◆
「…………」
たった一人しかいない場内、涙ぐみながらエンドロールを眺める。感動したわけではない、自分の情けなさに涙していた。どうしようもない孤独感が押し寄せ、涙でスタッフの名前がぼやけて見える。壮大な音楽が全方角から弓矢の如く桐乃に降り注ぎ、大地を響かせるかのような音量が鼓膜を劈く。涙をハンカチで拭い、軽く鼻をすする。数えきれないほどの人たちの名前が少しずつ減っていく。最後に監督の名前だけ少しだけ大きめに表示され、上部へと吸い込まれて消えていく。音楽も最高潮を迎えた後、映画の中の世界とこちら側の世界、その繋がりを断ち切るかのように力強い音で締めくくられた。
場内が少しずつ明るくなっていき、ぽつんと一人座っていた桐乃は現実世界に戻って来た感覚に脱力する。映画を観ている間はその世界に浸ることができる。映画だけでなく小説や漫画もそうだ。作品の中に浸れる時間は幸せだ。好きなら尚更のことだ。だが、その反動は大きい。現実世界を見せられると、ため息を吐きたくなるほど息苦しいのだ。
現実世界に居場所がない桐乃にとって、この余韻と現実に戻る挾間は胸が締め付けられるほどに苦しい。
しばらく席を立てずにいた桐乃だったが、いつまでも座っていたら店側に迷惑になる。すぐに荷物を手に立ち上がり、出入り口へ向かうために階段を下りていく。すると、視界を横切る一人の男性に目が留まった。すぐに出入り口へ消えてしまったが、桐乃はその一瞬の映像が頭に焼き付き、思わず駆け出していた。
「私以外に、最後まで観ていた人がいたんだ……!」
他の人たちはエンドロールが始まった途端に場内から姿を消した。てっきり一人きりだと思っていた桐乃にとって、ちょっとした驚きであり、同時に胸躍る喜びがあふれ出していた。
自分と同じ感覚を持っている人なのかもしれない。
そういった思いが桐乃を突き動かしていた。出入り口を抜けて、息を切らしながら周囲を見渡す。後ろ姿を映画館外の通路、曲がり角で見つけ、走り出す。平日とはいえショッピングモールの中、人混みが桐乃の行く手を阻む。縫うように、しかし遠慮しながら進む。男性の後ろ姿がどんどん遠ざかっていく。必死になって追いかけるほどのことではない。しかし、どういうわけか桐乃は追いかけずにはいられなかった。
平凡で、普通。そう言った自分の人生がざわついているように感じられたのが。
何かが変わりそうで、何かが始まりそうで。
期待はいつだって裏切られるものだ。だが、裏切られるかどうかなど誰にもわからないこと。ましてや『あちら側からやって来る』ことなど皆無に等しい。自ら、傷付くことを恐れず飛び込んでいく必要がある。もしかしたら飛び込んでみても何も見つからない可能性だってある。プラスにならずにマイナスになるかもしれない。だが、そんな僅かな可能性にすら縋り付きたいと思えるほど、桐乃は追い詰められていたのだ。
何もできず、何の取り柄もない自分に、何か変化を与えたい。その一心で、手を伸ばす――と、突然人混みが途切れ、濁流から解放されてよろめいた桐乃は躓き、転んだ。肩にかけていたバッグが飛んでいき、中身が散乱する。そんな桐乃を冷めた目で見てスルーする周囲の人たちに、桐乃は唇を噛んで涙を堪えた。
どうして自分はこんなにも情けないのだろうか、思いが爆発しそうなぐらいに腹の奥で沸騰し始める。そのおかげで我に返り、馬鹿なことをしていることに気付く。藁にすがっても、千切れて流されない保証はない――
「大丈夫かい?」
不意に声をかけられ、顔を上げたのと同時、涙がこぼれた。しまった、と焦りながら今度はハンカチではなく袖と指先で涙を拭う。声の主が散らばった桐乃の私物を拾ってくれていたようで、すべて入れられた状態の鞄を差し出していた。
「すみません、ありがとうございま、す……」
「怪我は?」
見上げて、驚く。桐乃の鞄を差し出していたのは、追いかけていた男性だった。胸が締め付けられ、受け取った鞄を抱き締めるとさらに胸が苦しくなった。爽やかで自然な笑みを浮かべ、小さめのケースを抱えた男性は、さらに転んで座り込み、呆けていた桐乃に手を差し伸べてくる。黒髪、短髪、二十代前半ぐらいの好青年。不思議と惹き込まれる大きい瞳に吸い込まれそうになりながら、桐乃は手を引かれて立ち上がらせてもらう。よろめいて後ろに一歩、それから真っ直ぐ向き合った彼が「じゃ」と手を振って立ち去ろうとしたとき、桐乃はありったけの勇気を振り絞った。
「あの!」
「うん?」
立ち止まって振り返った彼は、笑顔を絶やさず桐乃の言葉を待っているようだった。ここで問題発生、何を言えばいいのか、桐乃はまったく考えていなかったのだ。
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