「普段の記憶力は普通なのに、特殊な状況下では記憶力が抜群、ということか?」

「は、はい……でも、普段の生活ではまったく使えないので、取り柄にもならないものなんです。どうされました?」

「お嬢ちゃん、いくつか質問するよ」

 黒川は由良の真横に立ち、由良はタブレット端末を取り出す。どんな質問だろうかと緊張していると、随分と簡素な質問を出されて桐乃は拍子抜けした。

「杠姫月嬢の自宅からここに行き着くまでの間に信号機はいくつあった?」

「えっと……」記憶を再生させ、一基、二基と数えていく。「歩行者専用信号機は含めますか?」

「もちろん」

「でしたら二十八基です」

「同じように、コンビニの数は?」

「コンビニは……八店舗ですね」

「由良、どうだ?」

 由良が端末を操作しながら答える。

「杠さんの車に搭載されたGPS記録保存サーバーに接続、走行ルートを割り出しました。桐乃さんの答えたとおり、全信号機の総数は二十八基、コンビニは八店舗です。間違いありません」

 そう言って由良は黒川に頷いて見せた。

「鳴瀬はいつものところか?」

「おそらく。確認しましょうか?」

「いや、直接向かうよ。由良、防弾チョッキをお嬢ちゃんに付けてやりな。一番軽くて動きやすいやつがいい」

「かしこまりました」

 由良が裏手に回り、置いてけぼり感抜群の桐乃はこれからどうすればいいのかわからず立ち尽くしていた。由良が戻って来て初めて目にする防弾チョッキを初めて装着、付けてもらっている最中も桐乃は何をどうすればいいのか、まったくわからないまま、なされるがまま。

「お嬢ちゃんのお望み通り、少しだけ、巻き込んであげるよ。ただし自己責任、俺に責任転嫁だけはしてくれるなよ? もちろん、逆恨みなんて以ての外だ」

「え? はい?」

「じゃあ了承を得たところで出発しよう。由良、津屋にはもう少し情報を持ってきてもらうように頼んでおいてくれ。それから、いつものレストランに予約を。そうだな、七時に。今夜は晴れて気温も安定する、二階のテラス席で頼もう。それからお嬢ちゃんにレストランの雰囲気に合ったドレスを手配してくれ。由良も好きなドレスを着るといい」

「かしこまりました、では車の準備を先にしてまいります」

 由良は忙しく動いているにもかかわらず、汗一つ掻くことなく、黒川に忠誠を誓っているかのようにせっせと動き回っていた。主従関係か、それともまた別の関係なのか。少し気になるところではあったが、それよりもこれからどこへ連れて行かれるのか、不安と期待が入り混じる。

「黒川さん、私、これからどこへ……」

「近い内に大きな仕事をこなす。俺一人ではどうも手が足りんからね、仲間を集うのさ。鳴瀬琴音という男なんだが、仲間としては一番の古株で腕も立つ。良い奴だが、酷い女たらしでね、気を付けろよ。尻を揉まれたらすぐに引っ叩いていい。何なら殴ってもいいぞ」

「尻……」

 何だか嫌だな、と思いながらも心は弾むように元気がいい。一度断たれそうになったものの、あちら側の世界に二度と踏み入れることができないと思っていた桐乃にとって、黒川の許可が出たことは何よりも嬉しい出来事だ。

 高鳴る鼓動が自然と涙を止め、漏れ出した笑顔を黒川に向ける。目が合った途端、再び桐乃はあちら側の世界に飛び込む感覚に包まれた。


 もう、ここは非日常の世界なのだ。そう、桐乃は確信した。


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