第42話 追想⑥

「エルザさん、今からあなたの無意識を呼び覚まして、記憶の扉を開きます。いいですね?」


 エルザが目を閉じたまま、やや緊張した面持ちで首を縦に振る。

 さて、これをやるのも久しぶりか。僕自身も自分を落ち着けるべく息を吐いた。

 指先が冷たくなっていく感覚に身を任せ、意識から無駄を削ぎ落すように鋭く研ぎ澄ませていく。


「それでは、僕の言葉に合わせて呼吸をしてください。深く、長くです」


 僕の指示通り、規則正しいペースで胸が前後する。


「いいですよ、そのまま続けてください。吸って、吐いて。吸って、吐いて」


 そうして20秒ほど同じことを繰り返して、エルザの意識を僕の声に集中させる。

 本来無意識で行われる呼吸のリズムを握ることで、夢と現実の中間地点――ある種のトランス状態まで導いていく。


「エルザ・レリクス。君は今、7年前愛する夫を奪った男が今まさに処刑されようとしている場にいる」


 リーシャに合図を送り、近くにある窓を全て開けてもらう。

 屋内よりもひんやりとした空気が街の喧騒と共に流れ込んできた。

 

「周囲には大勢の人間がいて、その瞬間を今か今かと待ち望んでいる。もちろん、君もそのうちの1人だ」


「……ええ」


「ほら、人々が野次を飛ばしているのが聞こえるでしょ? きっと残酷な言葉を叫んでいるはずだ。君はどう?」


「私も、叫んだ。喉が枯れるほど。死ね、死んでしまえ、カイルの恨み、死ね、惨たらしく、無様に、死ね、死ね、死ね……」


「そう、いい調子だよ。断頭台の彼はどうしている?」


「……何も。ただ」


「ただ?」


「……投げられた石が当たって頭から血を流してる。ははっ、いい気味よ」


 くすくすと肩を揺らして笑う。

 目は閉じられたまま、口元が冷酷な笑みを形作っていた。


「彼の名前は知っている?」


「……パッチ、ワーカー」


「そう、“パッチワーカー”。名前はアレク・ノーレントだ」


 エルザの呼吸のリズムが乱れる。

 せっかく深くまで潜れているんだ。今イメージが崩れるのはまずい。


「エルザ、もう一度僕に合わせて呼吸をしてみよう」


「でも、あの男は……!」


「大丈夫、安心して。彼は絶対に逃げられない。頭上にある鉛色の刃が必ず彼の罪を裁く、君はそれを知っているはずだよ」


「……そう、そうね。それなら」


 僕の言葉に合わせ、エルザは再び穏やかな呼吸を繰り返した。

 落ち着いたころを見計らい、もう一度彼女の無意識へと手を伸ばしていく。


「さあ、そろそろ刑が執行される時間だ。今の君の気持を教えて?」


「……早く、早くって思ってる。あと、右手が少し痛いわ」


 右手が痛い――その感覚の正体はすぐに分かった。

 僕は自分の手の中にあったカイルの遺品、金色のピアスをエルザの右手に移し、軽く握らせる。


「その瞬間をカイルにも見てほしかった君は、ピアスを手に握っていた」


「……喜んで、くれるかな」


「君の気持は嬉しかったはずだよ」


「……そっか、よかった」


 ふらふらとエルザの体が揺れ動く。

 少し潜りすぎたようだけど、情報を引き出すには最高のタイミングだ。


「見て、断頭台の刃が落ちるよ。アレクの様子はどう? 暴れてる? 何かを叫んでる?」


 これまでよりも長い沈黙が続く。

 やがて緩やかな呼吸の後、エルザの口はついに言葉を紡いだ。


「……いえ、何もしていない。ずっと下を向いて、目を、閉じてる」


「表情はどう? 眉や目、口元を注意して見てごらん?」


「……眉、目、口。流れてる、透明な血。違う、あれは」


 隣の部屋、キッチンの方から物音が聞こえた。

 重さのあるものが壁にもたれかかったような、そんな音だ。


「……泣い、てる」


 ――繋がった。


「私、どう、して」


「よく頑張りましたね、エルザさん」


 エルザの真横に移動して、その右肩に優しく手をかける。


「一度自分のペースで深呼吸した後、ゆっくり目を開けてみましょう」


 何度かまばたきを繰り返しながら、長いまつ毛に縁取られたまぶたがゆっくりと開く。

 まるで寝起きのように、焦点の定まらないブルーの瞳が揺れていた。


「あれ、私、寝ちゃってた?」


「はい。何かうわ言のようにつぶやいていましたから、きっと夢でも見ていたんでしょう。お疲れですか?」


「いえ、別に。最近はそんなこと無かったはずなんだけど……って、あら? どうして窓が開いているの?」


「ああ、ごめんなさい、少し暑かったもので。リーシャ、もう閉めていいよ。ありがとう」


 外はもう夕暮れだ。

 ギリにもらったメモの5件くらいなら今日中に回れると思ったけど、まさか1件でここまで時間を取るとは思わなかった。

 でも、その分収穫はあったけどね。


「そういえば、セリアちゃんは大丈夫かしら。お茶を淹れにいってくれてたんでしょ?」


「あ、エルザさん。ちょっと待ってください」


「え?」


 立ち上がったエルザの肩に手を伸ばし、そのまま体重をかけてもう一度座らせる。


「大丈夫です。きっと、失敗して淹れ直しているところだと思いますから。このまま座って待っていてください」


「……どうしてかしら」


 不思議そうな顔でエルザが首を傾げる。


「あなたの“大丈夫”って言葉、何だかとても安心を感じたの。心がすっと落ち着いたわ」


「……それはきっと、寝ぼけて僕をカイルさんと勘違いしたんですよ。ほら、僕カイルさんの席に座っていましたから」


「あはは、きっとそうね」


 口元に手を当てて笑うエルザを見て、僕は小さく笑みを返した。

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