚もどこかへと消えてしまう。
「あー。センリはちょっと買い物頼んだんだけどね……かれこれ2時間くらいたってると思うんだけど………」
オブディットがふと、少し困ったような笑みを。というよりはお手上げだというようなそぶりを見せた。
それをみてボルディーは事を察した。
「また、あれか」
センリは相当な方向音痴であった。
「うん、どっかで油売ってるか方向音痴がなんかやらかしてるかのどっちかだと思う」
「どっちかじゃなくて両方じゃない?」
ノアの言葉に2人は盛大に吹いて、大きく笑い出した。
「そうだ、そうだったわ」
ボルディーは笑い転げながら言った。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
彼のお人好しと方向音痴を見くびっていたようだった。
「いやぁ、人いないもんでねぇ……センリに頼むしかないっていうか……」
オブディットは完全に笑いが落ち着いてないのか、まだたまにフラッシュバックしたかのように吹き出していた。
「しかし、頼むのもうこれっきりにしよ。ネギ頼んだだけなのに帰ってこないし」
「え、ネギ頼んだの?あの臭い鼻曲がりそうになるんだけど」
オブディットがそれを聞くなり、さっきの笑顔はすっ飛んでしまい、顔をしかめた。
「うん、ネギだよ」
ノアはさらりと口にした。
「コノヤロー!!わざとだろ!お前ー!」
突然オブディットの口がしこたま悪くなった。
オブディットはそのまま「ネギイヤー!」など子供じみたことをわめくが、ノアは全く相手にしてなかった。
まるで罠を仕掛けられたことを恨むかのように「お前の味噌汁に特盛でいれてやる」とまで呟いている。
それから2人は小言の言い合いに発展していった。
ネギを入れるなだの、罠を仕掛けるななど、ボルディーがここにいなかった日のことが断片的に読み取れる。
これさっきも見た気がするな……。
しかしそれを口に出すことなく、ボルディーはその即見感をそっと飲み込んでおいた。
そして、ボルディーはずっと気になっていたことを尋ねた。
「で、あと一人はどうしてる?」
ボルディーがそれを口にした。
途端に、互いに言い合いをしていた2人の会話がぴたりと止まってしまった。
そして2人は困ったように、顔を見合わせた。
困ってるというよりは、どうにもこうにも手が出せないと言ったような具合だった。
「…ユースはあそこにいるよ…多分」
静寂を破ってノアが部屋のある所を指さした。
ボルディーがその指の先を追っていくと、あったのは1つのドアだ。
「あそこってたしか…えーと……彼の部屋だっけ」
頼りない記憶を頼りにボルディはその答えを引っ張り出した。
この部屋にはほかの所へと繋がるドアが幾つかあるが、その先がどんな所かどこへ繋がるのかはぼんやりとしかボルディーは覚えていなかった。
「うん、そうだよ。で、その右が私の部屋で左が……グリークの部屋…」
オブディッドがそう言うと加えて「今は空室だけど」と、付け加えた。
「ああ、そうか1つは空室になったんだ………」ボルディーはそんなことを呟いた。
「ユースはどうしてる?」
「どうって…」
ボルディーの問に対してオブディッドが解答を口にする。
「わかんない」
それはボルディーの想定の範疇を軽々と通り越してしまっていた。
「……ん?」
騙し討ちにでもあったかのように思えるほどのまったく予想していない答えであった。
「えーと、どういうことかな……」
ボルディーは理解を必要とする答えにさすがに説明を求めた。
だが、こうかもしれないと時分で考えていた良くないことは当たっているのかもしれない。
それだけは勘づくことはできた。
「要は………部屋から出てこないってこないから何してるかわからないってこと……。」
そして、3人は部屋の扉に目をやった。
「はいはいはいはい………なるほどねぇ……」
グリークが亡くなったという訃報とともに、後から追加でいくつかの資料も送られてきていた。
大体の調査位置や報告とともに今回のチーム編成の名簿も混じって入っていた。
チーム自体がかなりの数があるのでそこからグリークのチームを探すのには少々骨が折れた。
彼らの班は計6人であり、同じギルドからユースが一緒にいた。
その名簿のうち5人は名前の横に「死亡」と言う文字が無慈悲にも書き込まれていた。
唯一生き残ったユースの名前の隣にも受け取った時点では重体と書かれていた。
ユースは重症を負ってほぼ瀕死状態で調査の本拠地に「転送」されてきたとのことらしい。
転送主はわからない。
その状況になんとか拠点にいた救護班が総出で対応したため一命を取り留めることが出来た。が、本当に生きていられるのもギリギリの状態だっとのことだ。
「まず、右脇腹にかけての傷。内蔵の損傷も酷かったけど様子は順調。あと右腕、左足の傷もなんとか。……けど顔の傷は目に後遺症が残るかもしれなくて……」
ボルディーはオブディットからカルテ片手にそう説明された。
自分の体に当てはめて怪我の状態を探ってみると、相当な深手だとボルディーは改めて実感した。
「怪我の今の状態は?」
「うん、歩けるくらいにはなってると思うよ。けど、あれだけの怪我だったから暫くは様子見た方がいいって、ギルド長からお達しがあった。」
かれこれ戦争後の処理により手紙を受け取ってから2ヶ月になってしまっているのだが彼の怪我の容態はボルディーが思っていたよりも良くなっていたようだ。
見かけに寄らずだいぶタフなやつだ。
ボルディーは正直、最悪まだ昏睡状態も考えていた。
だが、歩けるようになっても部屋から出てこないということに違和感を覚えた。
これは正しく彼女が思っていたことが起こっていることを告げている。
「大体のことは分かったよ………彼とは話したりはしているのかい?」
「食事を持っていく時くらいですかねぇ……けど、その時もあんまり話すことないし…」
食事は毎日彼の元へ交代で運んでいるようだ。
「声かけてみても曖昧というか……」
ノアとオブディットにはもう正直完全にどうすることもできないようである。
「あの状態……を見るとなんとかしてあげたいんだけど……その、どうしていいかわかんなくて……グリークがいなくなってから2ヶ月も経つのに……なんにも進んでなくて…なんにもできてなくて……」
オブディットの震える小さな体から絞り出された声は、体の振動が伝わっているのか震えていた。先程の元気な声とは似てもつかない。
その後、小さな嗚咽が漏れ出てきた。
今まで思ってきたことを全て吐き出したのだろう。
それを見たノアは黙ってオブディッドの背中摩っている。
彼の表情も悲しげだった。
「…………けど、いるはいるんだよね?」
「そうですけど……」
「ちょっとだけ話すことってできる?」
ボルディーの言葉にノアは顔を上げた。
「できなくはないと思いますよ……」
1度ポロポロと嗚咽を漏らすオブディッドを椅子に座らせ、ノアとボルディーはあのドアの前へと向かった。
「いつも入る時はどんな感じ?」
「まぁ、普通にノックして……」
ノアは軽くドアを叩いた。
返事はなくコンコンという音だけが耳に残る。
「返事ないのはいつものことですけどね………ユース、団長さん来たよ。」
ノアが声をかけてみてもやはり返事は帰ってこない。
2人はしばし返事を待ってみてから、顔を見合わせた。
「入っちゃってもいい?」
「まあ、いいんじゃないですかね……ユース、入るよ。」
ノアがそう声をかけてから、ゆっくりと扉をひらいた。
その先には小さな空間があった。
明かりはついておらず、部屋の中は暗い。
昼間なのに窓からは光はほとんど差し込んでいない。
カーテンが締め切られているようであり、開かれたドアから入るあちらのあかりが少しばかり部屋を照らすのみである。
部屋はそんなには散らかってはいない。というより、部屋主の生活的な意欲がかけているとでも言うべきか。
カーテンが閉じられた窓のちょうど手前にあるベットの上に人影か横たわっていた。
背をこちらに向ける形で横になっているので、顔は見えない。
ボルディーはノアを見た。
「起きてるの?」
「いつもこんな感じですよ。………たぶん起きてはいます。」
小声のボルディーの問にノアは顔色ひとつと変えなかった。
この光景に慣れてしまった、というのが言わずとも彼の言動に現れていた。
小声で話しているのにも関わらずこちらの話が聞こえたのだろうか。ベットの人影がむくりと億劫そうに体を起こした。
それを見て、2人はベットに向かって歩いていった。
ボルディーが最初に声をかけた。
「やあ、久しぶり。僕のこと覚えてる?」
人影がこちらに振り向いた。
彼の荒れて伸びきった薄い青の髪の隙間から顔が見える。
包帯はまだ完全に取れきった訳では無いので、顔の右半分は包帯で覆われていた。
久しぶりに見る顔は最初にあった頃よりはだいぶ大人びてきていたが、どこかにまだ少年の面影を残している。
ボルディーの底知れない強さを宿した目と、彼女の昔の記憶とは程遠い彼の光を無くした目が一直線に重なった。
「ほら、団長さん来たよ。挨拶して。」
ノアがユースに促すも、彼は掠れた声で何かをぽつりと言って軽く頷いいただけだった。
ノアの顔には苦渋の色が浮かんでいた。
(さて、どうしたものか……)
ボルディーは少し頭を捻った。まずはちょっとした会話から初めてみることにした。
「元気……という訳では無いか。」
ボルディーはあからさまのことをあえて口にした。
ユースは空虚を写した目でこちらを見ている。
「けど、起き上がれるくらいにはなったんだね。よかった。オブから聞いたよだいぶ酷かったって。」
ユースの体を気にかけたことを言ってみるも、彼からの変わった反応はない。
「ご飯ちゃんと食べてる?みんな心配してたよ。」
ユースの目は動くことなくただ呆然と空虚を写し続けていた。
ボルディーはチラリのノアの方を見て困った笑みを作った。
ノアも肩を落としてため息を着いた。
状況をとりあえず掴むことは出来た。
「まあ、僕これからちょっとは暇だしさ………また話したいことできたら来るよ。」
ボルディーがそう言って2人は部屋を後にしようとした。
ユースは黙ったままその背中を見送っている。
「あ、そうだ……」
去り際にボルディーは口をひらいた。
「その十字架は君が背負うにはまだ重すぎるよ。」
それを口にした直後にぱたりと扉が閉められた。
彼がどんな顔でそれを聞いていたかはわからない。
2人は戻ってきた光に目を細めた。
「最後何言ったんですか?」
ノアが目を細めたまま、こちらを見ていた。
「ん?いや……ただの独り言さ。気にしなくていいよ。」
ふと前を見るとオブディットがこちらに歩いてきた。
「………どうだった?」
まだ、その瞳は涙で濡れていた。
ボルディーは首を振った。
「まだわからないね……もう少し様子を見た方がいいよ。」
オブディットの顔がまた少し歪んだ。
ボルディーは彼女を慰めるように抱きしめた。
「大丈夫だよ、今はどうしようもないけど必ずその時はくるって」
「でも………いままで、なにも……なにも……出来なかったから………」
オブディットの目からまたぽろぽろと、透明な涙かこぼれ始めた。
そして、さっきよりも大きく嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
それを見ているノアの買おも歪んでいる。
「ごめんね、任せっぱなしで」
ボルディーは彼女の背中をゆっくりと、優しく摩ってやった。
しかし、悠長にはしていられない。
ユースと改めて対峙した時にボルディーの己の直感がそう警告していた。
泣き疲れてソファで眠ってしまったオブディットに毛布をかけてボルディーも隣に腰掛けた。
ちょうどその時にノアがカップにコーヒーを入れて持ってきてくれた。
湯気がたってないのでアイスコーヒーだろう。
「ありがとう。」
ノアに軽く礼を言って、ボルディーはその半分を、飲み干した。
冷たいコーヒーの口から喉にかけて吹き抜ける苦味が頭を醒ます。
ノアがコーヒーを飲みながら言った。
「団長さん……これからまたあるんですよね」
ボルディーはカップに半分残ったコーヒーを見ていた。
「そうだね……今からまだやることが残ってる。」
ボルディーはここに来る前にギルド長から直々に仕事を任されていた。
ノアがカップをテーブルに置いて、何かを取りに本棚に向かった。
その本棚には昔の調査資料などがしまわれている。
彼はそこから1番新しい封筒を取り出して、中身を確認した。
そして、きちんと全てあるのを確認するとそれを封筒にしまい、ボルディーに渡してきた。
「これから行くところの資料です。僕達が行った時のよりも新しくなってるので団長さんが見るのは初めてかもしれない……。」
ノアはボルディーがその仕事の内容を詳しく言わずともその内容を知っていたようだった。
ボルディーは、渡された封筒から中身を取り出し資料を読み始めた。
前貰った資料と前半はほぼ同じであったが、後半には新しい地図や、グラフ、前回を踏まえての調査の重要地点、出現が予想される地域など明らかに情報が増えていた。
「なるほどね………だいぶ増えてるな。」
ボルディーは資料を手際よく読み進めて頭に叩き込んだ。
今まで何千回と策略を示した図を短時間で記憶したのと比べればこんなのはあっさり出来てしまうものである。
全てを頭に叩き込んで、ノアに資料を返した。
「ありがとうね。」
ボルディーは残りのコーヒーをを一気に飲み干し、カップテーブルに置いた。
ノアが心配そうにボルディーのことを見ているが、ボルディーは軽く彼に手を振って部屋から出ていった。
ボルディーがただ1人歩く廊下は自分の足音を響かせるのみであった。
その音とともに頭の中でやるべきことを反芻させる。
まずは簡単な状況把握、そして資料と変わったことがないかとの確認し。もし、できるならば………。
あの、ギルド長の切羽詰まった顔を思い浮かべた。彼は普段冷静な人物であるのにも関わらずあんな顔をするとは随分とらしくないと思ったものだった。
向かう先はあの森である。
長年使い慣れた鉈を携えて、軍人が森の中を1人歩みを進んでいた。
周りには人の気配どころか動物の気配すらない。
もう時期に日は沈んでしまうだろう。
まさに闇につかりつつある森は不気味なほど静かだった。
圧倒的な静かさというのもなかなか不気味なものだとボルディーは思った。
自分の伸びた影が木々の濃い影に溶け込む。
ボルディーは静けさの先に潜んでいる殺気を刹那に感じ取った。
ここに、長居はできないだろう。
考えなくても頭の中でそう何かが教えてくれた。
あの報告書も静寂を瞬時に切り裂き、気づけば壊滅状態であったと書かれていた。そういうやり口なのだろう。大層頭が切れそうな相手だ。
その静けさの中でボルディーは今までに逝ってしまった同胞たちの姿が生々しく自分の記憶の中で蘇っていた。
その中にまた、新しくあの頼りなさげな優男の顔も混じっていた。
まだ、話したいことがたくさんあったのに。それも、もう叶わない。
ボルディーはこの静寂に不快なものや不安感は抱かず、嫌いではなかった。
静寂のさなか、久しぶりにふつふつと沸き上がる感情にほぼ身を委ねる気でいた。
ふと、獣の強い匂いが鼻を燻った。
それと同時にまさに静寂を突き破るように、生き物が発しているとは思えないほどの轟音とともに白く光る爪が目の前に迫っていた。
ボルディーの肉体にその爪が深々とくい込んだ。
柔らかい人体はそれを吸い込むかのように、爪は完全にボルディーを貫いていた。
「なかなか、やるじゃん」
ボルディーは痛みで顔が歪みながらも、笑った。
その笑みは微笑むような笑みではなかった。
まるで獲物がかかったと喜ばんばかりに、ニタリと笑っていた。
その瞬間、彼女の肉体はどろりと溶けて崩れていき、黒い液体となり闇に沈んだ。
そう、これはただの影だ。影なんかが喋れるわけがない。
声がしたのは爪の持ち主の上からだった。
ボルディーの中でふつふつと湧いていたものが、大きく膨れ上がって瞬く間に激しく燃え上がった。
ボルディーはその忌々しき魔獣に全てをぶつけるかのように、その太い首筋めがけて鉈を大きく振り下ろした。
***
パラパラと水滴が窓を叩く音が聞こえる。雨が強くなったようだ。
暗い部屋の中、今が昼か夜か、起きているか起きてないのかの線引きも曖昧な生活を続けていたユースの耳に、その音が入るも直ぐにまた頭の外にすり抜けていく。
雨季に入ったのか、そうでないのかは分からないが長いことこの音は鳴り続けていた。
不快ではないが、これ以外特に大きな音がしないので何故かノイズのように大きく感じられることもあった。
前までは自分が雨の音を、ノイズのような雑音として認識したことは今まではなかったのだが、このノイズとともに右目の奥が疼くようにズキズキと痛むことがあった。
包帯がようやく取れた顔には傷は残らなかったものの、右目を酷く損傷してしまったようで視力は格段に落ちた。
以前よりも薄暗い見慣れた天井がぼやけて見えるようになっていた。
ノイズとともにやってくる痛みは、酷い時には頭を抱えたくなるほどにそこが抉られるように痛んだ。
最初はまだ完全には治っていないから痛むというのが医者の結論であったが、のちのちどうやらこれはないはずの痛みを脳が勝手にそこが痛むように思うことで痛んでいるということらしい。
失ったはずの足が何故か痛むという話を聞いたことがあったが、自分が感じている痛みもこれと同じなのだろうか。
しかし、目は失っている訳では無いのでまた別のよく似たものかもしれない。
どっちにしろ、ユース自身は己の身がおかしくなっていることに変わりはないと思った。
明かりのない部屋の中で何をすることも無く、ユースはベットのうえで手足を投げ出して無駄な呼吸だけを繰り返している。
歩けるくらいにはなったというものの、まだ寝返りを打つ時には体のどこかが痛むこともあるし、そもそも歩けるようになってもやれることなんて何も無かった。
ユースは何をするにも手付かずで、まるで「身体」という入れ物だけがそこにあるような状態だった。
皆が変わり変わり様子を見に来てくれたり、声を掛けたりしてくれるも、それには曖昧な返事しか返せずにいた。
しかもかけてくれた言葉は後からほとんど思い出すことができず、もしかしたら夢ではないのかと思えてくるほどだった。
それが過ぎ、1人になると決まって同じことを考え続けていた。
なぜ自分は生き残ってしまったのだろうか。
ベットの上で永遠とこれを繰り返していた。
目を閉じれば否応なしにあの時の記憶が生々しく頭に流れ込んできた。
くぐもった視界での光景でも、グリークのあの悲しそうな最後の顔が鮮明に焼き付いて離れない。それが余計に自分を責め立てていた。
目の奥がまた疼き出し、ごろりと寝返りを打つ。
ふと、ベットの隣にある小さな机に目を向けると、その上に布で包まれた細長い物が置いてあった。
これはユースが昏睡から目を覚ました時に渡された。
グリークがいつも使っていたレイピアだった。
自分はどうやら2週間近く眠っていたらしく、目覚めた時は記憶が混沌としていたがこれを目にした瞬間、走馬灯のように記憶が一気に雪崩のように押し寄せてきた。
これを持ってきたオブディットによると、彼は新しいレイピアを作ろうとしていたようだった。それでこの古い方はユースに譲ろうと思っていたらしい。
ユースはちょうどグリークからレイピアの使い方を教えて貰っていた時だった。
その貰った時以来、レイピアは手に取っていない。取っていないどころか触ってすらもなかった。
手に持つと、自分の中で溜まっていたものがいっきに溢れ出し、崩壊しそうで怖かったのだ。
また酷く右目の奥が痛んで、思わず頭を押さえたくなった。
泣いてしまえたらまだ楽になっていただろうか。涙なんぞもう枯れてしまった。
いや、そもそも楽になることなど許されてはいないのだ。
ただ、なにも出来ずにあの人を逝かせてしまったという自分に課した十字架を背負い続けるべきなのだ。
そうして、浮き沈みを繰り返す感情の中で揺れるユースの頭に突然声が響いた。
「やあ、ユース君。調子どう?」
声のする方を見れば、開かれたドアの前に長い赤毛を三つ編みにした女が立っていた。
「団、長……。」
ユースの喉から掠れた声が漏れた。
これも夢なのだろうか、それとも現実なのだろうか。もうどっちでもいい。
「ノックしたんだけどねぇ………返事無かったから待ちきれなくて開けちゃった。」
ボルディーはユースの返答を聞くことなくそのまま部屋に入ってきた。
ユースの覚束無い記憶を辿ると、ここの所ボルディーは毎日という訳では無いがちょくちょく話しかけに来ていたことを思い出した。
どんなやり取りをしたかはぼんやりとしたものでしかない。
ユースはベットから体を起こして、ベットの傍に立ったボルディーと対峙した。
ユースはこの人がちょくちょく話しかけてくる理由がいまいちつかめずにいた。
励ます……というのは大前提なのだろうが、ユースはそれ以外にも何かあるような気がしていた。
ボルディーが、ユースの顔を覗き込んだ。
「包帯取れたんだ。顔の。」
ユースは軽く頷くだけだった。
「傷は残ってないようだけど…………視力は?」
ボルディーは少しかがんで、ユースの伸びきった前髪を退かした。
そんな間近に顔を持ってこられてもユースの右目はその姿を映し出すことは出来なかった。
「かろうじてわかるのは……明るいか暗いかだけです…。それ以外はなにも………。」
「そっか。」
ボルディーは頼りなく答えるユースを見ていた。
ボルディーは顔をユースから離した。
「酷く落ち込んでるけど、大丈夫?………まあ、そんなわけないか……」
ボルディーは特に独り言のように言い、頭を書いた。
ユースからの反応はない。
「そんな落ち込むことないよ、あの状況じゃ仕方ない。結構手強かったし。」
ボルディーは手首を揉んだ。
ボルディーは先日の任された仕事であそこに行ったらしい。その時のことをポツポツと話してくれた。
しかし、その声を遮るようにユースが言葉を発した。
「俺はあのとき何も出来ずにみているだけしか出来なかった………だから、あの人を死なせたも同然だ。」
特に考えて口にしたことではなかった。口がそう喋ったという感じでユースは話した。
「何も出来なかったのは僕も同じだよ。あの場所にすらいられなかったんだから。ずっと彼に任せっきりだった僕にもそれはあるよ。」
「でも、目の前の人を俺は助けることができなかった……。」
また右目の奥がズキリと痛んだ。今までで1番酷い痛みが走った。
「………まあ、何はともあれ彼が死んだのは君のせいじゃないよ、それに……」
ボルディーのその次の言葉が、その痛みをユースの意識の外にはじき飛ばしてしまった。
「そういう運命だったのかもしれないよ。」
一瞬、全身の感覚が止まったようなように感じでユースは思わず彼女の方を振り向いた。
ボルディーの顔はなにも悪びるようすもなく言葉に棘もない。
真実を突きつけるかのようになんの感情の動きなどなくそう言った。
だが、かえってその様子がなにか体の芯が一気に凍りつくような感情を抱かずにはいられなかった。
誰かが死んでも特に傷つく必要はないというのとなのだろうか?
「まあ、僕達は人の死に慣れてしまっている………というのもあるけどね、僕の昔の上司が言ってたんだ……まあ、そいつも今はもういないんだけど。」
何も言えずに呆然とするユースに対してボルディーは淡々としている。
「悲しむのは自分のためだって、その当然に起こりべく運命に嘆き悲しむのはただの自己防衛に過ぎないってさ。」
ユースはただ、聞いているしかなかった。
「酷いだろ?そんな簡単に『運命』の一言だけで片付けられてしまうなんて。」
ボルディーは眉をひそめて、困ったように笑つた。
「でも、実際そうなんだよ。前線にいてひしひしとそいつが言っていることが理解出来た。『弱いものが淘汰されていく』という『運命』にいちいち悲観なんてしてられない。戦場ってのはね、君たちが思っているよりも相当過酷な場所さ。………この過酷ってのは戦闘での過酷というのと、自分の精神的な方での過酷さのことだよ。」
まるで昔話でも進めるかのように、ボルディーはなんの迷いもなく話しを進める。
「次々と倒れていく仲間と、同じように倒れていく敵。その中に当然自分が切り捨てた敵もいる訳だよ。そんなのが辺り一面にゴロゴロと転がっているんだ。その転がっているのはもう誰だか見分けがつかくなっていく。最終的にはどっちだったか、何だったかもわからなくなる。」
あまりにも生々しい戦場の実態に、ユースは久しぶりに背筋が凍るような人らしい感情というものを思い出した。
「みんなそうなる頃には国のために戦おうなんて考えてるやつはそうそういないよ。生き残るために必死さ。目の前の同胞が余計にその気持ちを駆り立てる。そしてそのために、人を切ってしまったことに対する自己嫌悪。その他にも悲しみ、怒り、恐怖、興奮、虚無なんかの混じった果てしない感情が渦巻いて戦争ってのは出来てるんだよ。………だからこの果てしない感傷の渦を人は『運命』の一言で片付けてしまう。」
彼女は肩を竦めた。
自分にも分からない得体のしれない巨大な感傷に名前をつけるなら『運命』ということなのだろう。
ユースはただ掛けるべく言葉を見出すことが出来ずにここまでの話しを聞いていた。
「まあ、その全てが用意されていた道で起こるべくものであったと言い切って、その道に任せっきりにして生きていけば、これは『運命』だと割り切れて傷つくことも無いしたいそう楽だろうよ。」
ユースが何かを言おうとしても喉元で言葉がつっかえる。自分がその考えを否定しようとしても、その言葉が見つからない。
彼女の言っていることが間違っているわけではないからだ。
その甘い言葉に身を委ねてしまえたら…………この気持ちからも解放されるだろう。
「けど僕はそれがどうしても嫌だった。」
突然変わったボルディーの口調がユースの思考を突き破った。
いままで淡々と事を述べていたなんの波のない口調が、一気に強い怒りを含んだものに変わっていた。
彼女の目にもきつい光が灯されていた。
ユースはその光に目を奪われた。
「確かにね、『運命』ってやつはあると思うよ。僕は。けどねそれだけで片付けられてしまったら、命を落としていった同胞や仲間………彼らがいなくなったことを悲しむことすらできないなんて、彼らは無駄に生きていたと言っているようでね……。彼らが死んだのは『弱いものは淘汰されていく』という『運命』だったから?たとえそうだったとしても『運命』に抗って必死に生きていたんだよ。運命に悲しむのは自分のためだってのは間違いではないんだけどさ、その悲しみは自分を突き動かすものに変われるんだ。」
ボルディーのその目の強い光がより一層輝いて見えながらも、その中に悲しみの色が混じっていた。
あれだけ痛んでいた右目の痛みもいつしか薄れていった。
「僕だって辛いさ。痛みに慣れたと思ってもいつでも痛いままなんだ、人は。……けど僕はそれを糧にしてここまで来れたんだ。誰も無駄に生きてただなんて思いたくない。だからその人の分まで強く生きていくんだ。」
ユースの目の奥が熱くなる。痛みで火照るような熱さではなく、どこか優しく包み込んでくれるようなものだった。
気づいた時には、ユースのその青い瞳から涙がこぼれ落ちていた。
「君はそのままでも強い子だよ。……けど、全て背負い込むにはまだ早い。だからそれを背負いきれるくらいに強くなって生きようさ。どんな『運命』が迫ってこようとも……。」
ユースはボルディーに抱きしめられていた。
「ごめんね。こんな若いのに背負い込ませてしまって。」
体の中にあるものがどんどん溢れかえってくる。それとともに涙もぽろぽろと溢れてきた。
涙は既に枯れてしまっていたと思っていたのに、止めようとしても次から次へとこぼれ続けた。
ユースはボルディーに抱きしめられたまま、声をあげて泣いた。
雨の音は聞こえなくなっていた。
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