疑心だらけの世界に眩暈を起こしてしまいそうだった灘は、いったん落ち着こうと食事を止めてカプチーノを軽く口に含んだ。

「日本に入って来たのは黒川だけじゃない。グリケルト・バーボン率いる過激派の武装集団、クランチ・ハーバー率いる武器密売組織、かつては二千名の構成員を誇ったマフィア、グリケルト・バーボン、慈善色の強かったユージン・シャーロットの娘、攻撃的となった組織を束ねるアーサー・シャーロット……もし抗争でも起きようものなら、国内はパニックを起こすだろう」

「そこは俺たちが出張るところじゃないっすよね?」

「わからんぞ。黒川が関わっているとしたら、俺たちは出張る必要がある。今以上の情報収集が必要だろう。俺はグリケルト、クランチの動きに注視する。お前はオーガストとアーサーのほうに目を向けておけ。飯を食ったらすぐに動くぞ」

 そう言って虎波を見る。きっと「今日は飯食ったら帰って寝たいっす」なんて言うと灘は思っていた。しかし、今日の虎波は少し違った。

「あー、じゃあ、入国してからの足取りとか、二課に情報貰って追ってみるっす。この異常事態に黒川一士が関わっているとしたら、足取りを追っていればぶつかるかもしれないっすもんね」

 と、まともなことを言う。あまりにもまともな返事に灘は戸惑う。何かがおかしいという思いが、黒川一士の支援者ではないのかという疑心と混ざり合う。

「どうしましたー?」

 口元にたっぷりカレーを付けて、ぼんやりとした目を向けてきた虎波に、灘は険しい表情で「いや、何でもない」とはぐらかす。一人、また一人と異動願を出して去っていく同僚の後ろ姿が頭の中で蘇る。がらんどうになっていく捜査本部、残った数名の部下も異動、ついに二人になってしまった。

 何が正しく、何が間違っているのか。その挾間に苦しんだ同僚や部下の苦悶の表情がいつまで経っても消えてくれない。

 お前も俺の前からいなくなるのか? と、灘は資料室にぽつんと立つ自分の姿を思い浮かべて歯を噛み締めた。子供のようにチキンカレーを美味そうにがっつく虎波を横目に、タブレット端末を手に取る。心配などしている場合ではない。そう言い聞かせて黒川一士が今まで関わってきた事件について、そしてグリケルト・バーボン、クランチ・ハーバーの動きを予想する。

 スパゲッティ―の湯気が止まる頃、虎波が追加で頼んだハンバーガーが運ばれてくる。向かいの高級レストランの入ったビルの前に、一台の高級車が停まる。


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