第25話 異変の手掛かり①
帽子がお気に召したのか、鼻歌混じりにスキップを始めそうなリーシャの後を早歩きで追いかけていく。
つばの広いストローハットは大人の目の高さからリーシャの耳を隠してくれる。
これで周囲の目を気にすることなく外を歩けるというものだ。
フードなんかをかぶせてしまえば手っ取り早いんだろうけど、この暑さの中ではかえって目立つ。
何より、悪いことをしたわけでもないリーシャにそんな恰好をさせるのは気が咎めた。
「まさか、僕が人に対して思いやりを持つ日が来るなんてね」
自嘲気味につぶやくと、タイミングよくリーシャが身を翻す。
3,4メートルほど遅れていた僕に駆け寄ってくると、悪戯っぽい笑みを浮かべ再び腕を絡ませてきた。
「あんまりゆっくり歩いてるとはぐれちゃいますよ?」
「リーシャが早すぎるだけだよ。人通りも多くなってきたから少し落ち着いてあるこうよ、ね?」
昼時のピークは過ぎているものの、市場に近づくほど周囲の人通りが増えていく。
うっかりはぐれてしまえば再会は難しいだろう。
「ふふん、こうしていれば大丈夫ですよ」
ぎゅっと肩を寄せてくるリーシャに年甲斐もなくどぎまぎする。
いや、ロジーの年齢を考えれば何もおかしなことは何もないか。
ほんの2,3週間前にはこんなスキンシップはありえなかったんだけどな。
一緒に仕事をするうちにどんな心境の変化があったんだろう。
まあ、純粋に好意を向けられてるという意味では悪い気はしない。
「あ、そうだ。念のためはぐれちゃった場合の集合場所を決めておこうか」
「そういうことなら、あの日時計なんてどうでしょう」
リーシャの指さした方を見ると、周囲をレンガで囲われた文字盤付きの日時計があった。
実際に待ち合わせに使っている男女も何人かいるようだ。
あそこなら相手も見つけやすいし最適だろう。
「じゃあ日時計に集合ってことで。1時間くらい待っても相手が戻ってこない時は、何かあったと考えてすぐに店に戻るようにしよう」
「はい、分かりました!」
それじゃあ、と気を取り直し市場に足を踏み入れる。
「まずは乳製品を売ってる店から行ってみよう。値上げについて詳しいことを知ってるかもしれない」
「そうしましょ……っとと」
正面から歩いてきた中年の男にぶつかりリーシャがよろける。
腕に力を入れて体勢を崩した彼女を引き寄せた。
「ケガはない?」
「あはは、心配しすぎですよ。ちょっとよろけただけです」
道幅が広いとはいえさすがに人通りも多い。
この辺を歩く人間の多くは立ち並ぶ店の商品に夢中になっているため、僕たちのような子供は特に視界に入りにくいはずだ。
気をつけないと。
「そこのお若いカップルさん! 暑い日にぴったりの特製レモネードはいかが?」
「こっちの野菜も見てってよ! おまけしちゃうよ!」
「アクセサリーあるよ! 今日の記念にどう?」
なんて、少し歩いただけであちこちから声がかかる。
商魂たくましいというか何というか。
例えるならそう……縁日のような、悪くない賑やかさだ。
「あ、ちょっと待った。八百屋には寄っていこう」
運が良かった。
どのみち八百屋には行く予定だったけど、場所が分からないから歩きながら探そうと思っていたところだ。
「らっしゃい! はは、こいつぁ可愛いお客さんだな。ママにお使いでも頼まれたか?」
喧騒の中でも声の通るおじさんが僕とリーシャを見てにこやかに言った。
「あ、いえ。私たちはその……そう! 野菜の値段について勉強している最中で――」
「リーシャ、ストップ」
必死に考えて捻り出したのだろう理由に微笑ましさを感じつつ、リーシャの唇に人差し指をあてて言葉を切る。
「おじさん、バナナ二房もらえるかな。甘いやつお願いね」
「あいよ! 二房で120リチア……と言いてえところだが、可愛いお嬢ちゃんのためにおじさん頑張っちゃうぞ! 100リチアで持ってけ!」
「さすがおじさん、太っ腹!」
軽く悪乗りしつつ硬貨と引き換えにバナナを受け取る。
一度リーシャに持ってもらい、ポケットから取り出した麻布でできた手提げ袋を広げそこに入れた。
「あ、ところでおじさん。1つ聞いてもいい?」
「おお、どうした。恋の相談かあ? そういうことならおじさんに任せてくれ!」
「……違うよ。ここ一ヶ月の間に仕入れ値が上がったものとか、手に入りにくくなったものって無い?」
なんだ、そんなことか、とでも言いたげな顔でおじさんは溜息を吐く。
そんなに恋の相談されたかったのか。
「果物の方は知らねえが、野菜ならニンジンとタマネギが品薄だって話だ。なんでもどっかで大量発注があったとか聞いたな」
「ニンジンとタマネギね、ありがとう」
大量発注が理由なら発注元を突き止めるのは容易だ。
何軒か八百屋を回っていれば知ってる人がいるかもしれない。
そのまま上手いこと乳製品や小麦粉の値上がりとも繋がってくれるといいんだけど。
「ああ、別に構いやしねえが、そんなこと聞いてどうすんだ?」
「この子も言ってたでしょ? 野菜の値段について勉強してる最中なんだ。それじゃあね。また来るかもしれないから、その時もおまけよろしく!」
言いながら手を振って八百屋の屋台を離れる。
滑り出しとしてはこの上ないほど好調だ。
「ぶー」
と、リーシャが僕と腕を組んだまま何やら頬を膨らませていた。
「何むくれてんの」
「私もお役に立ちたかったんです」
「ああ、そういう……」
ぷい、とそっぽを向かれる。
僕に協力しようと思ったものの、途中で遮られてご機嫌斜めといったところか。
「リーシャ、こういうところで情報収集するならまず何か買うところから始めるんだ。相手のノリに合わせて二言三言会話できるとなお良い」
「……あ」
「気付いた? ああいう人たちって商品を買わない人――つまり客じゃない人にはまともに相手をしないことが多いんだ。その分客にはとことんフレンドリーだから、仕入れ値みたいなちょっと突っ込んだ質問にも割と答えてくれる」
「つ、次!」
不意にリーシャが顔を近づけてくる。
空色の瞳が真っ直ぐ僕を見ていた。
「次、私がやってみてもいいですか?」
「ふふ、そうだね。それじゃあお願いしようかな」
自分の非を認められて、なおかつ向上心があるのはいいことだ。
こっちとしても教え甲斐がある。
将来、こんな美少女が僕のような話術を身に着けたらどうなるか。
心配でもあり楽しみでもあり、やっぱりかなり心配になる僕だった。
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