第9話 異世界ノルティア②

 僕とハンナさんは部屋を出て待合室に来ていた。

 町の一角にある診療所といった佇まいにしては上等なものだ。


 さっきから医者の姿が見えないのは往診にでも行ってるからだろう。

 受付らしきところにもそんなようなことを書いた立て札があった。


「そういえば、文字が読めるみたいだ」


「文字って、ノルティア語のこと?」


「ノル……なんて?」


「ノルティア語。ノルティアはこの土地の名前でもあるの。意味は『神様が恋した土地』らしいよ。小さい頃にお母さんに聞いたことがある」


 ふむ、ノルティアね。

 この辺一帯の地方の名前なのか、それとも世界全体の名前なのか。

 どちらかは分からないけど、便宜上『異世界ノルティア』と呼ぶことにしよう。


 最初から言葉が通じてたおかげか意識してなかったけど、このノルティア語という言語は僕の知る限り元いた世界には無かったものだ。

 種類的には文字が音を表す表音文字、英語のアルファベットに近い。


 ためしにいくつか例文を思い浮かべてみると、自然にノルティア語での文章を作ることができた。

 会話だけでなく読み書きも問題なさそうなのは大助かりだ。


 この脳の記憶力がロジーと僕どちらに依存するかは分からないけど、新しい言語を一から覚えようと思ったら最低でも数か月はかかってしまう。

 もしかしたらマリーちゃんのサービスかもしれないな。


「地図とかは無いの?」


「あっはは、そんなのこんなところにあるわけないじゃない。高級品よ?」


 ハンナさんは呆れたように笑って言う。


 地図が高級品ときたか。

 さっきの立て札も木の板に直接書かれていたところを見ると、印刷技術どころか製紙技術も発展していない可能性がありそうだ。


 文明レベルはさほど高くない。

 その代わりに、魔法という技術体系が存在していると。


 元いた世界とはだいぶ勝手が違いそうだ。

 知識云々の前に、まずは常識を身に着ける必要があるか。


「うん、分かった。それはおいおい見る機会がありそうだから今はいいや」


 上手いことロメリア魔導学園に潜りこめれば地図の一つや二つ見るのは容易だろう。


「じゃあ次はロジーについて教えてほしいな。僕の想像だと頼れるような身寄りがいない気がするんだけど、どう?」


「……ええ、ロジーくんはその、口減らしでこの村に置き去りにされた子供だったから」


 ハンナさんは悲しそうな顔で窓の外に目を向ける。

 視線を追っていくと一軒の家屋が見えた。

 まず造りが違う。他より明らかに高い技術で建てられたものと分かる。


「あれは?」


「孤児院よ。ここはトレア王国の領地なんだけど、その王女様がわざわざ私財を投じて建ててくださったものなの。ロジーくんも一年前まではあそこに住んでたんだよ」


 民思いの王女様ってわけか。

 ハンナさんの表情から深い尊敬の念が見て取れる。


 それにしてもロジーが捨て子とはね。

 王女が自ら孤児院を建てるくらいには差し迫った問題になっているんだろう。


「ちなみに、ロジーって名前は本名?」


 ロジーといえば元いた世界では多くの場合女性に使われる名前だ。

 同じ理屈が通用するかどうかは疑問だけど、本名を縮めたあだ名の可能性もある。


「うーん、どうだろう。この村に置き去りにされたのは自分がロジーって呼ばれてたことしか分からないくらいの歳だったから」


「ということは姓も無かったり?」


「うん。今はこんなご時世だから、無い子の方が多いくらいじゃないかな」


 捨て子が一般的とはまた世も末だ。

 そりゃあ王女も私財だなんだと言ってる場合じゃないだろう。

 今はどうにかやっていけたとしても、子供が育てられない環境となれば少子高齢化は一気に進む。

 放置すればいつ国が傾いてもおかしくない。


「なるほどね。頼れるあてが無いとなると、学費は自分で調達するしかなさそうだ」


「学費?」


「うん、王立ロメリア魔導学園とやらに入ろうと思って。勉強するなら学校でしょ?」


 あっけらかんと言う僕に対し、ハンナさんは信じられないようなものでも見るように目を見開いた。

 そんなにおかしなことを言ったかな。


「ちょ、ちょっと待ってロジーくん! あそこの入学金がいくらか分かってる!?」


「いや、知らないけど。いくらなの?」


「500万リチアよ!? 1人だったら10年は働かずに暮らせる額なんだから!」


 リチアというのがお金の単位だろう。

 つまり、単純計算で1人が1ヵ月生きるのに必要な額は4万リチア程度といったところか。

 これを指標として逆算していけば物価についても分かりそうだ。


「入学金ということは授業料はまた別に払う必要がある?」


「もちろん! そっちは年間でおよそ100万リチア、ロジーくんは2年から入るにしても卒業までに合計700万リチアも必要よ!」


 肩を怒らせて言うハンナさんを手でなだめる。

 まあ確かにそんな余裕が彼女の家庭にあるわけがない。


 だからこその特待生枠か。

 そりゃあ他人の人生を犠牲にしてでも手にしたい気持ちは分かる。


「それについては何とかするよ」


「何とかって……何とかできたら私も弟を学園に通わせてあげられてるんだけど」


「大丈夫、手段を選ばなきゃ方法はいくらでもあるよ。それより、新学期が始まるまであとどれくらい? なるべくならその時期に間に合わせたくて」


「3ヶ月も無いんじゃないかな」


「3ヶ月ね、ありがとう」


 ということは入学試験なんかの日取りを考えると実質2か月も無いくらいか。

 元の世界と勝手が違う以上そう上手くはいかないだろうけど、それでも僕にはインチキ占い師としてのスキルと経験がある。


 さあ、まずは何から始めようかな。

 僕は窓の外の景色に目を向けながら、2か月以内にお金と後ろ盾を手に入れる算段を始めた。

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