真っ赤なドレスなど着たことのなかった桐乃は少しだけ気恥ずかしいと感じながら、レストランへと入っていった。黒川に「似合っているよ」なんて言われたときには心臓が止まりそうになったが、きっとお世辞だろう。

 隣を歩くは国際指名手配犯とその仲間の女性、そして殺し屋の男。だらしない格好だった鳴瀬も、スーツ姿だった由良も、黒川と桐乃に合わせてそれぞれ正装を身にまとっていた。由良が言うには最上階を貸し切り予約したという。黒川が先頭を歩き、最上階へとエレベーターで向かう。フロアに入ると店員が奥へと案内し、向かった先にあったテーブルを見ると、すでに一人、男性が座っていた。

「よお、黒川の旦那」

「津屋、来ていたのか」

 黒川が津屋と呼んだ男が立ち上がり、大きめの茶封筒を手渡してきた。三十代だろうか、少々小汚い格好とニヤニヤした顔が少々不気味な津屋は、首を鳴らしながら言った。

「長年情報屋をしてきたが、さすがに今回は骨が折れたぜ」

「いつも助かるよ。由良」と黒川は由良に声をかけ、由良はバッグから厚みのある封筒を取り出し、津屋に手渡した。

「毎度。んじゃ、またな」

 そう言って津屋はエレベーターに乗り込んでさっさとレストランから立ち去って行った。

「今のは昔なじみの情報屋でね、身なりはアレだけど、腕は確かだ」

 黒川がそう言うと、鳴瀬は「胡散臭いし怪しいけどな」と付け足した。黒川に椅子を引いてもらい、桐乃は照れつつも素直にエスコートを受けて座った。由良も同様に鳴瀬にエスコートしてもらい、席に座る。全員が席に着いたところでレストランのオーナーらしき人物が現れて一言二言黒川と言葉を交わし、それから食前酒を頼み、小前菜が運ばれてくるまでの間、黒川は津屋から受け取った茶封筒から書類を出す。淡々と笑顔で書類に目を通し続ける黒川。海老とトマトのアミューズ、そして食前酒のシャンパンが運ばれてきて、書類を元の茶封筒に戻した。

「さて、津屋からの情報も揃った。これから動くぞ」

 シャンパンのグラスを持った黒川に合わせて、全員がグラスを持つ。軽く乾杯の動きをしてからそれぞれが軽く口を付ける。すると、ただ一人、鳴瀬だけが一気飲みした。「ちょい待ち、仕事の話の前に一つ」と鳴瀬が挙手する。どうしたのだろうと桐乃が目を向けると、ちょうど鳴瀬と目が合った。

「こちらのお嬢さんのことを、名前以外聞いていないんだけれど。何か、こういう高級レストランにも慣れている様子だったし、気品もあるし、もしかしてどっかの御令嬢とかじゃないよな?」

「いい観察眼だ。それを仕事に活かしてくれよ、鳴瀬」

 グラスを置いて、黒川はニッと笑った。

「天嵜製薬の御令嬢、天嵜桐乃。ちょっと色々あって逃亡の手助けをしてもらった。それからお前の借金を帳消しするために人肌脱いだわけだ」

「ただの観光客じゃねえじゃん!」

「お前、それを信じていたのか?」

 馬鹿にするように黒川が言うと、鳴瀬は瞬時に顔を逸らした。

「彼女の記憶能力に助けられたんだ。これからはギャンブルから少し離れろよ」

「記憶能力?」

「彼女は特殊な状況下のみ、目に映るすべての映像を記憶することができる」

「何それ、すげえ!」すぐさま鳴瀬は桐乃へ顔を向けなおす。しかし、鳴瀬は疑問に満ちた表情を薄ら浮かべた。

「でも天嵜製薬の御令嬢が、どういう経緯で場所にいるわけ?」

 ちらっと黒川が桐乃を見てきた。おそらく話していいのかどうか、その承諾を得る意味で見てきたようだった。小さく頷いて、許可を出す。許可と言ってもおもしろおかしくない自分の過去、他人の身の上話ほどつまらない話はあるまい。そう思っていた桐乃だったのだが、黒川が事情を話し終えるや否や、鳴瀬はうんうんと頷いて、椅子をずりずりと動かして桐乃の真横に移動、それから「俺で良ければ、何でも相談に乗るよ……何ならこの会合を二人で抜け出して、その辺のホテ」と言いかけた直後、デジャブ、鳴瀬の身体は宙吊り状態となった。

「由良! こういう場で暗器を使ったら駄目だろ!」

「こういう場で下品な会話をしては駄目でしょう?」

 由良がにっこり笑うと、鳴瀬はため息を吐いた。参りました、ごめんなさい、もうしません、だから解放してください、お願いします、と片言口調で由良に頼み込んだ鳴瀬は、ゆっくり糸が緩み始め、地面に降ろされた。

 さっきと同じように、由良の仕業。さすがは国際指名手配犯と一緒に行動する女性、ハンマー男のコバヤカワと同じように、笑顔の裏側に隠された一面は恐ろしいもののようだった。

 再び椅子を引きずって元の場所に戻った鳴瀬は咳払いをしてからシャンパンのおかわりを頼む。黒川はようやく場が落ち着いたと見たようで、話を戻し、仕事の話へと移行させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る