始まり、終わり



 階段を上がった先、特別装飾がきらびやかな扉に手を押し当て、黒川は「大詰めだ。心の準備は?」と訊ねてきた。

「初めからずっと準備してきましたから」

「OK」

 軽く扉を押し、静かに開けられた扉の奥へと足を踏み入れる。揺れ動くテーブルの軋む音も、倒れて転がっていく椅子が奏でる音も、どこからともなく聞こえてくる銃声や爆撃音も、受け流すように振り返ったオーガストは話しかけてきた。

「黒川一士……だったか」

ouiウィ

 嘲笑うでも馬鹿にするでもない口調で黒川は笑みながら、転がってきた椅子を足で止め、起こしてその椅子に背もたれを前にして座り込んだ。オーガストは動じることなく、穏やかに応対する。ズボンのポケットに手を入れ、疲労感のある表情を浮かべる。

「それと……どちら様かな?」

 言われて、桐乃は慌ててオーガストの向ける視線の先へと目を向けた。扉の隙間ではなく、まるでまったく別の空間から風が入り込んだかのようにカーテンが揺れ、間接照明だけの薄暗い部屋の中、絵画の飾られた壁際――白いハーフマスク、仮面舞踏会やハロウィン、祭事に使用される目元と鼻を隠す、道化の仮面を付けた人物に桐乃は息を飲んだ。

「僕のことはお気になさらず。せいぜい佇む狂言廻しとでも思ってください」

「狂言廻しなら関われよ」

 笑って、黒川は嬉しそうに訊ねた。

「上手くいったかい?」

 ハーフマスクの奥で、道化の男は安堵に満ちた表情で黒川に告げる。

「胸が痛みます」

「俺も微力ながら協力させてもらったよ。アイツは嫌いになれない、憎めない奴なんでね」

 アイツ? と桐乃はここ数分の出来事の中で思い当たる人物を検索する。ヒットしたのは灘源一郎。何か接点でもあるのだろうか、二人を交互に見て、しかし話はオーガストのほうへと戻っていく。

 道化の男は壁に寄り掛かり、オーガストは渋い顔つきで黒川のほうを見る。

「さて、終止符を打つにあたって、きちんと話をしておこう。時代っていうのは周期がある。必ず、どこかに節目があって終わりがある。そして始まり、それを人は時代の移り変わりと呼ぶんだ。ようするに、ダイヤが在ろうが無かろうが、時代は常に変化し、移り変わっていくってことさ。ダイヤがその中心にあるとするのなら、ダイヤを持つオーガスト家は世界の頂点に立っていたっておかしくない。にもかかわらず本人を前にして言うのもなんだが、それほどオーガスト家は大きな組織とも言い難い。どちらかといえば中くらいだな。覇権を握れるような権力もなく、今に至っては数十年前から落ち目になってきているのは確かだ。だから、ダイヤに悪魔的な力なんてものは宿っちゃいない。そもそも、あのダイヤはそういうものじゃない。もっと温かくて、優しいもの。人の心を惑わすのではなく、和らげ、幸せな気持ちにするはずのものだ」

「……どこまで知っている?」

 不愉快そうに、しかし儚げにオーガストは訊ねた。

「全部」

 黒川は無邪気な悪戯顔を浮かべた。

「とはいえ、全部っていうのは知りたいと思ったことだけだ。あんたの気持ちとか、そんなものに興味はないからさ。まあなんだ、話は戻って、ダイヤを所有していたあんたは闘争が激化する前に家族を日本に逃がした。その際、拠点の一つとして当時日本に滞在していたある男に家族とダイヤを託したわけだ。そのある男というのが、ユージン・シャーロット。そしてその頃、妻のお腹にいた子供は長期化した闘争の影響でシャーロット家のもとにいることとなったわけだ。その子供こそアーサー・シャーロット、そして本当の名前は」

 オーガストが目を眇める。

「アーサー・フレデリック。つまり、アーサーはあんたの実の娘さ」

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