🐈

 身体が重く、手足も上がらない。そんな状態で水の中に沈んでいるような感覚。呼吸はできているようで息苦しくもない。ぼうっとした音が聞こえてきて、静かに瞼を上げる。

(……猫の鳴き声?)

 ぼやけて聞こえてくる音は、おそらく猫の鳴き声だった。我が家に来て、タマゴは悠希の前で鳴いたことがない。他の家族の前では鳴いているのを見かけたことがある。その時の声に似ていなくもない。

(夢かな?)

 夢の中であることは確かだった。しかし、徐々にぼやけた声が鮮明になり始めると、はっきりと猫の声が鼓膜に届く。猫の鳴き声。夢の中の声? いや、これは現実のもの――

「――タマゴ!」

 夢から覚めてすぐ、急いで窓を開き、耳を澄ませる。間違いなく、猫の鳴き声だ。しかし、タマゴの声かどうかはわからない。何故なら、複数の猫の鳴き声が重なって聞こえるからだ。

「もしかして、猫の集会?」

 窓から見える夜の景色の中に、猫の姿を見付ける。それも一匹ではない、十数匹の猫が塀の上を、道路の真ん中を闊歩しているのだ。

「もしかして……タマゴも向かっているかも」

 可能性はある。寝間着のまま、悠希はサンダルを引っ掻けて外へ出ると、こっそりと猫の大群の後を付ける。一瞬だけ兄を起こして来ようと考えもしたが、感情的になりやすい状態の兄は居ても邪魔になるだけのこと。ここは一番冷静でいられている悠希が単独で乗り込んだ方がいいと判断する。今までにない怪我も覚悟した。肌が傷だらけになろうとも、見せる相手も見せたい相手もいない。今の悠希は、すぐにでも家族の下にタマゴを連れ戻すことが大事なのだ。


 悠希の家から十分ぐらいだろうか、大量の猫は公園に向かっているようだった。以前探しに回った時には人っ子一人、猫一匹見当たらなかったというのに、目の前の公園には数えきれないほどの猫が集結していた。

(もしかして……まだ夢の中とかじゃないよね?)

 現実として飲み込むにしても、圧倒的な数の猫、正直に飲み込むのは難しい。まだ夢の続きを見ているのではないか、頬をつねろうとした悠希は、猫の大群が二つ、向かい合って座っていることに気付き――次の瞬間、目と耳を疑った。

「――逃げも隠れもしねえで、よく来たな臆病者」

 重みのきいた声が公園に響く。それに対して、渋い声が応えた。

「俺にも貫かなきゃならねえもんがあるんだよ、若造が」

 相対する猫の軍勢が睨み合う中、それぞれの軍勢のボス猫だろう、前に一匹ずつ歩み出た。片方の身体は円状の波紋がいくつもあるかのような模様の毛で覆われ、尻尾が白く図体の大きな猫。そして片方の猫は――白黒で、お腹の部分に卵のような模様がある。

 あれれ? と目を凝らしながら、小首を傾げて少しずつ歩み寄る。

「三年前のあの日、惨めに敗走した恥さらしが」

「恥なんぞ捨てた。逃げた俺にできることなんざ一つ」互いに爪をむき出しにし、一触即発の予感。しかし、そんなことは気にもならない。他の猫が悠希に気付いて僅かに後退する。二人のボス猫だけが目を逸らさないまま、鋭い牙を見せ合う。この際、猫が喋っていることはどうでもいい。今は、それどころではない。「ふん……」とボス猫の一匹は鼻息を鳴らし、視界に入った悠希の姿を見付けて固まる。対して、もう片方のボス猫は気付いていないのか、変わらず渋い声で言葉を紡ぐ。

「仲間のために……この命を賭すこと、だ……」

 悠希の細めた目が、渋いセリフを発する猫と目が合った。じっと見つめ合う形となり、じっくりと悠希は目の前の猫を観察する――いや、観察するまでもなかった。

「見付けたぁあああああああ!」

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