第43話 動き出す影①
セリアの淹れてくれたお茶を飲みつつ、エルザに思い出せる限りの昔話をしてもらい40分ほどの時間が経った。
父親が人を殺すなどあり得ないというセリアの言葉も、半信半疑ではあるものの受け入れてくれたらしい。
真犯人を特定するためなら、今後も力を貸すと約束してくれた。
「あら、もう帰っちゃうの? せっかくだから夕飯でもと思ったんだけど」
「いえ、僕らは門限がありますから。あまり長居をすると帰れなくなっちゃいます。カイルさんとも——」
エルザの提案を断り席を立った頃、それは唐突に起きた。
「っ」
真っ先に反応したのはリーシャだった。
カジノで働いていた頃の癖だろう。スカート下に手を伸ばすと、そこに短剣が無いと分かり表情を曇らせる。
そう、学園に入学してからは外させていたのだ。
使わなきゃいけないようなことは無いと思っていたし、何より普通の女の子はそんなものを持ち歩かない。
次に気づいたのは僕。
大都市かつ比較的治安のいい区画、それも一般の民家の中で、あろうことか短剣を抜こうとしたリーシャの姿を見て何かが起きたと悟る。
方向は——キッチン側か。
「エルザさん、キッチンに勝手口は?」
「えっ、ええ。あるけど……」
「だったらそこだ。リーシャ、戦術教本210ページ7行目――遅滞戦闘だ。行けるね?」
「ええっ!? 私、まだそんなところまで読んでません!」
慌てふためくリーシャに苦笑する。
こっちの世界に来て新たに得た知識を活かせる機会に恵まれたものの、逐一指示を出している時間は無いか。
「それなら僕の動きを見て合わせてくれればいい。最優先で守るのはエルザさんだ。僕じゃない、いいね?」
「わ、分かりましたっ」
特に声を潜めて会話しているわけじゃない。
こちらが気づいていると向こうにも伝わったことだろう。
僕たちを狙う何者かは足音を消すのを止め、壁一枚挟んだ向こう側で飛び出すタイミングを計っているような気配だった。
音の重さからして体重は80キロほど、恐らく男性、靴は滑りにくいもの、体重移動の仕方から何らかの訓練を受けた経験あり。
確かにこれは、やんちゃな学生とは比較にすらならない。
リーシャが躊躇無く短剣を抜こうとした理由が分かった。
「エルザさんすみません、ちょっと派手にやります!」
木のテーブルを引き倒し、キッチンの方へ向けて簡易的なバリケードとする。
意図を察してくれたのだろう、リーシャが合わせるようにイスを放り投げた。
「セリアはエルザさんを……って、そんな必要は無かったか」
セリアは既にエルザを連れて玄関へと向かっていた。
懸念があるとすれば相手の人数だ。
それが分からない現状、玄関を抑えられていたらアウトだろう。
けど、僕らは目の前の敵を無視できない。今はセリアを信じるしかないか。
逃げるにしろ戦うにしろ、リーシャが警戒する相手とこんな閉所でやり合うのはリスクが高すぎる。
「姿を見せたらイスを投げて! そしたらすぐに玄関へ!」
「はい!」
投げつけられるだけの筋力が無い僕は、玄関へ通じる廊下のドア前にイスを設置する。
もちろんリーシャが通れるだけの隙間を空けてだ。
そのまま急いで玄関へ向かう。
ドアは開いていて、既にセリアとエルザの姿は無い。状況はどうなっているだろう。
「ロジー! 来ます!」
銀色の髪をなびかせながらリーシャが奥の部屋から駆け寄ってくる。
その後ろでイスを引き倒す音が聞こえた。
「ドアを閉めて! 何かで押さえるんだ!」
叫びながらドアを閉めて、押さえるでもなくただ耳をあてる。
「ロジ――」
指を立てて唇に。
少し離れた位置で待機しているようにハンドサインで伝える。
遅滞戦闘、バリケードにしたテーブルとイス、そして外から閉められたこのドア。
これだけヒントを与えてやれば向こうは確実に勘違いしているはずだ。
一瞬見た人影は身長約175センチ、走った時の歩幅を考えるとドアまではおよそ6歩。
これはあくまで参考値、重要なのは踏み込みの音とタイミング――3、2、1、今!
「なっ――」
ノブを掴んで一息にドアを開けた。
家から飛び出してきた男は肩透かしをくらったようによろめき、盛大にバランスを崩していた。
何かで固められていると思い込み、勢いよく体当たりをしたのだろう。
そう、こんな状態なら誰だって素人同然だ。どれほどの訓練を受けていようが関係無い。
「リーシャ、確保!」
と言うまでもなく、相も変わらず先に動き出していたリーシャは綺麗な一本背負いを決め、そのまま腕を捻り背中側で固めた。
よし、こっちはこれで大丈夫だ。
とはいえ、リーシャはこの男に付きっきりになるしかない。
セリアの方はどうなっただろうか。
「セリア!」
名前を呼びながら道へ飛び出すと、バトン型の魔導具を手にしたセリアが構えを解いたところだった。
傍らには男が一人、痙攣しながら地面をのたうち回っている。強烈な電撃でもお見舞いされたのだろう。
セリアの背後にいるエルザは――どうやら無事のようだ。
「安心したまえ、彼女にケガは無いのだよ」
「そうみたいだね。君に戦闘能力があったとはちょっと意外だ」
苦笑しながら肩を竦めると、セリアがしたり顔で鼻を鳴らした。
「魔導具を使った戦闘術、自衛手段、戦術教本、全て読破済みだ」
なるほど、どうりで。
それで遅滞戦闘にもいち早く対応してみせて、自衛はバトン型の魔導具というわけか。
「それでも、咄嗟にできることじゃないよ。君だって大怪我する可能性もあったろうに」
「彼女は重要参考人――ボクには身を挺してでも守る義務があるのだよ」
セリアはそんなことを言いながら魔導具をしまう。
君のことも心配してるんだけどな、という言葉は言わないでおいた。
「……分かった分かった。ただ、これからはあんまり無理しないようにね」
「承諾したいところではあるが、そうも言っていられないのだよ」
「え?」
手を伸ばせば届く距離まで歩いてくると、セリアは僕を真正面から見据えた。
血のように赤い瞳が夕陽を受けて爛々と輝いている。
「ボクは、心のどこかで真実を知ることを恐れていたのかもしれない。もしかしたら、本当にパパだったんじゃないか、と考えてしまってな」
「僕にも当然その考えはあったよ。もちろん、今日までだけどね」
「キミのおかげなのだよ。キミのおかげで、ボクは一歩前へ進めた。だから――」
セリアが地面の男を見下ろす。
憎しみと言うよりは、目の前の容疑者から情報を引き出そうとする探偵のような目で。
「だから、多少無理をしてでもボクは真実を知りたい」
再び僕を見て、セリアは穏やかな笑みを浮かべた。
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