第41話 追想⑤
リーシャがエルザを抱きしめたままどれくらいの時間が経っただろうか。
あやすように背中を叩くリーシャの姿を、僕とセリアは少し離れた場所から見守っていた。
「ロジー、彼女にこれがインチキだと告げるか? 今なら夫の件が無くとも話をしてくれると思うが」
「僕もちょうどそのことを考えていたところ。もちろんそうした方がリーシャとセリアは気が楽だろうなって思うし、何よりフェアだ。けど――」
「当人の落胆は計り知れないだろうな」
「そういうこと」
エルザの中で、カイルの身に起きたことに対しどれだけの整理がついていたかは分からない。
それでも、良い意味であれ悪い意味であれ、僕は彼女の日常に土足で踏み込み安寧を壊した。
死んだ人間を思い起こさせることは、即ちその人間をもう一度殺すことでもある。
特に猟奇殺人ともなればそのショックは大きい。再び乗り越えるのに長い年月がかかってしまう可能性もあるだろう。
「……なんだ、答えは最初から出てたわけだね」
「すまない」
「どうして謝るのさ」
「キミが罪を肩代わりしてくれているおかげで、ボクは自分の手を汚さずに済んでいる。それは本来、ボクが背負うべき業のはずなのだよ」
いつぞやの意趣返しのようにセリアの脇腹を小突く。
「っ、何をするのだよ」
「僕が単なるお人好しだったならその謝罪は何も言わずに受け取っていたよ。でも、そうじゃないでしょ?」
少しの間思案するような表情を浮かべたセリアは、何かに思い至ると乾いた笑いを漏らした。
「そうだった。キミはそういう男だったな」
「ま、お金で清廉を買ってるわけだから、本当の意味で清らかかどうかは保証できないけどね」
「……はあ。キミは、そういう男だった、なっ」
肘鉄とはこうやるのだというお手本のように、セリアの左肘は的確に僕の脇腹を抉った。
まったく、ほんの軽口のはずだったのに、とんだ目に遭ったものだ。
「……ってて。ともあれ、本番はこれからだ。リーシャが繋いでくれたこのチャンス、絶対にものにしよう」
「ふん、当然なのだよ」
そっぽを向きながら左手の甲を差し出される。
ふふ、と小さな笑いを漏らしてから、僕は自分の右手の甲をぶつけた。
空気を変えるべく手を叩くと、3人の視線がこちらに集まる。
「リーシャ、そろそろエルザさんをイスに座らせてあげよう。セリアは温かいお茶をお願い」
それぞれの承諾の声を聞きつつ、僕はリーシャに手を貸してエルザをイスへと導く。
長い金髪からはほんの微かに金木犀のような香りがした。
「エルザさん、気分はどうですか?」
「……だいぶ落ち着いたわ。取り乱してごめんなさい」
エルザが俯きながら組んだ両手を、僕はその上から覆うように握った。
「無理もありません。気持ちの整理がついていたとしても、カイルさんのことを思い出していた直後でしたからね。突発的に感情が昂ることもあるでしょう」
「そういうもの?」
「はい、誰だってそうなるものです。エルザさんだけが悪いわけじゃない。安心してください」
ふう、と呼吸を落ち着けるエルザを見て、僕は彼女の元を離れ正面の席に手をかける。
「ここ、座ってもいいですか?」
「え? ええ、もちろん」
「ありがとうございます。それでは話を戻しましょう」
青いクッションの置かれたイスに腰かける。
僕が投げ掛けた問いの意図を理解したのか、エルザはきょろきょろと辺りを見回していた。
「当時“パッチワーカー”とされた人物――アレク・ノーレントですが、エルザさんは彼に会ったことはありますか?」
「……いいえ。ただ、処刑の場には立ち会ったわ」
「それはどんな方法で?」
「断頭台よ」
なるほど。
処刑の効率化や確実性を求めるとなると、結局あの形に落ち着くわけか。
「では、その光景を最後まで見ていましたか?」
「見ていたわ。首が落ちる瞬間も、しっかりと」
キッチンにいるであろうセリアに意識を向ける。
何やら作業をしている音が聞こえてくるし、まだしばらくは戻ってこないか。
「その時の“パッチワーカー”の様子を覚えていますか?」
「……そう言われると、どうだったかしら」
まあ、その時の心理状態を鑑みれば当然だ。
先ほどの反応を見れば、エルザは“パッチワーカー”に対して並々ならぬ憎悪を抱いている。
当時ともなればその感情は今とは比較にならない。
恐らく、その時の状況を事細かに理解し、観察できるほどの理性は残っていなかっただろう。
だからこそ、彼女はただひたすらに待ちわびていたはずだ。
ギロチンの刃が落下し、下手人の首が落とされるその瞬間だけを。
つまり、彼女の視線は基本的にはギロチンの方にあった。だから“パッチワーカー”を覚えていない。
「分かりました。それでは思い出せるようお手伝いします。リラックスして、肩の力を抜いて、それから目を閉じてください」
エルザが目を閉じたのを確認してから、僕はリーシャに指示を出す。
さあ、ちょっとしたタイムトラベルの始まりだ。
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