第32話 入学
入学試験での不正な結果操作と、その裏で行われていた違法な賭博行為――
この件が公になれば、学園の評判や印象はおろか、実質的に学園を牛耳るグレンドレック家の名をも貶める大スキャンダルだ。
多少なりとも騒がしくなるだろうと思っていたものの、予想に反し世間の関心は他の場所に向けられたまま。
解決からひと月ほど経った今日も話題に上がることはなく、事件は闇から闇へと消えた。
胴元であるミゲルとクリスティーナ、入口で入場料を取る2人、賭けに興じていた生徒たち——この件に関わっていた人間は、少なく見積もっても100人はくだらない。
だというのに、今日まで事件が秘されたままになっているのには理由があった。
「なあ聞いたか? 昨日記者の一家が乗ってた馬車が崖から落ちたって話」
「聞いた聞いた。例の件を探ってたってやつだろ? 調査に行った兵士が酷い有様だったって噂してたぜ」
「お、おい、その話はやめとけって。どうにも誰かが密告したせいでああなったらしい。こんなこと話してるのがバレりゃ俺たちも――」
きょろきょろと辺りを見回していた男子生徒と目が合った。
それも一瞬のこと、僕の横にいる人物を見て顔を青くする。
彼が僕らの視線から逃れるように顔を伏せると、異変に気づいた残りの2人も顔を隠し、逃げるようにこの場を後にした。
はあ、と当人の溜息を聞きながら、僕はくすりと笑い声を漏らす。
「これはこれで、家の名前を汚してる気がしますわ……」
「グレンドレックの力を快く思わない貴族はたくさんいる。隙を見せればあっという間に追い落とされるはずだ。そうなれば、君やユーリだって無関係ってわけにもいかないでしょ」
「示威行為の大切さは分かっているつもりですが、謂れの無い罪を着せられるのには納得いきませんわ」
「大丈夫大丈夫。人間は飽きっぽいからね、一時我慢すれば噂も落ち着くよ」
「本当にそうでしょうか……」
「これからいい話題の種が2人も学園に入学するんだ。少なくとも、学園の中ではすぐに“昔の話”になるって」
不本意ながらね、と肩を竦めてみせると、物憂げな顔をしていたルクルが少しだけ表情をやわらげた。
「それじゃ、僕らは一旦教員室に行かないとだから、また後でね」
「ええ、また」
一度後ろを向いてから足を速めたルクルに、ユーリが駆け足で続く。
まだ1ヵ月かそこらの付き合いだけど、2人の関係に多少の変化があっただろうことはすぐに分かった。
「ユーリちゃん、なんだか嬉しそうでしたね」
リーシャはそんなことを言いながら僕の隣に並ぶ。
普段の子供っぽい服を見慣れているからか、真新しいローブ姿が少しだけ大人びて見えた。
「……いつか、本当のことを言える日が来るんでしょうか」
「本当のことも何も、僕らは全部知ってるじゃないか」
「違いますよ、学園の皆にです」
ああ、と言ってそっぽを向く。
そんな僕を不思議に思ったのか、リーシャはわざわざ回り込んでまでこちらの顔を覗き込んできた。
「ロジー?」
「……いや、僕は何もかも正直に話すのが必ずしも正しいこととは思えなくてさ」
ふう、と嘆息する。
「嘘は暴かれない限り真実であり続ける。嘘をつかれている側にとっては、だけどね。ユーリたちが本当のことを言いたいと心の底から思うまでは、嘘をつき続けることも1つの選択肢だと思わない?」
「でも、誰かを騙すのは心苦しい――」
と言ったところではっと息を飲み、ばつが悪そうに目を逸らした。
「そう、僕は悪いことをしている自覚はあるものの、基本的に人を騙すことに後ろめたさを感じない。そんなのとっくの昔にマヒしてるんだ。人間に限らず、良い刺激にも悪い刺激にもいつかは慣れてしまうのが生き物だからね」
けれど、と続けると、空色の瞳が再び僕を見た。
「少なくとも、ユーリとルクルは僕らの前では嘘をつかなくていい。僕にとってのリーシャがそうであるようにね。結局、どれだけ慣れても仮面は仮面なんだ。外せる場所が無ければ息が詰まる」
頬にかかった髪をはらってあげると、花がほころぶようにリーシャが微笑んだ。
「グレンドレック家の問題でもあるわけだから、きっと僕らには想像もできないしがらみだってあるだろう。今の僕らにできるのは、心を許せる“本当の友達”になってあげることくらいだよ」
「……本当の、友達」
噛み締めるように繰り返し、照れ臭そうに笑ったリーシャがくるくると回りながら僕の隣に並ぶ。
回転の軌跡を描くように靡いた銀髪が、僕のローブを掠めてさらりと音を立てた。
「そうですね、変なこと言ってごめんなさい」
「どうにかしてあげたいって気持ちは分かるよ。だからまずは、僕らもこの学園で自立できるようにならなきゃね」
「はい!」
気持ちのいい返事を聞きながら、肩で風を切って歩いていく。
季節はまだ蒸し暑さの残る夏の終わり。
ロジーとリーシャ――偶然の出会いから始まった僕ら2人の学園生活が、今日この瞬間から始まるのだった。
◆ ◆ ◆
「――ロジー・ミスティリア」
半ば無意識に口をついたその名前に、声の主は我に返ったように口を噤む。
新聞の切り抜きや衛兵の調書、自ら書きなぐったメモが散乱した屋根裏部屋に、鼻を鳴らす音が小さく響いた。
驚異的な洞察力、自分とは全く異なるアプローチ、そして意のままに人を操るテクニック。
考えないようにしていても、頭に浮かぶのは“もしかしたら彼ならば”という淡い期待ばかり。
「なぜ――」
言いかけた言葉を口の中で噛み殺し、古ぼけたイスから立ち上がる。
その瞳に復讐の炎を灯しながら、少女――セリア・ノーレントは静かに部屋を後にするのだった。
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