LASTArk past at justice 5
とあるどこかの重苦しい扉の先。昼間で南の日が差し込んでいるというのに、この部屋は少しばかり薄暗かった。
それが回りの者でも同じことなのか、たんなる己の晴れない体のなかに何かが突っかかってる感じからなる勘違いなのかグリークには判断しかねなかった。
「えー、では最近の近状報告について………一番隊から」
中年の男が手に資料を持ちながらそう言うと、グリークの反対側に座っていた老人が白く、後ろに束ねた髪を揺らしながら立ち上がる。
老人といってもその体は貫禄があり時の衰えを感じさせなかった。
「こちら一番隊ですが、すこしばかり町のほうでいざこざがいくつかありました。それを除けばほぼ変わりなし。いざこざの発生源も終息へと向かっております」
このギルドには様々なグループが存在しており、それぞれ数字で番号付けがなされている。一から三は主に町の警備、四から六はモンスターなどの討伐を主に請け負っている。
主に請け負っているというだけでそれしかしないということではない。たまに人が足りないときに穴埋めで一番隊などの仕事を手伝ったりすることもあった。
今日はそのすべての隊の代表者が集まり月に2、3回ほど行われる定例会議だった。
グリークはこの会議自体はとても重要なことであるとは思っているのだが、他の隊の代表者は皆厳かな趣で何十年も戦場を駆け抜けてきた貫禄というものをいつ見ても、放ち続けている。
このなかでぶっちぎりに若いであろうグリークにはなかなか肩身の狭いものだった。そもそも四番隊が主に若いメンバーで構成されている
というのもあるのだが。
あのとき、最年少のユースが四番隊配属されたものそういうことだろうとつくづく感じる。まだ12の子供をいれるならこんな厳つい老人より若者が多いとこのほうがいい。
かれこれ、あの日から四年がたってユースは16、グリーク自身も32になっていた。
グリークや、オブディットはよくユースの頭を上からポンポンと撫でるたびに彼に嫌な顔をされていたが、今では二人とも身長を抜かされてしまいたまにあの頃の仕返しと言わんばかりに頭をポンポンされる。その都度オブディットはよく悔しそうな顔をしていた。
センリだけは抜かされておらず、まだユースの頭を豪快にわしゃわしゃと撫でている。
「……では次、四番隊」
「……あっ、はい!」
軽く過去の余韻に浸っていたらいつの間にか番回ってきていた。あわててグリークは立ち上がる。
一斉にグリークのほうに視線が向き、ちくちくと普通感じないはずの不快感がグリークを襲う。どうにかグリークはそれを振り払い口を開いた。
「えーと、四番隊ですが先月と比べて出現件数、討伐数ともに上昇。それ以外は……変わりないです」
「そうですか。ありがとうございます」
簡単な近状報告はあっさりと終わった。
「そういえば今回も団長は欠席か?」
先ほど一番隊で報告をした長髪の老人が訪ねてきた。
「あ、はい……。暫くまた戻らないらしくて」
「軍人という傍ら、ギルドというのもなかなか大変なものだ。それにまた隣国との火種が盛り返したらしいじゃないか」
その隣のスキンヘッドでこの中でも一番見た目の圧がある男も入ってきた。
団長ことボルディはこの頃四番隊のメンバーも顔を会わせていなかった。終息しかけていた戦争がまた急に激化したのだ。
敵国の最後の悪あがきさ、とボルディはやれやれという風に口をこぼしていた。彼女とはそれっきり音信不通だ。
戦場へ旅立った後はいつもなにも戻るとき以外は連絡を寄越さない主義なのを、グリークは理解していたので心配はしていなかった。
まして、彼女の腕を知っているからなおさらだった。
軍隊はいま一手不足らしく、すべての部においてフル稼働でどうにか遣り繰りしているらしい。
「前にあったのは半年……いや、もう一年近いかもしれんな」
「ははは、団長もがんばってるのだから君もがんばらなければならんな」
「若造でもできるということをみせなければな」
グリークは二人から労いの言葉をもらったが対応に困り、曖昧に笑うことしかできなかった。
ボルディが若造扱いされてないということは彼女は今一体幾つなのだろうか、という疑問だけ頭に残った。
「まあ、世間話はそれくらいにして。次は我々の番だな」
「はい、では五番隊よろしくお願いします」
例のスキンヘッドの男が話を制して話題を戻した。
「五番隊も同じく今月は特に目立ったことはなし。ただ、少々気になることがあってだな……」
「ほほう、気になることですか……なにか噂でも立っているのですか?気にしすぎはよくないですぞ」
「噂はいつもさほど気にしてないですよ。しかしこれは噂ではない可能性があるのでね……」
男は持っていた封筒からいくつかの資料を取り出しその場の全員に配った。
資料に目をやるといくつかのグラフとびっしり文字が敷き詰められていた。
「この辺りの近くのギルドの証言より作成したものなのだが、そのギルドが担当している地域にいるとある魔物の群れのことについての資料です」
飛ばし飛ばしで読んでいくと、たしかに、ちらちらとそれに関係した単語が目に入る。
「最近この辺りで魔物による畑や村の被害が急増しているとのことでして。そのギルドは何人かの隊員を派遣して調査を行ったようです」
全員が資料に目を落としながら男の話に耳を傾けている。
男はさらに続けた。
「調査はいたって普通で被害の確認、住人からの聞き取り、足跡の確認、巣のおおよその場所の把握を予定して一日でとりあえず戻ってくる予定でした。……ですがその隊員たちがなかなか帰ってこなかったらしいのですよ」
「それはただの予定の狂いではないのですか?よくあることでしょう」
「それだとしても3日も帰ってこなかったのはおかしいと思いませんか?」
男のその言葉で全員が一斉に資料から目を離し、見開いた目で男の方を振り返った。
「み、3日もですか!?」
グリークがそう言うと回りからもどよめいた声が聞こえてきた。
「ええ、3日もです。これはただの遅れとは考えにくいでしょう?」
あの調査はさほど難しいものではないし、必ずどのギルドでも行う基本的な物だ。よほど現場が遠くないかぎりそれだけの時間を費やすことはあり得ない。それはグリークにでもわかる。
「その隊員は……無事に帰ってきたのですか?」
「はい………7人のうち一人だけ、ね…、これは確実に何かがあっただろうと、ギルド長が尋ねたのですよ。他の隊員はどうしたと」
その場の全員が男の方を見たまま動かなかった。
「私たちは普通に調査を行っていて、巣穴の大方の場所も把握できたので引き上げようとした。そう回りに声をかけようとして、後列の方を振り向くと………そこには見たこともない大きな魔物がいて後列の三人がその大きな爪で声を上げる間もなく切り裂かれていた。我々もそれを見るのと同時に逃げ出したが、帰ってこれたのは私だけだと………」
辺りが一気に静まり返った。さっきのどよめきが嘘だったかのようになにも誰も口にしない。
「つまり…他の隊員は魔物に食い殺されてしまったと……。」
長髪の老人が沈黙を破り、口を開いた。
「はい。実際遺体も見つかっています………どれも口に出しては言えないほどひどい状態で。その生き延びた隊員も、よくここまで帰ってこれたというほどひどい傷を負っていました。」
スキンヘッドの男は頷いてそう言った。
「しかし、そんなに大規模な群れがあそこの辺りにいるということですな。いつこちらに被害が回ってくるか……」
長髪の男でもスキンヘッドでもない男の声が響く。あの長髪の男の隣に座っている男の声だ。
この中では小柄な方(と、いってもグリークよりは高い)でいつも寡黙な人物だ。
進んで発言する方ではないが、持ち場がその近くということで不安を覚えたのだろう。
その言葉にスキンヘッドの男の顔にすこし曇りが見えた。
「それが、そこまで大きな群れではないのです……数はせいぜい9、10匹ほど」
「それは………つまり?」
その場の全員が同時に顔を見合わせた。
「個々の能力が桁違い……といっても差し支えないでしょう。今回の調査の隊員もいつもはそのくらいの数は難なく片付けてしまいます」
「最近魔物事態も徐々に強力になってるのは薄々感じていましたけどなぜ……」
グリークはこの事に関してはいくつか心当たりがあった。
皆が言うように、昔より魔物のレベルが上がっているのを身に染みるように感じていた。
自分のレイピアの消耗も昔よりも早くなっている。
「強力になってる理由はわかりませんがその辺りの調査は必要でしょう。あとこの際前々から検討されていた隊同士の連携も強化するべき。それに関する書類も一緒にお渡しするので、他の隊員の皆さんと一緒に読んでおいてください」
***
「………と、いうわけなんだけど」
「ほうほう……で、その試しに今度合同の調査を行うわけかぁ」
オブディットがピラピラと例の書類を光に透かして能天気に呟いた。それに加えふわりとあくびもついてきた。
「ちょっと、それ大事なんだからちゃんと読んでよ」
グリークが苦笑いした。
「いつもと場所がちがうけどなんかあったのか?」
ユースが端の方に書いてある大まかな地図を指差した。
「うん、まあそれは後々説明するから……ってセンリ、なに紙飛行機折ってるの!それ読んだ!?」
「あーうん、よくわからんが読んだ」
なんでこう、この隊は能天気な奴が多いのか。グリークは軽くため息をついた。
センリが飛ばした紙飛行機は、ひゅうっと一直線に飛んでいきノアの頭に衝突した。
ノアが顔をしかめて飛行機が衝突した辺りをさすった。
「で、ユースが言ってたいつもより場所がちがうってのは…」
グリークが気を取り直し説明を始める。
「最近魔物の出現も増えてるのもあるけど、ここでの被害額が著しく増えてるらしいのね」
「うんうん」
「ほぅ」
「へぇ……」
回りが曖昧に返事をする。聞いてるのかどうかわからない返事も混じってるがいつものことなのでスルーした。
「この前調査隊が派遣されたんだけど……どうもモンスターの個々のレベルも高いようでね。そいつらに出くわして、かんなり苦労したらしいからみんなで連携をとって調査したほうがいいんじゃないかって。」
グリークはあえて、あの隊のことはあやふやにしておいた。
「あ、聞いたことあるわ、少し。ほんとにやばかったらしいね。修理した武器も大分ぼろぼろだったし……」
オブディットはここのギルド隊員たちの武器の修理の大半を請け負っているため状況は知っててもおかしくない。
グリークはオブディットの言葉に頷いた。
「そう、だから今回はちゃんと資料とか読んでよ。本当に危ないかも知れないから」
グリークは紙飛行機を拾い上げ、ばらしてセンリに改めて渡した。
センリもグリークの真面目な顔にある程度察したようだ。おとなしく、折り目のついた資料を受け取った。
「あ、そうそう。後でみんな武器見せてね。」
「え?何でだ?」
センリがオブディットの方をみて首をかしげた。
「前々から全員の武器の改良でいろいろやってんの。てか、掲示板に紙張っておいたんだけど。」
一向に皆がなかなか来ないので、この場で言っとく、とオブディットは付け加えた。態度をみると大分ご立腹なようだ。
「あー、俺掲示板みたことねぇー」
その場の全員が一斉に同じような呆れ顔になった。
「いくら何でもそれはないでしょ……」
「だって俺難しい文字とかあると読めねぇしさー、読んでくるうちに飽きてくる」
センリはもともと学はあまりないのは全員知っていたが、これは典型的な活字嫌いだったとまでは把握してなかった。資料に目を通さないのはこういうわけもあってというわけか。
「とりあえず後でみんな私に来てね。もちゃっちゃとやって早くゆっくりしたいんだから!あー、もうクソ眠いーっ!」
「ああ、オブ最近イライラしてるなと思ったら寝れてないのね…。」
「今ほぼほぼ三徹状態」
オブディットは不機嫌そうにぶっきらぼうに答えた。
ギルド事態そこまで大きくないと言えど、一人であれだけの数をみるのは大変だろう。
ノアは自分の本職のことに重ねてオブディットに心の中で同情した。
「んじゃ、今日はこれで解散ね」
これで一段落集まりは解散となった。
部屋に出るなりグリークは大きく伸びをした。今日は一日中座ってばかりだったので筋肉が固まっている。
ふと、後ろからドアの開く音がした。
振り向くと、ひょっこりと開いたドアから獣人の女が顔を出した。
オブディットも後をついてくるかのように部屋から出てきた。
こうして、よく見れば目のしたにくっきりとした隈ができているのがわかる。
「最近大変そうだね」
「うん。まあ、もう山は越えたし」
そう、あくびをしながら呟いた。
「あ、あんたのレイピア、この前おれちゃったでしょ。あれを踏まえて耐久面をあげておきたいんだけど」
「あー、俺もそれは思ってるんだけど威力のほうもいまいち弱いような気がしてね……周りに比べると」
グリークは帯刀しているレイピアを指差した。もともとレイピアは威力重視ではないのだが、それでもやはり弱いと感じる節があった。
急所を狙っても仕留めきれないのでは意味がない。
「うーん。それだとたぶん重たくなるとおもうけどいい?柄とか軽めのやつに変えて試したりはしてみるけど」
オブディットが要望を手帳に書き残しながら言った。
「ちょっとくらいならたぶん大丈夫だと思うから、いいよ」
そのまま二人はしばらくただ黙って長い廊下を歩いているだけだった。
廊下には誰もおらず二人ぶんの足音が聞こえるのみだ。
「そういえば………」
オブディットが思い出したかのように口を開いた。
「さっきの話。なんで全部話さなかったの?」
「さっきって?」
「あれだよ、あれ。調査隊のこと。」
グリークは頭ひとつぶんほど低いオブディットの顔を見る。
いつもの明るさはどこかに潜んでしまって、ただまっすぐこちらを見据えている。
二人はその場に立ち止まった。
「まあ……資料にも詳しく乗ってないし、後々でもいいかなって……」
「そうとうやばかったんでしょ?帰ってきたのがたった一人って……」
オブディットがあれこれと、知っていることを話終えるまで、グリーク黙って聞いていた。
声だけが反響して周りの壁に吸い込まれていく。
オブディットはやはり、武器の損傷具合や他の隊の話を拾い集め事の大きさに勘づいている。
話が終わると、少し間を置いてグリークは口を開いた。
「そうだな。けど、今度の調査はほんの最初の上っ面に過ぎない。別に今話さなくてもいいでしょ」
グリークはただ、単調に話した。
「それだけ?」
「うん、それだけ」
グリークはそのままオブディットをおいて先に歩いていってしまった。
ただ本当にそれだけ。
オブディットが細く薄暗い廊下で、その背中を訝しげに見送っていた。
足音は一人ぶんしか聞こえてこない。
***
森の中はいつもより気配に満ちていた。
それも当たり前か。今日は合同調査の日であった。
3番隊のメンバーはノアとセンリ、ユースとグリーク、オブディットは救護班という割り振りになった。
ちなみに団長はまだ戦場から帰ってきてない。
一度、一応生きているという報告でふらっと現れたがすぐに戻ってしまった。
そのときに、ユースは軽く手合わせをしたが完膚なきまでに叩きのめされた。
しかも、つい勢い余って相手の柄が頭の悪いところにうまくヒットしてしまい、しばらく脳震盪をおこしのびていた。幸い体に異常はなかったがしばらく痛みは残った。
目が覚めた時にはすでに団長は謝罪の伝言を残して出ていってしまっていた。
ユースは、まだ聞きたいこととかあったのにな、と、グリークはいつになったら落ち着くのだろうかと、あの赤毛をみつあみにまとめた軍人のことを思い浮かべていた。
この班は計五人。話したことある人物はもちろん、顔もみたことない者もいた。
グリークは即座に顔と名前が一致するようになったが、ユースは名前はとりあえずおいておいて、顔は覚えることに成功した。
なんとか名前も覚えようとするが、運悪く似た名前ばかりというのもあって、いろいろごちゃ混ぜになりかけていた。
ただでさえ名前を覚えるのに時間がかかる方なのに災難だ。
メンバーの一人が簡易地図を見ながら、コンパスで方角を調べている。
「こっちです。僕らのルート」
メンバーが指差す方に目を向ける。ルートはいつものと雰囲気とはさほど変わりはない。
「で、このあたりから半径500メートルほどが僕らの調査区域…みたいです」
全員が今度は地図に目を通す。地図は地形がざっくりとかかれた本当に簡単なものだ。その右下あたりに青く、ぐるりと囲われたのか今回の担当ということらしい。
「今はこのあたりだから……もうすぐそこか」
「そうだな」
グリークの呟きにメンバーの一人が答える。帽子を深くかぶった男だ。地図を指差したいろいろ細々と補足を入れてくる。このあたりには慣れているようだ。
ユースは顔はわかるものの、名前が出てこなかった。ここは周りにあわせて相づちを打っておくだけにした。
「………あ、他の班がそろそろ始める見たいです」
前髪が目のしたまである男が、ぼそっと言った。
今回の調査は連携も重視したものなので班に一人ほどこういった他の班と連絡をとるための魔法を使えるものが組み込まれている。
この男もたしか普段の任務においても魔法をよく使っているのを、よくグリークは見かけた。
「じゃあ、そろそろ行きますか……段取りは皆わかってますよね?」
その言葉に全員が首をたてに振る。
皆は調査区域に入っていった。
調査は特に滞りなく進んでいった。ユースとグリークは今後も続く調査のため、特徴のある地形や岩など目印になるものを覚えていった。
いまだに生き物の痕跡はさほど見つからない。その辺にウサギなど小動物の古い足跡があるだけである。辺りは驚くほど穏やかだ。
(本当にあのようなことが起こった場所なのか…?)
あまりにも静かすぎる。あの惨事を知っているグリークが不安を覚えるほどだ。
「どうした?」
あたりを見回して、声を不意にかけられそちらを振り向いた。
不安が顔に出ていたのだろう。ユースがこちらをうかがっている。
「いや、大したことじゃないんだけど……あまりにも静かだなぁって」
「まあ、言われてみたら静かだけど。別にどうしたこたないだろ」
そう言って、ユースはまた視線を森の方へと向けてしまった。
他の者も特になにも言わず調査を続けるだけだった。
何の音もないため自分達の草木を掻き分けたり、地面を踏みつける音が際立つ。逆にそれがよりグリークの不安を掻き立てていた。
なぜかわからない。なにかが待ち構えているような気がして仕方がない。
ここに長くとどまってはいけない
それが頭に浮かび上がった時にはすでに遅かった。
***
ここはどこだ?自分は何をしていた?
ユースは思考を動かすのにも、脳裏にノイズがかかってしまいわからなかった。
寒い。なのに今はそんなに寒い時期ではない。それが気温のせいではないのと知ったのは体の一部だけが燃え上がるかの様に熱かったからだ。
「はあっ……はぁっ……」
誰かの息づかいが近い。誰かに抱き抱えられているようだ。
グリークはただ走っていた。宛もなく走っている。
傷口から大量の血を流しているユースを抱き抱えて走っていた。彼が進んだ道には血が垂れていた。
どのくらいの出来事だったのかもわからない。
音がした方を振り向いたときには人が倒れていて、ユースが巨大な何かに貫かれていた。
後ろを向いている暇もない。が、なにかが迫ってくる。
向けばすぐに圧倒的な恐怖に飲み込まれる。
それだけが推進力になって突き進むしかなかった。
あの間に何があった?何が起こった?あれは何だ?
わからない。なにもわからない。ユースを抱えて逃げることしかわからなかった。
耳もユースの肩を揺らし、浅く、荒い呼吸だけしか聞こえてこない。
(どこかへ……。少しでも時間を稼げる所……!)
走っているはずなのに、周りの景色はゆっくりでしか動いていない。
なんとか、簡単でもいい止血をしないとこの子が死んでしまう。自分自身も限界はとうに越えている。
グリークはもつれる足を無理に動かして転がるかの様に走っていった。
***
どこかの大きな岩の影で、座り込む男と血みどろの少年がいた。
グリークの手も血まみれだった。止血をしたもののこんな道具もない状況ではろくな効果は得られそうにない。
それほど傷はひどいものだった。
「くそっ……」
顔に血がつくのに構わず、グリークは汗をぬぐった。
治療魔法をかけても追い付かない。自分の魔力もだいぶ使ってしまった。
たとえ、あるていど回復しても歩けるわけはないのは見えてわかっていた。
「……………う…。」
グリークはうめき声がして、すぐさま視線を声の先へ移した。
ユースはまだ意識があった。
何がどうなったのかは滅茶苦茶だが記憶だけはぼんやりと戻ってきた。
ユースが何かがくると察知した時には。目の前のメンバーは無惨にも鮮血を撒き散らし崩れ落ちていた。
その直後に自分の体は何かに貫かれ、突き飛ばされていた。
体に全く力が入らない。目を開けるだけでも億劫だ。痛みだけが頭で反復する。
あれほど強く感じていた痛みも弱くなっているように感じた。
隣にいるのはグリークだとなんとかわかった。
ユースはなにかをしゃべろうとした。しかし、喉に張り付いた血のせいで口からただかすれた息が出るだけだ。
声を出そうとするユースをグリークは制した。
「喋るな。出血が酷くなる」
グリークの深刻な顔がぼやける視界に移る。
「なあ、今はなんとか生きてるけど君はこのままだと長くは持たない。俺も多分このままだと死ぬ」
グリーク自身も無傷ではない。背中に大きく切り傷を負って走り続けていた。
深くはないものの動くと痛みがさっきよりも強くはしるようになっていた。
さっきみたいにはもう走れない、
薄く目を開けて、弱い呼吸を続けるユースの手をグリークは握った。
「ここにいればそのうちあれがくるだろう。こんな濃い血の臭いを撒き散らしていたら長くはない……のはわかるよね?」
グリークは小さな小枝を広い、乱雑に地面になにかを書き込んだ。
その間も、なにかがじわりと迫ってくるのが知れた。鼓動が大きく聞こえる。
出来上がったものは急いで書いたせいで少々歪だ。
「ごめん。これしか思い付かなかった」
その言葉とともにユースのあたりが淡く光始めた。
それを見て全てをユースは理解した。
書き込んでいたのは魔方陣だ。自分が知っている所に特定のものなどを転送することができる。
たが、自分自身は転送することはできない。
その意味がユースに深く突き刺さった。
(嫌だ)
声が出ない。体が動かない。目も見えない。
グリークはこの状態を使った。
「馬鹿だよな。こんなことしか考え付かないなんて。本当に頼りないよな……」
声も小さくしか聞こえなくなってきた。それでも、彼の悲しみを汲み取るのは簡単だった。
「けど君には生きてほしいんだ。だから……」
ここに残れば死ぬ。生きてほしい。やめてほしい。
言いたいことしか出てこない思考も限界を知らせていた。
もうこれで最後だった。
「じゃあね。バイバイ……」
光が最高点に達して、あたりが真っ白になった。
その直後には黒く塗りつぶされて、なにもわからなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます