「こいつは……預かっておく」

「好きにしな」

 ニッと笑った黒川に対して、灘は鼻を鳴らして二挺の拳銃をしまい込んで再び歩き出す。

「嫌いになれねえなあ、やっぱり」と黒川は呟き、灘の後ろにいた男に話しかける。

「不和、久しぶり」

「お久しぶりです、黒川くん」

「悪いけどさ、フランスに俺の友達がいるんだけど、そこにあの二人を秘密裏に送ってやってくれないか? 後日由良に連絡させるからさ」

「だったら戸籍も新しいのを作りましょう。部下がいなくなっても、一応は元裏社会の頭目たちですからね。ですがあくまで仮の名前、二人が抱く名の誇りに傷が付かぬように配慮はしてあげましょう」

「助かる」

 不和と呼ばれた男がちらっと横目で桐乃を見てくる。少々不気味ではあるが、灘と一緒にいたということは警察関係者であろう。ということは、仲親し気な会話を交わしているところから予想するに、彼もまた支援者の一人なのかもしれない。

「さすがにここまで大ごとになると隠しきれません。じきに百数名近い警察官と海上保安庁の巡視船が到着するでしょう。逃げるのであればお早めに」

「その前に」言って、黒川は桐乃を見る。「彼女を頼みたい」

 黒川の言葉に、桐乃は何も返せずに佇む。隣にいる由良が目を伏せて数歩下がる。

「何かあれば、俺たちに利用されていた、とでも言って誤魔化しておいてくれ」

「わがままな子だ」

 笑って、不和はサイレンの音が鳴るほうを見た。徐々に近づくパトカーの数は尋常ではないと桐乃にもわかる。黒川は静かに桐乃に歩み寄って来た。

 まだこの世界にいたい。しかし、桐乃は今回のことでわかったことがある。

 自分はこの世界でも役に立たない。

 真似事をしてみても、結局何もできなかったことに変わりない。

 変わりないのだが――黒川は、ぐしゃぐしゃになりそうな桐乃の心を見透かすように言う。

「俺が到着したのはギリギリだった。その前に最後の一本までお嬢ちゃんが解体してくれていたから、皆助かったんだよ。誰にでもできることじゃない。お嬢ちゃんが勇気を振り絞って立ち向かったから、この場に皆の笑顔がある」

 見渡してみると、一緒にいた鳴瀬、アーサー、オーガストの笑みが桐乃に向けられていた。

「天嵜桐乃だからできたことだ。自分に価値がないだとか、自分を卑下するのはもうやめてあげな。自分を大事にして、優しくしてやれ」

 掌を頭に乗せられ、軽く髪をほぐされる。気付かぬ間に流れ出ていた涙を最後に黒川が指で拭い、すっと離れていく。

「また、会えますか?」

 桐乃の問いかけは実にか細い声だった。由良が停めてあった車の前でお辞儀をして乗り込み、鳴瀬は名残惜しそうに手を振った。二人に続いて黒川は車に乗り込んだ。

「この世界のどこかに、俺たちはいるよ」

 最後まで振り返らず、黒川たちを乗せた車は走り出した。二台の車が走って来て、一台にアーサーとオーガストが乗り込んだ。去り際に「ありがとう」と二人に言われて、桐乃は唇を震わせながら、笑顔で応えた。走り行く車を見送り、桐乃は自分からあちら側の世界が遠退いていく感覚を全身で感じていた。

「行きましょうか、お嬢さん」

「……はい」

 不和に促され、桐乃は車に乗り込んだ。車の扉が閉まる。桐乃にはそれが、あちら側とこちら側を遮断する巨大な壁のように見えた。


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