第6話 見知らぬ風景、見知らぬ僕②

 ロジー、というのが僕の名前(正確にはこの少年だけど)らしい。

 恐らくローゼス、ロズウェルなんかを縮めてロジーと呼んでいるんだろう。


 その名前に心当たりはない。

 窒息死する以前の記憶はほとんど思い出すことができる。

 ただ、このロジーという少年については思い出すどころか何も分からない。


 僕がロジーになってしまったのは今の状況でなんとなく分かる。

 だとすると、これまで十年ちょっと生きてきたはずのロジーはどこへ行ったのか。


 現代科学で言えば記憶は脳が保管している。

 だからここにロジーの脳がここにある以上、記憶も残っているはず……なんて理屈は恐らく通用しないだろう。

 少なくとも一度窒息死した人間が見ず知らずの少年になっている時点で、科学だなんだという常識からは既に外れている。


 ただ一つ確実なのはマリーちゃんが何かしたということだけ。


 あの時渡されたカードは逆位置の『死神』だった。

 意味は再生、生まれ変わり、リセット。

 カードの意味に沿った処遇が与えられるという話だったけど、それがこの状況なんだろうか。


 僕が正位置の『死神』を選ぶことで自身の人生を終わらせ、彼女が逆位置の『死神』を告げることで僕の人生をやり直させる。

 あまりにできすぎた話だ。

 それこそ最初からそう仕組まれていたみたいに。


 単なるこじつけかもしれない。

 でも、全否定できないくらいには現状を示しているように思う。


 生まれ変わり、転生……か。


 とんでもないことになったね、まったく。

 と、それはひとまず置いておこう。


 今はこの状況をどうするかだ。

 目覚めるはずのない人間が目覚めるというのは思ったよりもめんどくさい。


 これが単なる事故によるものならいいんだ、奇跡が起こったで済ませることができる。

 厄介なのは何らかの謀略や口封じに起因する場合。


 もしそうだった場合、僕が目覚めたと知った誰かは再び僕を狙いに来るだろう。

 ロジーという少年の記憶は一切ないと言っても信じてもらえるはずがない。


 つまり、誰が敵で誰が味方かも分からない状態で、襲撃者に怯える日々を過ごさなくてはならなくなる。

 生前ならともかく、お金もコネもない10歳そこらの少年の状態でだ。


 ……現実的じゃない。


 となればやるべきことは決まった。

 子供の姿だろうとできるはず――いや、“ロジーが目覚める”というありえないことが起こった今だからこそできることがある。


「驚かせちゃってごめん。少し話がしたいんだけど……いい?」


「は、はい……?」


 まだ茫然としているお姉さんの両手を引き部屋に招き入れる。

 一瞬だけ廊下に顔を出し、この状況を見た人間が他にいないか確認しておく。


「……あの、本当に、ロジーくん、なの?」


 一瞬だけ目が合うと、お姉さんは慌てたように下を向く。

 患者と看護師の関係じゃない、お姉さんはロジーを知っている。


 少し揺さぶってみよう。


「うん。体はロジーのものだよ、でも心は違う」


「え、それって……どういう」


「ロジーは今も目覚められない状態にある。もちろん、お姉さんも知ってる理由でね」


 理由、という単語に反応してまばたきが3回。

 やっぱりだ、その状況を思い返している。


「わ、私は……!」


「お姉さんは?」


「っ」


 お姉さんは視線を泳がせながら唇を噛む。


「怯えなくたっていいよ。僕がこうしてお姉さんと話しているのは、お姉さんがどうしてロジーに罪悪感を抱いているかを知りたいからなんだ」


「なんでそれを――」


「知ってるのかって? お姉さんのことなら色々知ってるよ。ここでの仕事は主に掃除と洗濯。別の場所でも働いてるみたいだね、パン屋かな。下の兄弟たちを養うために働いていて両親はいない。家の経済状態はそこまでよくない。それが理由かロジーが理由か、最近強いストレスに晒されてる。そのせいで昨日もあんまり眠れなかったみたいだ」


 考える暇を与えないように喋っているとお姉さんの顔が真っ青になっていた。

 水が原因の手荒れ、エプロンについた小麦粉とパンの匂い、ダブルワークの理由、血色の悪い肌、ボロボロの靴、ほつれたスカートの裾、親指の爪に新しい噛み後、目の充血。

 手を握るときに少し近づいただけでもこの程度の情報は読み取れる。


 ある意味インチキ占い師の必須スキルだ。


 ただ、どことなく安堵の表情が見える。

 なるほど、こっちが急所か。


「それと、弓の名手だね。罪悪感の理由はこれかな? ロジーを狙ったとか」


「ち、違っ、違うの! 私じゃ――」


 慌てて口を押えるお姉さん。


「……こんなはずじゃなかった、そう言いたそうな顔だね」


 そう言って微笑みかけると悲しそうな表情を浮かべる。

 そのブラウンの瞳を正面から見据えていると、お姉さんは諦めたように目を伏せた。


「あなた、本当にロジーくんじゃないみたいね」


「そうだよ、だってロジーは目覚めないんだから」


 この一言がトドメになったのか。

 お姉さんは長い溜息を吐くと、ベッド脇のイスに腰かけ静かに天井を仰いだ。

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