「今回俺たちが奪い返すものはダイヤモンド。こいつはただのダイヤモンドじゃない」

「というと?」と鳴瀬が訊く。

「昔からよくある話さ。財宝の在り処を記した地図だったり、不老不死になれる妙薬の製造方法の記された書物だったり、未来永劫、何ものにもとらわれない自由を得られるなんて噂も流れている――その狙われているダイヤには傷がある」

 黒川はグラスを手に、シャンパンを揺らしながら語る。

「地球上最も硬いとされる天然物質、金剛石。石言葉には『永遠の絆』なんて意味を持つ。ハイパーダイヤモンド、なんて代物もあるが、それは製造された物質だから話にはまったく関連ない。その傷の入ったダイヤモンドは本物だ。ダイヤはダイヤでしか傷は入れることができない。まあ、ハンマーで叩けば靭性――つまり衝撃に対しては弱いから簡単に粉々にできてしまう。強いのか弱いのかわからない物質だ。そんなダイヤに入った傷。それは秘密の暗号だと言われている」

「暗号……」

 非日常のワードに、少しだけ桐乃は興味を惹かれた。鳴瀬がぽつりと「ロマンがあるな」と言うと、黒川は席を離れ、フロアを歩き始めた。

「屈強な戦士や残忍な海賊がロマンというものに魅入られてしまうように、ありとあらゆる組織がダイヤの暗号の先にあるロマンを追い求めているっていうわけだ。だが、追い求めるうちは、人っていうのは盲目になりがちだ。争い戦い殺し合う中、いつの間にやらダイヤは彼らの前から忽然と姿を消した。見失ってしまった――それがひょっこりこの日本に突然現れた――現在の持ち主は石油会社の社長。資金調達のためにダイヤをオークションにかけるという話だ。その話に関わっているある商会が少し厄介なんだ。なにせ各国政府と繋がっている巨大組織だからね。政府に対して戦争沙汰を避けたいと思うのは当然だ。だから、おそらく日本にダイヤを求めてやってきた組織の大半は単純に強奪という手段を考えるだろう。もちろん、そういった考えを持つ組織は腐るほどいるだろう。しかし、考えても尚、実行に移せない組織もいる。仮に強奪に成功したとしても、所有者となった瞬間から政府の後ろ盾すら持たない一組織、国家からも狙われる可能性があるわけだからな。だから誰かが奪い、それを密かに奪えばいい。そう考える輩が敵方の動きを窺っている、今がその最中というわけだ」

 饒舌。講義のような黒川の話はすんなり頭に入ってくる。

「あの……本当にそのダイヤモンドには不老不死だとか 未来永劫の自由だとか、非現実的なものを手に入れられる力があるのでしょうか?」

 桐乃の問い掛けに、黒川は微笑んだ。

「手にしてみないとわからないだろうね。もちろん、血を流すまでもない、争うまでもないような代物かもしれない。だが『もしも』という言葉が誘惑する。もしもその暗号を解読できれば、金銀財宝、永遠の命、未知の世界への入り口――人の慾という慾が生み出す妄想が現実になるかもしれない。リスクを背負ってまで手に入れようとするのは、俺は普通のことだと思うね。誰だって一番がいい。謙虚な奴ほど一番を欲するとも聞くが、慾の前じゃ誰も勝てやしないさ。一番に解読して一番に手に入れたい。そう思うのが人間の本性さ」

 く、とシャンパンを飲み干し、黒川は続ける。

「しかし、俺は別に一番だろうがなんだろうが、どうでもいい。ダイヤがもたらす何かを目的に俺たちは動いちゃいない。奪い返すのみ」

 語尾を強めた黒川に対して、桐乃は一瞬だけ黒川が「怖い」と感じた。

 この黒川一士は偽善の怪盗だ。しかし、彼の素性を知らないせいで、彼が奪い返すことに対しての執着心、その根源が見えてこない。何が彼を怪盗にさせたのか、してしまったのか、それが桐乃は知りたくなった。とはいえ、直接訊くことなどできない。自分も、自分の過去をほじくり返されるのは気分の良いことではない。同じように、黒川もそう感じるに違いない。

 知りたいという欲求を抑え込むため、桐乃は口を塞ぐようにシャンパンの入ったグラスを口に当てた。

「津屋の情報によるとダイヤは二日後、船上オークションに出品される予定だそうだ。だが、その前に他の奴らに強奪される可能性もある。行き交う情報の中には大物組織も関わっているそうだし、勢力だけで言えば、俺たちは勝てないだろう。ただ、まあ、勢力では負けていようとも、勢い力めば崩壊する。それが組織さ。一人一人を従える能力のない頭でっかちだけでなく、従える能力を持った優秀な人間でさえ個々を完全に従えるなんて出来やしない。巨大な組織と強大な支配力には絶対と言ってもいいほど複雑な回路の爆弾が仕組まれているものさ」

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