第7話 見知らぬ風景、見知らぬ僕③
「……それで、聞きたいことは何?」
お姉さんが口を開くまで待つこと10分。
声にはまるで覇気が無い、観念したといった様子だ。
「じゃあ、まずはロジーがこうなった原因に君がどう関わってるか教えて?」
長い溜息の後、お姉さんは視線を窓の外へ向ける。
「王立ロメリア魔導学園の入学試験……は知ってるよね」
……うん?
「私の弟、パイクっていうんだけど、弟は当時12歳にしては剣も魔法もすごかった。もちろん身内びいきっていうのもあるけど、特待生枠に入れるって私信じてた」
あー、うん。
ちょっと待ってほしい。
情報の濁流に脳の処理が追い付かない。
王立? ロメリア? 魔導学園? 剣……は分かるとして、え、魔法?
立ち眩みを起こしそうになる体を無理やり支え、苦し紛れに腕を組んで壁に背中を預ける。
「うちはお金が無かったから弟たちを学校に行かせてあげられる余裕がなかった。でも、特待生になれればお金なんて無くても教育を受けさせてあげられる。そう思って弟を……ねえ、聞いてる?」
「んぁ、あ、ああ。聞いてるよ。弟さんは難なく合格したけど特待生枠には入れなかった。そっちは補欠だったんだね」
「……本当にどうなってるんだろ。その話、家族以外の村の人は知らないはずなのに」
『特待生枠に入れるって私信じてた』という言い回しは、合格はしているけど特待生枠には入れなかった場合にしか使わない。
過去形というのは一種の諦め、つまり否定を表す形でもある。
今回は合格については否定していない。合格すらできなかったのなら、お姉さんの言葉は『合格できると信じてた』になるはずだ。
そしてその後のお金の話は『もう少しでそこに届いたのに』という特待生枠に対する未練。
この時点で特待生になれなかったのは確定、さらに言えば『補欠』という意味合いも見えてくる。
お姉さんが何らかの理由でロジーに罪悪感を抱いていることとも照らし合わせると、パイクくんとやらが補欠になった原因の一端はロジーにあるのだろう。
なんとなく話が見えてきたな。
呆れたように笑うお姉さんに続きを促す。
「そう、あなたの言う通り、弟は特待生が辞退した場合の補欠だった。当然普通に入学しても学費が払えないからって、入学を辞退しようとしてたんだけど――」
「特待生枠の合格者、つまりロジーを襲撃しようって話が舞い込んできた?」
「……私、説明する必要ある?」
「もちろん。もう割り込まないから、続けて?」
「……特待生の補欠は何人もいるから、もしロジーくんが辞退したとしてもパイクが選ばれるとは限らないのにね」
「それでも、僅かでも可能性があるならと誘いに乗った」
「そういうこと」
どこか懐かしむように、そして積年の後悔を打ち明けるように、様々な感情の渦巻く瞳で僕を見ていた。
「私、どうしても弟を学校に入れてあげたくて……っ!」
話しながら当時の自責の念が溢れてきたのか、お姉さんの頬を一筋の涙が伝う。
いい感じに心を開いてきた。
もう一押ししたら仕掛けてみよう。
「落ち着いて。泣いてもいいから、少しずつ続きを話してくれる?」
お姉さんの前に跪いてそっと手を握り、優しく親指を撫でる。
……この姿でやると背伸びした子供みたいであんまり決まらないな。
微笑ましい感じになってる気がする。
「ひくっ……だから私、話を持ち掛けてきた人に、射抜いた相手を1週間眠らせられる魔法の矢をもらったの。それで、期限の1週間前に書類を送ろうとしてるロジーくんを狙って……」
「ところが、ロジーは1週間経っても目を覚まさなかった」
「本当にごめんなさい……! 私は本当に! ただ弟のために特待生枠が欲しかっただけで、ロジーくんが1年間も眠ったままになるなんて望んでなかった!」
なるほど。
私じゃない、と言おうとしていたのも納得だ。
それに、手入れの行き届いたベッド回りと空の花瓶、その理由が分かった。
しかし1年か、これは相当な後悔だ。
立ち上がり、泣きじゃくるお姉さんを正面から抱きしめる。
長身だけどかなり細身だ、栄養状態があまり良くない。
「だからロジーの世話をしてたんだね。ほとんど毎日シーツを換えて、いつ目を覚ましてもいいようにマッサージとストレッチを続けて。花瓶に花を飾らなかったのは、後悔からかな」
「あ、いや、体については回復魔法で……」
「回復……えっ」
「えっ? あの、回復魔法よ。マッサージじゃなくて」
「……」
僕はこうして仕事をするとき、どんな展開にも動じない自信があった。
ただし、それはあくまで今までの常識の延長線上にあるもの限定だ。
ここの常識に対する耐性はない。
少なくとも“射抜いた相手を1週間眠らせる魔法の矢”とやらまでは耐えた。
“そういうもの”として無理やり納得させていただけで、正直あそこがギリギリだったけど。
「あ、その……ごめん」
このまま抱きついたままなのもアレなのでお姉さんから離れる。
ひとまず向かい合ってみると、お互いに気まずそうな顔をしていた。
「……あっははっ」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたままお姉さんが笑う。
気づけば僕もつられるように笑っていた。
もしかして、マリーちゃんは僕にこういうことをさせたかったのかな。
だったら大成功だよ、事は君の思惑通りに進んでる。
「ありがとね、ロジーくん。私に謝るチャンスをくれて」
トラウマに限らず、胸につっかえた不快感を取り除く特効薬は誰かにそれを打ち明けることだ。
今回は図らずもカウンセリングみたいになってしまった。
まあ、お姉さんは嬉しそうだし、結果オーライということで――
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