這い上がる者


 甲板で銃を構えていた男たちの掃除をし終えて、鳴瀬は振り返る。立ち上る煙や響き渡る銃声をバックに、両手に銃を携えたアーサー・シャーロットと向き合う。虎波は銃撃戦で穴だらけになった甲板の端っこへと移動し、その手にはダイヤが握られている。

 勝負。黒川との打ち合わせではそこまで想定していなかったが、流れに支障はない。

「さ、始めようか」

 じりじりするほどの熱気を放ちながら、アーサーの目が鋭く鳴瀬のほうへと向けられる。必死に姿が、何とも言えない虚しさを鳴瀬に抱かせる。引き金が引かれる。響いたのは一発ずつ、それは鳴瀬がアーサーに、アーサーが鳴瀬に向けた狙撃ではなく、互いの背後に襲い掛かろうとしていた男たちに向けての狙撃だった。互いに背後から襲ってきた人間を撃ち仕留め合い、それはまさに勝負開始の合図の代わりとなった。

 走りながら、身を隠しながら、あるいは跳びながら、時には無謀なまでに突っ込みながら、二人の限りある弾丸は空中を螺旋して音を裂く。さらに第三者による射撃の雨が降り注ぎ、虎波もまた走りながら躱していく。甲板は穴だらけ、近くの窓硝子はすべて打ち砕かれ、縁の手摺を抉り壊し、もはや豪華客船は戦禍を被ったかのような酷い有様になっていた。

「くそっ!」

 余裕な笑みを浮かべる二挺拳銃、鳴瀬とは対称的に、アーサーは悔しそうな顔をして鳴瀬の弾丸がかすめた右肩を押さえる。物陰に転がり逃げ、すぐさま飛び出し発砲する。しかし、鳴瀬は右足を軸にくるりと回って、呑気な様子で弾丸を難なくかわす。

「やっぱり……鳴瀬、まさか」

「うん?」

 確信したかのような口ぶりでアーサーが鳴瀬に問う。

?」

 その言葉に鳴瀬は苦笑する。顔を左右に振って、鳴瀬は目を瞑る。カチンときたのだろう、アーサーは両手の拳銃を同時に構えて時間差をつけて引き金を引いた。そして棒立ち状態だった鳴瀬が勿体ぶるように動いた。

 弾丸は、遥か彼方、海へと消えていく。

「見えないよ、俺には弾丸なんか見えない。さ」

 耳をとんとん、と拳銃のグリップで叩き、片目を開けた鳴瀬は静かにもう片方の銃をアーサーへと向ける。

「『狡賢い足捌き』。殺されないための回避歩法だよ。ただ、これは動作だけで回避できるわけじゃない。殺し屋稼業は感覚が命でね、とくに鳴瀬一家は『聴覚』を最大の武器としている。でもね、それだけじゃ足りないんだ」

 ひょい、と圧し折れて倒れていた白い円柱のモニュメントに飛び乗って屈む。睨むように見てくるアーサーを見ろしながら言葉を紡ぐ。

「鼓膜だけじゃない。全身で音を、振動を感じ取っているんだ。ま、だからと言って弾丸を避けられるわけじゃない。例えその素質を持った人間が真似をしたところで弾丸をかわすなんてことはできやしない。それは断言するぜ。なら、その差は何だってことになるだろう?」

 モニュメントから飛び降り、鳴瀬はアーサーとの距離を縮めながら答えを口にする。

「どれだけの死を経験したか、どれだけの死を見てきたか――どれだけ、死を怖れるか」

 鳴瀬の言葉にアーサーは目を丸くさせる。

「俺は誰よりも死を恐れている。死にたくない。絶対に死にたくない。不老不死があるのならすがるし、永遠の命にも憧れを抱くよ。刃が身体を通るなんて寒気がするし、銃弾が身体を貫通するなんて想像しただけで眩暈がする」殺された婚約者の死にざまを思い出し、胸の奥で疼く憎悪を抑え込む。「……だから、俺は死を肌で感じて、死から逃げている。人間の本能が退化しちまった平和ボケした奴にこういうことはできないさ。死を身近に生きてきた、そういう経験が俺を築いているんだからな。でも、この考えに反論する奴もいるんだろうけれどね。死から目を背けるのかって。でも、死から逃げることは、死から目を背けることじゃない。向き合うことだよ」

 隠すことなく、曝け出して、人差し指で銃をくるくると回しながら、鳴瀬はアーサーの前に立つ。隠してきた殺気を表に出し、殺し屋として語り掛ける。

「俺をちゃらんぽらんで阿呆みたいな男だと思っていると痛い目に遭うぞ。居酒屋では酒のせいで本領発揮できずに終わったけれど、万全な状態であれば、あの弾丸の嵐の中を俺は平然と歩いていける」

 鳴瀬が見せた殺気に圧されたのか、手足を震わせ始めたアーサーは目で訴えてくる。

「私は、アンタのように逃げることはできない。死を恐れていることは確かだ。でも、逃げられない。逃げたくない」

 至近距離――アーサーから撃ち出された弾丸を、鳴瀬は難なく躱す。その瞬間、アーサーの表情が崩れた。戦意喪失とまではいかないまでも、完全なる実力差に銃をゆっくりと下す。

「俺みたいに死から逃げようとせず、死に立ち向かう……それを勇気と言うには無謀過ぎるな。相手は殺し屋を名乗っている男だぞ?」

「こっちもそれなりに名を背負っている」

 覚悟のこもった瞳を向けられ、鳴瀬はアーサーがどれだけ本気でこの場に立っているのか、はっきりと感じ取った。どうにか言葉で抑え込もうと意気込んでみたが、黒川のようにはいかないな、と鳴瀬は笑んだ。

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