第31話 少女たちの選択
全員この場を動くなと言い残したルクルは、神妙な顔つきで競技場を出ていった。
ユーリと一瞬目が合うも、困ったように笑って下を向く。
後悔、あるいは辟易――複雑な感情の入り混じった表情に、この後の展開が何となく読めた。
数分後、入れ替わるように現れた数人の男が、入念なボディチェックの後にミゲルを連行していく。
取り囲む位置、拘束の仕方、連行の手際――どれを取っても一級品。
教職員用のローブを着たところで、身に纏う雰囲気や気配のようなものは誤魔化せない。僕から見ればただのコスプレも同然だ。
ここまで荒事に慣れた連中が学園の人間であるはずもない。
なるほど、これが名家の“けじめ”というやつか。
グレンドレックに害を成そうとした人間がどうなるか、世間に知らしめる必要があるのだろう。
大方僕の予想通りだ。
連れていかれるミゲルの生死は分からない。
少なくとも、無傷ではいられないだろうということだけは分かった。
「僕もお金持ちに生まれたかったと思ったことはあったけど、それにもやっぱり程度はあるね」
「同感だな」
隣でしみじみ呟いたクリスティーナが鼻を鳴らす。
そして、手にしていた直剣を放り投げると、目を閉じてゆっくりと両手を上げた。
「……私は利用されていただけだ、って言ってもいいんだよ?」
「それが事実であったとしても――この学園に通いたいという欲を満たすため、悪事に加担していたのもまた事実だ。正当化はできない」
音も無く背後から現れた男が、クリスティーナの手首を掴み後ろ手に回す。
抵抗していないからか、痛みを与えられた様子は無い。
「行く前に聞かせてよ」
男に怪訝そうな顔を向けられるも、それを無視して話を続ける。
「君がそうまでして学園に通いたかったのは、どうして?」
予想外の質問だったのか、クリスティーナは一瞬沈黙する。
その後、そうおもしろい話でもない、と前置きをして口を開いた。
「その昔交わした、ほんの些細な口約束を果たしたかった。ただそれだけのことだ」
「へえ、じゃあその約束はもういいの?」
一拍間をおいて、クリスティーナは逃げるように目を逸らす。
「約束と言っても、所詮は社会を知らない子供の戯言だ」
昔の思い出を懐かしむように、そして今の自分を嘲るように、クリスティーナは目を細めて薄く笑った。
「ふーん、なるほどね」
鼻を鳴らして肩を竦める。
「ちょっと想像してみてよ。生まれ故郷の村で家族のために仕事をしている少年のこと」
「……何の話だ?」
「君が八百長で試験結果を歪めなければ、今頃この学園で授業を受けていたかもしれないって考えたことは無い?」
微かに顔が下を向き、眉根が寄る。
クリスティーナだって一度は想像したことがあるだろう。
ただ、目的のためとはいえ十代の女の子がそれを背負い続けるのは難しい。
だから、ずっと考えないようにしていただけだ。
「でも安心してよ。その少年はきっと、自分が学園へ通えなかった理由は“力不足”だと思ってる。“貧乏騎士の身勝手でくだらない約束のため”だなんて知る由も無い。つまり君は誰からも恨まれていない。でなければ、罪悪感を覚える必要も無いでしょ?」
おどけたようにそう言うと、クリスティーナの纏う空気が変わった。
周囲を固めるように集まってきた男たちに手を払ってみせる。
「大丈夫、何もできやしないよ。この子はただ、つまらない過去から解放されて楽になりたいだけだ。そのために罰を受けたがってる」
「この、ロジーッ!」
噛みつかんばかりに暴れ出すクリスティーナを数人がかりで取り押さえる。
しばらくは手足をばたつかせ奮闘していたものの、背中と後頭部を上から押さえつけられ、さすがの彼女も身動きが取れなくなった。
「幸い見てくれもスタイルも良いからね、君たちも楽しめてクリスティーナも自分を罰せられる。飽きたらどこぞに売り飛ばせばいい。その日の飲み代くらいにはなるんじゃないかな」
「お前はッ、お前だけは絶対に許さないぞ! 私は……ッ、私たちの約束は――」
しゃくり上げる声に涙の色が混じる。
「私は騎士に……騎士になるんだ! こんなところで終われないッ! そしてその時がきたら、お前を牢屋へぶち込んでやる……必ず、必ずだッ!」
完全に身動きを封じられ、地面から引き剥がされたクリスティーナと目が合う。
整った顔は涙と鼻水、そして競技場に敷かれた土でぐしゃぐしゃに汚れていた。
それでもなお、僕を睨む瑠璃色の瞳だけは爛々と輝いている。
はあ、と溜息を吐いて頭を掻いた。
まったく、やりたいことがあるならさっさとそう言ってくれればいいものを。
「何のつもりだ」
そう言ったのは男たちか、クリスティーナか、それともその両方か。
クリスティーナにばかり向けられていた物々しい雰囲気が僕にも向けられる。
思わず後ずさりしそうになるも、それを堪えて笑みを浮かべた。
「――あー、皆はもう知ってるだろうけど、僕は性格が悪いんだ」
うんうん、と何度も頷くセリアの姿がおかしくて、肩の力が少しだけ抜ける。
「僕は息をするように嘘をつくし、目的のために誰かを利用することも厭わない。でもそのくせ、他人の嘘は暴きたくなるし、人を利用して利益を得る輩を破滅させることに喜びを感じもする」
「……最低だな」
「そう、クリスティーナの言う通り僕は最低の人間だ。だから、罰を求める君に懺悔の機会なんて与えない。私利私欲のため八百長に加担し、他者の人生を歪め不正に利益を得ていた罪を背負いながら学園を卒業してもらう」
クリスティーナが目を見開く。
「その後は騎士にでも何にでもなればいい。もっとも、僕を牢屋へ入れたいのなら、少なくともリーシャよりは強くならないとね」
口の端をつり上げて笑うと、その視線が僕の後ろにいるリーシャに向かう。
リーシャが何をしているかは分からないけど、クリスティーナの表情を見れば想像に難くない。
「格好つけているところ悪いが、俺らがそれを許すと思うか?」
ローブ姿の大男が1人、僕とクリスティーナの間に割って入る。
僕の頭は男のみぞおちくらいの高さだ。
体格差、なんて言葉が生温く感じる。
大男、というと見た目だけで野蛮なイメージを抱きがちだ。
けれど、この男は違う。
目には確かな知性の光が宿っていて、中途半端な挑発や揺さぶりは通用しないと直感が告げていた。
「ああ、まだいたのね君たち。役目は終わったからもう帰っていいよ」
「……俺らはグレンドレック家から命令を受けて動いてる。それに逆らうことがどういうことか、分かっているか?」
そのことね、と首を傾げる。
「それは、どっちのグレンドレック?」
ピクリと男の頬が動く。
それに合わせて顎を上げ、挑発的に笑ってみせる。
「今回の事件を解決したのは僕の功績だ。それは聞いてるね?」
「ああ、だからよほどのことが無い限り手を出すなと言われている。だが勘違いするな、グレンドレック家の仕事を邪魔するのは“よほどのこと”だ」
「大丈夫、邪魔なんてしない。ただ、グレンドレックの命の恩人であるこの僕は、そこのクリスティーナに危機を救われているってことを言っておきたくてね」
「……」
「解決にはクリスティーナの助力が必要だった、それはこの場にいたグレンドレックも知っていることだ。まさか、世に名高い名家の人間が恩を仇で返すような真似はしないよね?」
大男の視線が動く。
その先は――まあ、追うまでもないか。
「……撤収だ」
まさにスイッチで動くロボットのよう。
大男の一声であっさりクリスティーナの拘束を解いた男たちは、足跡や暴れた痕跡を消しつつ競技場から姿を消していった。
「ああ、ちょっと待って」
最後に去っていく大男の背中に声をかける。
「ルクルに伝言頼めるかな」
こちらを向かずに立ち止まった、ということは引き受けてくれるということだろう。
「『今回の件はこれでチャラだ』」
ふん、と鼻を鳴らした大男は、心なしか愉快そうに見えた。
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