LASTArk past at Iniquity 6
「ねぇ、何してるの?」
音のしなかった部屋に突如声が響いた。
ロウディアは顔を上げて、声の持ち主のほうを向いた。
アーサーが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
ああ、これか。ロウディアは手元に目線を落とした。
自分が今手にしているのは木製の櫛。それと、小さなナイフだった。
ごくごく普通の櫛。木製で作りはしっかりとしている。
櫛には先ほどつけられた真新しい3センチほどの傷があった。
「あー、アーサーは知らないんだったっけ。」
「え?何を?」
ロウディアは淡々と口を開いた。
「昔教えて貰ったんだけど、人が死んだらその人の遺品に傷をつけるんだってさ」
「へぇ、何で?」
「なんかこの世での役目を終えるんだってさ。そしたらあの世でもその遺品が使えるようになるんだって。」
アーサーはへぇー、とのんきそうな返事をした。
が、次に彼の口から飛び出したのは意外なことだった。
「………あの世って本当にあるのか?」
ロウディアの手がピタリと止まった。
すべての音がまるでどこかに吹き飛んでしまったみたいのような静けさが訪れる。
「………なんでそんなこと聞くのさ」
驚きを隠せずも、ロウディアはぶっきらぼうに尋ねた。
「だってさ………。みんなあの世とか言うけどどんなのかは誰も知らないじゃんか。いいところだとか、恐ろしいところだとか。所詮人の空想でしかわからなくて……。実際ノエルがそこに行けたかどうかもなんとなくでしかない……」
互いにしばらく黙りきってしまった。
重苦しく、沈黙が再びのし掛かる。
二人が今いるのはどちらかの自宅ではない。しばらく使われてなかった家具にはうっすらと埃が積もっている。
ここはノエルがかつて生活していたところだった。二人が再びここに来るまでは僅かながらも彼女の痕跡を残していた。
ここに来た理由はいたって普通。遺品整理だ。
本来なら家族や親族が請け負うのだがノエルは親もいなければ兄弟もいない。親戚も誰なのかわからずじまいだった。
そこで前から親しかったアーサーが遺品整理を名乗り出たらしい。ロウディアはアーサーから手伝ってほしいと頼まれた形で共に作業をすることになった。
かれこれノエルの突然の自殺から1ヶ月とちょっとが過ぎていた。
換気のために開いた窓をふと眺めてみるが、ただ見慣れた景色が鎮座しているだけでしかない。
「あいつがいなくなってからどうだった……?」
沈黙を破りアーサーが問いかける。
「さあ、さすがに1ヶ月も立つと……あるていどは整理ついたけど……」
最初は自分なりに結構取り乱したとロウディアは思っていた。
この家の前を通る度にあの日の映像が、突然頭の中で投影されてその場で起こっているのではないのかと錯覚を起こしていた。
一週間くらいは突然ぼうっとしたり、いつもより気分が乗らなかったりを繰り返していた。
それはだんだん薄れていってぼうっとすることはなくなったが、気分が乗らなくなったのはまだ治ってなかった。
それと、葬儀のときも最終的に今に至るまでもなぜか涙を流せなかった。
それが、何なのかは自分自身でもわからなかった。
「あんまり気分とかは乗らないね。まあ、前からそんな感じなんだけど」
アーサーはそっかと、そっけなく言った。
「俺自身もだいぶ落ち着いては来てるよ。けど………やっぱりどこかで受け入れられてない。というか、その………」
アーサーが言葉を詰まらせた。
「いまいち自殺した理由がよくわからないっていうか。あの噂は確かにショックだったのかも知れないけど、俺自身もノエルから離れるように言われていたんだ。噂だけでそんな離すようなことをするかちょっとわからないし……」
「ノエルは案外抱え込む所あったけど、噂だけでそう悩みまいってしまったってことはちょっとおかしい………ってこと?」
ロウディアの解釈にアーサーは頷いた。
ロウディアは手元に目を落とすとこれまでの経緯を紡ぎだした。
ロウディアもあれやこれと内心考えていた。
自殺の原因に噂があることは間違いないとは思っている。
が、噂は噂だ。今はほとんどロウディアが聞いている所ではほとんど話されていなくなっていた。噂ほど根拠のなく流れていくものはない。
噂は放っておけばどこかへ飛んでいってしまう。
のに、それに耐えかねて自殺をする?そのような趣旨の噂がそう何個もぼかぼかと沸いているわけでもないのに?
ロウディアの答えはノーだった。
まして、ノエルだ。
噂よりもひどいことは前にあっただろうに。ロウディアとよく話していたのであのお嬢様たちがちょくちょくなにか茶々をいれていただろう。
それと噂は比べ物になるかならないかはノエル本人次第だが、かれこれ十何年は続いていたわけだ。
ロウディアは自身のがあまり使い物にならない頭であっても、いろいろ推測していた。
「やっぱりちょっと理由としても薄いとこあるよな……。」
「うん。なにかしらあったって考えたほうがいいかも………」
だが、二人の思考はここで停止する。
あったとすればなにがあった?
顔を見合わせるも、互いの困った顔が視えるだけである。
ノエルとの関係を絶ってしまっていたために、彼女の周りで何が起こっていたのかはすっからかんだ。
「「………………。」」
もう、考えるのはやめておこう。
そんな視線をロウディアが送るとアーサーも同じことを考えていたようであった。
再び二人とも作業を再開した。
気づくとアーサーもどこからか見つけたのか小さな小刀を持っていた。
ロウディアと同じように、遺品に一つ一つ小さな傷をつけていった。
あの世でも身の回りのものを使えるようにこの世で役目を終えさせ、あの世で使えるようにする。
そういえば、誰にこんなこと教えてもらったのだったか。
その人はあの世を信じていたということになるなと、ぼんやりと頭の中に浮かんだ。
ロウディアもあの世のことは否定はしない。現にこうして傷をつけているわけだ。
だが、大抵の人がセットであの世には神様がいると言うがそれはてんてと理解できなかった。
そもそも神様はなんなのだ。
本を読めば世界を見下ろしているだの、動物のような姿だの、絵画を見ればだいたい人と同じような二本足の形。たまに背中に翼が映えてたりもするが、それ以外は特に違わない。
異常な天候や、地震や疫病を目の当たりにすれば神がお怒りだの、天はすべてを見ているのでそれに報えだの、神はすべてを許し救ってくれるだとか。
解釈によって姿はバラバラ。なにか悪いことを目の当たりにすればそれに救いを求める。
実際それで救われているのか?
災害や疫病から生き延びたものはいるだろう。
だが本当に神が手をさしのべてくれたのかどうかといっても証拠はないし、「きっと」とかの類いでしか表現不可能だ。
誰でも救われているのだったら、自分自身を救ってくれてもいいだろうに。
ロウディアは幼い頃にそれを目の当たりにしていた。
昔のことは思い出すといいことがないので、蓋を閉めて頭の奥底に埋めてしまってある。
どれだけ助けを求めて祈っても結局の今に至っているのが現実であった。
神なぞ大衆の空想でしかないと自覚したのはまだ10になる前だったか。
視線を感じて、思考から離れロウディアは顔を上げた。
「なにさ」
「え、いや……。特に……」
視線の正体は隣のアーサーからだった。
なにかおどおどと様子を伺うかのような顔でこちらを見ていた。
「なんか、怒ってる……?」
「へ?いや、別にだけど……」
少々考えすぎて顔に出てしまっていたようだった。たまにこういうことがある。
ロウディアはそのまま思考を絶ちきって、しばらくその神については放置しておくことにした。
どうせ考えたって結論は見つからないだろう。繰り返せば繰り返すだけ阿呆になるだけだ。
「あれ?これで最後だった?」
アーサーが箱を覗いて、そうぼやいた
整理をするために、遺品はまとめて箱に入れてあったのが箱が空になっていた。
「あー。そうみたい」
他にもこのような箱がいくつかあったが、それもすべて空。
つまりは、すべての遺品の整理が終わったのだ。
「これで最後かぁ……。へぇ……」
アーサーはそう言うと空っぽの箱を積み上げた。
その積み上げられた箱の横には処分される物が詰められた袋、さらにその横には供養するために別の箱に納められた物ある。
中身は日記とかが中心だ。さらに、二人が知るかぎりのノエルが生前大切にしていたものを入れたつもりである。
本人がいない遺品整理はなかなか気を使う。
これが終わったことでここの家は新しい誰かに引き渡されるか、取り壊されるかのどちらかだろう。
ロウディアは、すっかりノエルの形跡が消えた部屋を見渡した。
今、ここに用はなにもなくなったし思うこともない。
それがどこか物寂しさを形どっていた。
***
一人、宛もなくとぼとぼとロウディアは足を進めていた。
最後の整理を終えて、アーサーとは家の前でわかれた。
彼はこれから整理したものを教会へ持っていくらしい。そこで遺品を供養をしてもらう。
別れ際に大きく手を振っていた、アーサーを跡にしたのはいいが特にすることもないししたいこともなかった。
家に帰っても寝るくらいしかないし、寝るにはまだ早すぎる。かといって暇を潰せるような所もなかった。
用は暇なのだがやる気が起こらない。これほど面倒なことはないだろう。
寝るにも寝れず、することもなくぼうっとするのは個人的に好きではなかった。
教会はあまり好きなところではないが、どうせならついていった方が良かったかもしれない。
手持ちぶさたが作り出すのか、ロウディアは無力感をずるずると引きずる体でただ歩いていた。
軽くため息をついて、顔をあげた。
今まで下を向いたまま歩いていたのでどの方向に向かっているかなんて考えてなかった。
気づけば墓地の前だった。
「あ………。来ちゃった……」
特に意図してなかったのでポツリと呟いた。
村から少し離れた所にこの墓地はあった。
夜はたまにその辺の子供や輩たちが度胸試しといってここに来ている。
ロウディアも一度だけ3人でやったことはあった。この村の出身者は誰もが経験することらしい。夜にちらほらと声が聞こえたりした。
夜の墓地はだいたい気味が悪いものだが、ここはそんなに広いわけでもなく墓標の数も少ないので、さほど怖いものではなかった。
その中に新しい墓標が一つあった。
見つけるやいなや、ロウディアはそこにまっすぐ歩いていって、かがんでそこに刻まれている文字をなぞった。
ぼこぼこと名前の刻まれた所のへこみが指に伝わる。
N……O……E……L……。
触れている文字を一つ一つぽつりぽつりと読み上げた。
ここに改めてやって来たのは葬儀の直後ぶりだ。約一ヶ月も足を運ぶ気にはなかなか慣れなかった墓地にようやくやって来たのだ。
彼女の形跡が全てなくなってしまったからこそ、彼女を偲ぶことができるのはここでしかない。
「ごめんね、遅くなった」
言いたいことはそれだけだった。
ロウディアは、また軽く名前をなぞった後に立ち上がった。
今度また来る時は花でも持ってこようか。
そう考えて歩き始めた時、遠くから声が聞こえ始めた。
大きくなってきていることから、こちらに向かっていることは間違いない。
「………げっ」
ハッキリと聞こえるようになると、ロウディアはとっさに木の後ろに隠れた。
声の主は、あのお嬢様の子分(勝手にそう呼んでるが語弊はないだろう)たちだ。
ノエルが死んでからしばらくはなかったものの、またいつも通りにたまにぞろぞろと押し掛けてくることはあった。
しかも、なんとなくでしかないが、増えているような気がしていた。
ただでさえ、こっちは関わりたくないので声が聞こえるやいなや、ロウディアは最近隠れている。これが最善である。
だが、この二人はユーリをいつも取り巻いているお決まりのメンバーではなかった。
回りにあわせてたまにくる、傍観者のようなものである。
今日は隠れるほどではなかったか、と思いながらもロウディアは木の影からすこし様子をみてみた。
二人はこちらに歩いてきたが、ロウディアが隠れている木の前はなにも気に止めることなく、素通りだった。
話に夢中になっているようでこっちには気づいていないようだ。
耳を澄ましてみれば、ぽつぽつと聞こえてくるのはごくごく普通の掛け合いであった。
気づかれていないのならば好都合。とっととここから立ち去ってしまおう。
そうして、ロウディアがそろりと立ち上がろうとしたとき。
あの二人は墓地を目にしたとたんに、話の話題が変わった。
「……ノエル、死んじゃったんだよね。」
「うん………。」
ロウディアの耳にももちろんこれは聞こえていた。
彼女たちはいきなりどうしたのだろうか。
それを聞くと、ロウディアの体は動きを止めて、意識だけを会話に向け始めていた。
「原因はやっぱりあの噂……だけじゃないよね」
やはり、彼女もそう考えているようである。関わりが深くないので勘づいているだけでしかないようだが。
「そうだよね……。けどあの噂は追い討ちみたいなものじゃない?」
「え?どういうこと?」
(…………?)
その、どういうこと?にロウディアも同意見であった。
さらに、会話は続いた。
「噂の発生源……まあ、それって特定使用がないんだけど。それ、誰から聞いたか皆にちょっと聞いてみたことがあるんだけど……。」
すこし間があいて、声は小さくなった。
しかし、一応聞き取ることのできる音量ではあった。
ロウディアの耳にそれは深く残った。
「大元をたどるとなんか……だいたいがユーリから聞いたってなるんだ。それでユーリにも聞いてみたら、誰かが話しているのを聞いたから知らないって。」
会話に意識どころか体も持っていかれそうな衝動に刈られた。
ロウディアは、それをなんとか押さえつけ思考に走った。
噂の発生源がユーリである可能性がある。
しかし大元たどっていって、たまたま行き着いたのがそいつだったいうことも、一応はあり得る。
噂のまた噂のであるので確証は低いであろう。
ロウディアがぐるぐるとあれやこれやと、頭を回していると新たな情報が飛んできた。
「けどさ、誰かが話しているのを聞いただけでそれを何人もの人に話す?少なくともユーリから聞いたっていってる人の数だけ話したことになるよ?」
「言われてみれば……うん、そんなに大々的に話さなくてもある程度は広がると思うけど………」
噂は2、3人に話してしまえばそのまま広がっていくものである。
そして、あっという間にいつの間にか皆が知っている情報となる。
要は、並べられた積み木のどこかを押してしまえば、立て続けに他の積み木も倒れ始めるのと同じである。
それなのにわざわざ大きく広めにいった?
話を聞く様子から2、3人ではないのであろう。
そこまでひろめたかったのか?
あるいは………早く広めたかった?
ここまで考えて、いてロウディアはある可能性を見いだしていた。
その先にドロドロと黒いなにかがある。
それがなにかはわからない。
しかし、考えるほどそれは大きくなっていく。
この可能性はまだその可能性の域を越えていない。そうとは限らないと、飲まれぬように冷静を装い続けた。
「それとさ、あんなことされたり言われてたらなら……そうとうつらいよ……。」
一瞬装い続けた冷静も、そのさきのものも、すべて止まってしまった。
とうとうロウディアは影から顔を覗かせた。
「え?なに?」と、一人が訪ねると、もう一人は耳を貸してくれというような手振りをした。
耳を貸すと、ひそひそと小声でなにかを喋った。結構長いことなにかを喋っていた。
聞き手は時折、驚いたような、なにかで顔を歪めたりしていた。
すべてを聞き終わると、驚きと哀れみや嫌悪。ひとつの単語では収まりきらない顔をした。
残念ながら話の内容は聞き取れ切れなかった。
本当は聞き取れていたのかもしれない。
その後も、小声ではなくなにか話しているはずなのに何も入ってこなかったのだ。
どちらにせよ、話された内容はなんとなく予想はできる。
それも予想だ。真実とは限らない。さっきの話はもっと別のことだったかもしれない。
ロウディアの頭のなかでそういった言葉が並ンで行く。
それでどうにか、溢れる何かに理屈で蓋をしようとしていた。
外から声が聞こえてくる。なにか言っている。
それをロウディアが理解するのはすぐのことだった。
「それって、もうユーリがノエルを―……」
冷静でいられるように、さらに何かを押さえられるようなものを求めはずだったのに。
どうしてしまったのか。
ロウディアはそれを最後まで聞き取れなかった。自分がその場から気づかれるのお構いなしに立ち去ったからだ。
そんなのどうでもいい、聞きたくもなかった。
黒いドロドロとしたものは、蛇口がこわれてしまったかのように脳内をどぷどぷと沈めていく。さらに沸き上がるにつれて、ぐつぐつと熱を持ち始めた。
どこへ走っているのか、どこを走っているのか、どっちへ走っているのか。そもそも自分は走っているのか。
自分が何をしているのかもわからなくなるとはひどく滑稽なことである。
たが、今の自分はもうどうにかしてしまっているのだ。
こんなに走ったのはどのくらいぶりだろうか。
ただ、ずぶずぶと黒い何かに沈んでいく自分の姿だけは想像できた。
これはなんだ?何なのか?沈んだらどうなる?
今の状態はまるで、現実にはないのにそれから体が逃れようとしているようだ。
未経験から産み出される恐怖とはこういうことなのであろう。
もう足も痛み、喉も焼けそうになってしまうほど痛んでもおかしくはないはずなのに。
自分がもつ肩の辺りまで飲まれてしまっている。
このまま行けば、溺れる。完全に沈む。黒に飲まれてしまう。
しかし、そこから這い出す術がわからない。
このまま沈む様を見ていることしかできないのだ。
足が縺れて、大きく転んだ。
ひどく転んだはずなのに痛みもわからなかった。
との同時になにかが切れたような、…そんな音などはどこもしなかったのだがプツリと切れてしまったような気がした。
ロウディアはそのまま、しばらく起き上がらなかった。
「お前、どうしたんだ」
前方で声がした。
「派手に転んでしばらく起ねぇって、どっか変なとこでもぶつけたか?」
久しく聞いていなかった声だ。てっきりここからもう去ってしまったものかと思っていた。
「……いいの。もうおかしくなったあとだから」
ゆっくりと起き上がって、体についた土を払った。
足から血が滲んでいるが痛くはなかった。
「はぁ?どういうことだよ?」
ロウディアは改めて前方を確認した。
ここまでこれば誰がいるのかはわかっていたが一応だ。
黒い角を生やした、思った通りのヤギの獣人がそこにたっていた。
「お前………」
男がなにかを言いかけたが、口を止めてしまっまった。
しばらくなにかを伺うような、考えるようなそぶりを見せた直後。
男は大きく口を開けて、天を仰ぎ笑い始めたのだった。
何の前触れもなしにただげらげらと笑っている。
もはや狂ってるとも言える笑いっぶりだった。
そして、笑いながらこんなことを言った。
「ははっ、はははははっ!どうしたんだよ、その目!まさにさいこうじゃねぇか!ははは!」
ロウディアはただ、聞いているだけだった。男の様子に何も思わなかった。
いつもなら、ドン引きしててもおかしくないが。
そのまましばらく笑い続けて調子が元に戻ってくると、男は続けた。
「あー……。お前、今なにかどうしようもなくなにかをぶっ壊してぇんだろ。俺にはわかるぜ。そういうやつってのは皆同じ目をしてる。奥に感情が入り交じってどす黒くなってしまった何かを持っている」
男がロウディアの顔を覗きこみ、じっと何かを見た。
男が見たものは自分自身ではみることのできないものなのだろう。
ロウディアはなんとなく理解していた。
「そういうやつを何人とみてきたさ、けどな………。」
男が顔を離して、にやりと。笑みを浮かべた。
相変わらず悪そうな笑いかたをするやつだ。
「お前以上にいい目をしたやつは見たことない。………最高だ」
そう言うと、また大きく笑い声を上げた。
もはや狂っているとも言える、とさっき思ったが、もうこの男は狂いに狂っているのに違いなかった。
「ねぇ」
笑い転げる男に対してロウディアが口を開いた。
「聞きたいことがある」
それだけを男に呟いた。
男はしばらく、笑い続けて、それが収まると
「なんだ」
と、言った。
顔は笑ったままであった。
「まあ、だいたいの聞きたいことってのはわかってるけどな」
男はどうだ?と、いうような顔ででこちらをみた。
「ああ…………うん、たぶん正解…」
久しぶりに、自分の口角が上がっているのにロウディアは気づいていた。
影は伸びていき、濃くなっている。
もうすぐ黄昏時だ。
***
今日の夕暮れは雲が多いせいか、いつもより暗く感じる。
空と同じく、赤く染まる雲を数えたり眺めてみたりしていた。
空は赤から紫に変わりかけてきている。
こんな時間ならなにか用がないかぎりもう家に帰ってしまっている。
たが、まだやらなければならないことがある。
薄暗くなり、少し遠くを眺めるのには不便があるが見えないわけではない。
それに他の感覚もある。遠くから聞こえる足音とぼんやり見える影からだれかが歩いてきているのがわかった。
この時間帯なら、あれはこの辺りを通っているはず。
ロウディアは普段はあまりここに来ることはない。来てもいいことがないからだ。
ロウディアは木に凭れて、あれがゆっくりとこちらに近づいてくるのを待った。
近づいてくるにつれて数がハッキリとわかってきた。
数えると3人。
いつもよりは少ない。おそらく帰路が同じ方向のメンバーだけ残っているというところか。
ロウディアは静かにその時を待った。
自分から行く必要はない。向こうから必ず食いついてくる。
ロウディアはただそれを見ているだけだ。
ついにこちらから姿がハッキリと見えるようになるところまでやって来た。
「……あら」
とうとうこちらに気づいた。
さて、どうくるか。今日はこないのか?
とロウディアは、しばらくぼうっと考えながら様子をみていたが安上それは、ユーリは食いついた。
「なによあんた。さっきからこっちみて」
ついていた後ろ二人は、そっちのけで一人だけ距離を詰めてきた。
ロウディアは木にもたれ掛かったままだった。
「別に、顔を上げたらたまたま目があっただけじゃん」
まだだ、今ではない。
ロウディアは話を適当に返して、時を待つ。
後ろ二人も蔑んだ視線を送っている。
特によく絡んでいるいわゆる首謀グループというところか。
「こんなとこにいるなんて珍しいわね……。目障りだから嫌なんだけど」
「たまたま、歩き疲れて休んでただけだけど」
ここもいつも通りを装い、話を返す。
タイミングを計りながら、己を抑えながら。
「相変わらずの態度………。あの子がいないといつもそうよね。」
そうだ、いつもならこんなことになっていたらノエルが仲裁に入っていた。
あの子のおかげである程度の距離が作れていたのかもしれない。
そういうものは今はどこにもない。
握った手は震えていた。
だが、まだ足りない。もう少し。
その間にユーリはなにか話していたようだが、頭にはいっては来なかった。
何か起点がもう少しでくる。必ずその時がくる。
ロウディアはそう言い聞かせた。
最近面と向かってあっていなかったため何か確証的に、トリガーとなるものをぶつけてきてもおかしくはない。いや、絶対にくる。
目的を果たすためなら方法は厭わない。
今までから、この女はそういうものだとわかっていた。
もうしばらく待てばいい。そのときに一気に吐き出してしまえばいい。
それがくるという、予想は外れてはいなかった。
不意にやってくるものだ。
「あの子がいないからこうやって話せるのは嬉しいわ。邪魔で仕方がなかったし__……」
ロウディアの頭の中がつかの間、停止した。
「……今、何て言った?」
「あなたの耳はどうなってるの?だから邪魔_」
それ以上先は聞こえなかった。
いや、言葉にされなかったというのが正確だろう。
薄い闇の中でも、鮮やかな赤はしっかりと目に焼き付く。
ロウディアは目の前の女の喉を切り裂いていた。
吹き出した鮮血を見るのと同時に自分の中で抑えつけていたものを一気に吐き出した。
あの子は何で死んだ?何で命を絶った?なぜ?何があの子をああした?誰がああした?
「お前のせいだ……何もかも……!」
喉を切っただけでは収まらない。
ロウディアはそれを言い捨てると、すかさず支えをなくして倒れかけた胴体にまた斬撃をいれた。
さっきよりも大きく鮮血が飛び散った。
どしゃりと、血を撒き散らしながら体が完全に地に落ちた。
言葉をそのまま形容したように真っ二つになっていた。
だくだくと血は流れ、赤い地図を作っていく。
ロウディアはそれを見下ろしていた。
ほぼ首の半分ほどまで切れて、何とかつながっているだけのユーリの頭は目を見開いたまま凍りついていた。
ロウディアは斬死体の頭をかるく蹴った。こいつのことはもう、思い出したくもなかった。
ただ、ざまあみろ。と、返り血がついた顔で薄く笑ってやった。
端からつんざく悲鳴がロウディアを現実に引き戻させた。
ロウディアがそちらを見ると、二人と目が合った。
さっきの蔑んだ目はどこかにいってしまい、完全な恐怖に染まっていた。
目が合うなり、二人はどこかへ走っていこうとした。
逃がすか?
いや…………こいつらも同罪だ。
ロウディアは背を向けたうちの一人の、その背中めがけて刃を振りかぶった。
白い残像が目に残り、切れていく肉の感覚が手に伝わっていく。
またも闇に赤が鮮やかに舞い散る。
体は糸が切れた人形のように、地面に落ちて動かなくなった。
もう一人はそれを見て、完全にその場に崩れ落ちてしまった。
そして、しきりに「神さま、神さま」と、乞いじめた。
それを見るなり、ロウディアは容赦なく赤く染まりきった刃を振り下ろした。
「神さまなんていない」
最後にそう、教えてあげた。
***
村から大きく外れた崖の上の岩に、一人腰を下ろしていた。
完全に日は落ちて、今夜は月も出ていない。
星の光だけが夜を照らしていた。
「おう、終わったか」
後ろから声をかけられて、ロウディアは振り返った。
あの例のヤギの獣人の男がひらひらと手を振っていた。
「さっきちょっとみてきたけどよ。まぁ、大騒ぎだったよ。ありゃ完全に戻れないな」
男が笑いながら言った。
「いいさ。必要なものはすでに持ち出しておいたから。………戻る必要もない」
ただ、アーサだけがちょっときがかりかなと。それは心の中にしまっておいた。
もう会うことはたぶんないだろう。
男は座っているロウディアの隣に歩いてきた。
男はロウディアをみるなり「おいおい……」と、あきれたように呟いた。
「お前返り血ついたままじゃねぇかよ。落とせ」
「今はめんどうだから後で」
男が顔をしかめて「きたねぇやつだな」と、言ったような気がしたが無視した。
ロウディアはぼんやりと星を眺めた。星をじっくり眺めたのは久しぶりだった。
昔誰かに星座を教えてもらった覚えはあったが内容はさっぱり覚えてなかった。
わかるとしたら北極星くらいしかなかった。
男はロウディアが座る反対側の岩に腰かけた。
「しかし、お前よくこんな短期間であれだけのことできるようになったな。正直ビックリした」
あの日から、こっそり夜な夜なこの男から殺人術を教えてもらっていた。
どこを刺せば動きを止められるか。どこを切れば相手を仕留められるか。
今回はその、教えてもらった人間の急所に従っただけだ。
「さぁ、結構簡単だったけど。だって切るだけじゃん」
「お前才能あるわ」
この才能は誉められていいものなのか。ロウディアはよくわからなかった。
「………これからどうすればいいの?」
ロウディアが一番考えていたことはそれだった。
まず、ここから逃げるということだけは直感でわかったがそれから先は検討もつかない。
逃げてどうするものなのか。こっち側の人間は。
「………まず、今回殺った人数は3人だろ?3人も殺って捕まればよくて極刑……まあ、ほぼほぼ死刑だ」
首飛ばされて終わり、と、そう言いながら男は親指を下げて、それを首もとで横に引っ張った。
つまり、捕まれば死ぬということだ。
「お前は死にたいか?」
いきなりとんだ質問を突きつけられた。
ロウディアはしばらく黙った。
死ぬのは誰でも共通のことで、それを怖いと感じるのは誰からも経験談などを聞くことができない。つまり情報の不足によるものである。
ロウディアは別に明日死ぬと言われてもたぶんあっさり割りきれると思う。どうせならいままでの日々が死んだ方がましだったかもしれない。
だが、捕まって処刑されるのはどうだろうか?
民衆たちにより裁かれて然るべき罰を与えられる。
考えればこれは社会に殺されると言ってもいいだろう。
「やだね。特に誰かに殺されるのはもっとやだ」
ロウディアはぶっきらぼうに答えを言い放った。
男は「なら、決まりだ」と言って立ち上がった。
「まあ、ここにいるのはよくないな。明日には捜索が始まるだろ。逃げるなら今のうちだな。」
「なんとなくわかってたけど。どこにどうにげるのさ。いい場所なんて知らないけど。」
わからないので、この件に至ってはこの男に丸投げするしかない。
男はロウディアの問いに答えた。
「まあ、手配書ができるまでは時間はあるな。こういうのは意外と人が多い所に行くのがいい。木を隠すなら森の中っていうだろ?そこでしばらく紛れ込んで場所を変えていく。」
「へぇ、そうなの。」
よくわからないので適当に返事した。
「まあ、そこに逃げるなら、まだ別の問題がある。そこに逃げ込んでくるのは俺たちだけじゃない。他にも俺たちみたいな奴がわんさかいるわけだ。」
「つまり………そいつらと殺し合うことは十分有り得るってこと?」
ロウディアが言うと、男は「正解」と軽く言った。
「まあ、徒党とか組んだりしてるやつもいるけどな。最初のうちは皆一匹狼……。いつ殺されたって文句はいえねぇぞ」
その中でまた、血に染まりきった生き残るための争い。今度は相手も人の殺し方を知っているので一筋にはいかない。
男は間をしばらく開けて、口を開いた。
「それでもいくか?」
男の顔は悪い笑みを浮かべていた。
そのように、ロウディアも笑い返した。
「あたりまえじゃん。ここまできちゃったんだから」
男は満足して頷き、立ち上がった。
「なら、だらだらとはしてられねぇな。今から行くぞ」
「えー……。」
「死にてぇのか」
「死ぬよりはいいか…。」
ロウディアは気だるそうに立ちあがり、大きく伸びをした。
さっきまであちらの人間だったのに、完全に戻れないところまで堕ちてきてしまった。
落ちてきたことを悔やむ?
そんな馬鹿な真似はしたくもしようとも思わない。
堕ちた先でまた這い上がるまでた。
別に急ぐことはない。
先を越す、越されるなどない。生き残るだけが勝利条件のゲームだ。
完全に木々も眠ってしまう丑三つ時。
ロウディアとヤギの獣人の男………ルシフェンは静かに闇の中に消えていった。
静かに光る星だけが二人をみおくっていた。
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