心なしか身体が軽く、しかし命を狙われた直後だ、警戒は怠ってはならない。アルバートの判断にしては愚かしい奇襲だ。しかもあの武装集団には見覚えがあった。元グリケルト・バーボンの部下。アルバートの指示ではなく、しびれを切らした連中の独断襲撃とみて間違いない。

 アルバートがグリケルトとクランチを殲滅した首謀者だとすれば、配下に連中の部下を取り込んでいると考えるべきだ。しかし、おそらくアルバートにとって、双方の組織から取り込んだ下っ端は捨て駒のようなものだろう。生かして逃がしたとしても、アルバートが始末していただろうとアーサーは死体の山を一瞥してから踵を返した。

 不用意に外出したことを部下に怒られるかもな、とアーサーは夜道を歩き出す。あの女たちもダイヤを狙っているのだろうか? そんな疑問を浮かべながら、部下に連絡を取る。迎えにすぐ来るからあまり動くなと叱られ、アーサーは苦笑いを浮かべながら「悪い」と謝った。落ち着いた心に、少しだけ戸惑いを感じながら。



 裏口を抜けると、複雑に入り組んだ道へと出た。「正面突破でも良かったが、お嬢ちゃんも由良もいたからな」と鳴瀬が呟きながら拳銃の弾を装填した。

「足手まといみたいな言い方はやめてください」と由良。

「そういうことじゃないって。正面突破すれば間違いなく、さっき以上に血なまぐさいところをお嬢ちゃんに見せるところだったんだ。できるだけ残虐なシーンを避けてんだよ!」

 う、と桐乃は厨房での凄惨な光景を思い出してさらに気分が悪くなっていった。血の抜けていくこと切れた人間、人が殺害されるシーンを目の当たりにして、誰かが死ぬ映画のワンシーンと比較しようもない気分の悪さに、そろそろ我慢も限界に近かった。

「っと……! しつこいなあ!」

 小道から出てすぐ、少しだけ広い場所に出た直後、ぞろぞろと同じように武装した男たちが姿を現した。鳴瀬が銃を構え、由良も臨戦態勢に入る。銃声が響く。遠く、走って来た道の奥から聞えてきた。

「店の方角……あいつら無事だろうな?」

 鳴瀬がそう呟くと、武装集団に動きがあった。一人が「表だ!」と叫ぶと、一斉に背を向けて走り出したのだ。その瞬間、鳴瀬が察して声を上げた。

「最初から狙いはマフィアのボスか!」と鳴瀬が銃口を向ける。

「鳴瀬くん、彼らを食い止めます!」と由良が指先を動かす。

 十数人の武装集団、その動きが、止まる。由良の仕業か? といったふうに鳴瀬が由良を見るが、由良は目を丸くさせ、指先を震わせていた。由良の仕業ではないとなると――桐乃は吐き気を堪えながら、前を、奥を、武装集団の全歩へと、目を向ける。

 一人、暗闇に浮かぶ男を見つけ、しかしその姿がはっきりとする直前、

「お嬢ちゃん見ちゃ駄目だ!」

 鳴瀬の声が飛んできて、目元を手で覆われた。何が起こっているのか、さっぱりわからない。しかし、呻き声や液体が飛び散るような音、何かが圧し折れたり倒れたりする音が桐乃の耳に入ってくる。それはほんの数秒のことだった。

「鳴瀬、由良、こんなところで何をしている?」

 声――黒川一士の声が水たまりを歩くような音と共に近付いて来る。

「ばったり偶然会ったんで、カジノで助けてもらったお礼に、ちょいと飲みに行っていたんだ。そこにこいつらが現れてさ」と鳴瀬がへらへらと答える。

「申し訳ありません、黒川さん……私がいながら」

 申し訳なさそうに由良が言うと、黒川はため息を吐いて「しょうがない奴らだ」と少し怒ったような口調で言った。違う、桐乃が自分の意思で二人に付いて行ったのだ。そして巻き込まれ、自分がいなければ二人は難なく状況を打破できたはずなのだ。迷惑をかけたのは、自分だ。

「違うんです! 全部私が勝手に!」

「ちょっとお嬢ちゃん!」

 目元を覆っていた鳴瀬の手を払いのけ、黒川に事実を伝えようと――目の前に広がる光景に、絶句した。原形を留めていない人間があちらこちらに倒れ、血だまりが今もなお広がってきている。その血だまりを歩いて来たのだろう、黒川の靴跡が綺麗に地面に残っていた。込み上げてきた吐き気は、もはや我慢できるものではなかった。咄嗟に走り、壁に手を衝いて桐乃は吐いた。気持ち悪さが止むことはなく、吐いても吐いても、吐き気は治まらない。鮮明に記憶してしまった残酷な世界が、映像として何度も何度も、制御がきかない状態で再生される。嗚咽が止まらず、涙も止まらない。まるで地獄を味わっているかのような状態だった。

「黒川のせいだぞ」

「馬鹿を言うな」

 冷たい口調で言って、黒川は大将に詫びの言葉を告げ、歩み寄って来た。吐き気に苦しむ桐乃の背中に手を乗せ、話しかけてくる。

「お嬢ちゃんはこの世界の綺麗な部分しか見てこなかった。確かに俺たちがいる世界はお嬢ちゃんたちから見てみれば映画の中の世界に見えるかもしれない。だが、これが現実だ。どうだい、この世界が嫌になっただろう?」

 言葉にならない思いが涙を増幅させ、顔はぐしゃぐしゃだった。

 黒川がどうしてこの世界から桐乃を突き放したいのか、今、はっきりと理解できた。銃撃戦の嵐では実感がわかなかった。どこかで鳴瀬たちが助けてくれると、大丈夫だと思っていたからだろう。映画の主人公はそう簡単に死ぬことはない。それは映画の中の世界だけであって、そして桐乃は映画の主人公でも何でもない、平凡で普通、エキストラの一員程度。勘違いをしていた。そしてその勘違いに気付き、現実を知った。人の死を目の当たりにすることで、理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る