第30話 2つの誤算⑤

 助かるかもしれないという希望、その先に待っているだろう幸福。

 そんなあるはずもない未来に興奮気味のミゲルは、僕の示したあるものを見て瞬く間に顔色を変えた。


「……待て、何をする気だ」


「君は僕とクリスティーナに害を成した。ただ無罪放免とするには腹の虫も収まらない。だったら僕らも仕返しをして、対等な関係になろうじゃないかって提案だよ」


 クリスティーナの腰に下げられていた模擬戦用の直剣をコンコンと叩く。


「そりゃあ痛いだろうけど、刃を潰してあるなら当たり所さえ間違わなきゃ死ぬことは無い。どう? いい話でしょ?」


「……おい、私がこう言うのもどうかと思うが」


 困惑顔のクリスティーナが躊躇いがちに口を開いた。


「報復を肯定するわけではないが、いくらそのためとはいえ与える対価が大きすぎやしないか? 見逃すだけならまだしも、グレンドレックに活動を認めさせるだなんて――」


「やりすぎ?」


「当たり前だ」


 そりゃあそうだ、と笑う。


「でもほら、ミゲルを見てみなよ。彼はそう思ってないみたいだよ?」


 顔面蒼白のミゲルが怯えた目でこちらを見ていた。

 状況にそぐわぬその表情に、クリスティーナが怪訝そうに眉をひそめる。


「……どういうことだ?」


「さあ? ありえないほど美味しい条件を前にしても、首を縦に振れない理由がミゲルにはあるのかもしれない」


「お前は分かっているのか?」


「ロジーだ」


「……は?」


 突然のことにクリスティーナが首を捻る。


「僕の名前。“お前”としか呼んでなかったから、知らないのかと」


「こんな状況でバカなことを言っている場合か」


「これから同じ学び舎で勉強するんだ。名前くらい覚えてくれてもいいじゃないか」


「だから時と場合を考えろと言ってる!」


 クリスティーナが声を荒げると同時に、ミゲルが一瞬の不意をついてリーシャの拘束を抜け出した。

 向かった先は出口ではなく――


「なっ!?」


 クリスティーナが驚いたように声を上げる。

 道を空けるように一歩下がると、ミゲルはクリスティーナの腰に下げられた直剣に手を伸ばす。


「そいつをこっちに寄越せ! クリスティーナ!」


 鞘を掴んだミゲルが革紐に固定されていた金具を外し、クリスティーナから直剣を取り上げる。

 はずみで突き飛ばされたクリスティーナが尻もちをついた。


「リーシャ、もういいよ」


 直後、僕の背後から飛び出してきたリーシャが、体を捻りながらふわりと宙を舞った。

 その手には訓練用の短剣。

 刃は潰されているため剣としての用途は果たせないが、それが鉄の塊である以上武器として使えるのは変わらない。


 振るわれた短剣は銀の軌跡を描きながらミゲルの右手の甲をとらえる。

 ゴリ、という鈍い音と共にミゲルの悲鳴が上がった。


「はああ!」


 直剣を取り落とし、右手を庇うように背中を丸めたミゲルの腕にリーシャが組付き、伸ばした足を肩口から首にかける。

 そのまま自身の落下の勢いを乗せ、腕ひしぎの要領で引き倒した。

 ひゅう、と思わず口笛を鳴らしてしまうほど見事な手際だ。


 直剣を拾い、仰向けになったミゲルの前にしゃがみこんで顔を覗き込む。

 口の端に笑みを浮かべながら小首を傾げてみせると、さっきまで蒼白だったミゲルの顔色が今度は真っ赤に燃え上がる。


「さあ選べよミゲル。取引をするのかしないのか、即ち真実か死かだ。その意味は、他でもないお前だからこそ分かってるな?」


「こっ、このガキがぁ……!」


「そうやって僕を甘く見たのがお前の敗因だミゲル。完璧を求めるなら僕のことは殺しておくべきだったな。自分の手を汚さずに事を成そうなんて、土台無理な話だったんだよ」


「そんなはずはない! 俺の計画は完璧だった!」


 くくっ、と喉から声が出る。


「そう、完璧よ。“2つの誤算”が無ければ、の話だけどね」


 荒い呼吸で胸を上下させながら、ミゲルが胡乱げな目で僕を見た。

 ふう、と1つ息を吐き、膝に手を置いて立ち上がる。


「君の目的は2つ。ルクルの排除と、クリスティーナの処分だ」


 僕の言葉にクリスティーナが眉を上げる。


「そして、それこそが2つの誤算になったわけだ。皮肉な話だね、同情はしないけど」


「ちょっ、ちょっと待てロジー……私の処分とは、いったいどういうことだ?」


 尻もちをついた時の埃を払いながらクリスティーナが僕に問う。

 その顔には大きな不安と、そして微かな怒りの表情が浮かんでいた。


「そのままの意味だよ。ミゲルにとって君が不要になった、あるいは邪魔になったから捨てる。ただそれだけの話だ」


「そうじゃない! その理由を聞いているんだ!」


 詰め寄ってきたクリスティーナが僕を見下ろしながら言う。

 きつく食いしばった歯が唇の隙間から覗いていた。


「説明するより見た方が早い」


 僕は手にしていた直剣をクリスティーナに手渡す。


「抜いて、おかしなところが無いかよく見てみなよ」


 剣と僕とを往復していた視線が覚悟を決めたように剣に留まる。

 金属の擦れる音と共に現れた刀身が、天井の照明を反射して鈍く輝いた。


「……」


 柄、鍔、刀身、先端――

 何度も折り返し滑っていた目線が先端に向けられた。


「まさか……」


 慌ただしく皮の手袋を外し、長くしなやかな指先がその先端に触れる。


「っ」


 ぴくりと頬を動かしたクリスティーナ。

 その指先には、赤い血液が小さな玉となって浮かび上がっていた。


「ミゲルの計画はこうだ。入学試験中、君がこの剣でリーシャを殺害、ないしは大怪我を負わせる。訓練用の剣が本物にすり替っていたとなれば、学園側はその裏に何者かの存在を疑うだろう」


 何かに気づいたようにクリスティーナがルクルへと視線を向ける。


「リーシャは銀髪のエルフ、学園にとって異物となりえる存在だ。そして、そんな彼女を排除したい誰かがいるとすれば――」


「わたくし、ですわね」


「そう、教師の許可が無くても学園のどこにでも行けて、なおかつ備品を自由に扱えるという条件にも当てはまる。そして、調査の過程でルクルからは魔導具を使った反応が出るわけだ。その対象はリーシャの身内である僕――偶然にしては出来すぎだね」


「あっ、だからルクルちゃんを!」


 興奮気味に鼻息を荒くするユーリに頷いてみせる。


「そこまでやればさすがのグレンドレック家といえど揉み消すのは不可能。なんたって大勢の前で銀髪エルフが斬られたんだ。そこにルクルが関与してる疑いがあるとなれば、それを疑う人間は誰一人としていない」


 証拠があって動機も十分、とてもじゃないが言い逃れも隠蔽もできない。

 仮に罪を逃れたとしても学園にはいられないだろう。


「そしてセリア、君は恐らくこの件の調査担当に抜擢され、クリスティーナの持ち物から大量の金貨を見つけることになっていただろう。さあ、どうする?」


「グレンドレックとクリスティーナが結託していた、という証拠して取り上げるだろうな。片や金と権力で己の正義を振りかざす暴君、片や金も後ろ盾もない貧乏騎士、もはや疑う余地は無いのだよ」


「探偵のお墨付きももらって犯人は逮捕、事件は無事解決。めでたしめでたしだ。そしてミゲル、君は今度入学してくる新しいお人形と八百長賭博を続けていく――そうだろう?」


 肩を竦めてみせるとミゲルが奥歯を鳴らした。


「君の誤算は2つ――ルクルが考えを改めていたこと、そしてクリスティーナよりもリーシャの方が強かったことだ。その2つが無ければ君の計画は成っていた……と、言いたいところだけど、リーシャに危害を加えたやつを僕は絶対に許さない。結局こうなる運命は変わらなかっただろう、残念だったね」


「……ありえねえ、今日居合わせただけのやつがどうして全部知ってやがる! 何なんだお前は!」


「占い師――」


 短く言ったセリアが自嘲気味に笑い、直後に首を振る。


「……というには、やり方が汚すぎるのだよ。ブラフ、挑発、強請りに嘘、何でもありの小悪党といったところか」


 その通り、と苦笑して口を開く。


「僕は占い師じゃなくて、詐欺師だからね」


 観念したように目を閉じたミゲルに背を向け、体を伸ばしながら長い息を吐くのだった。

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