🐈

 兄がポスターを張りに行っている間、学校の寮にいる妹にもメールでタマゴ脱走の旨を伝えた。すぐさま着信が入り、「すぐ帰る!」と妹。しかし妹の学校はすぐに帰って来られるような距離にはない。しかも部活をしていて、帰るにも帰れない。見付けたらすぐに連絡するから、とどうにかなだめて通話を終える。ぼうっとしていると頭に『家庭崩壊』の文字浮かび、背筋が震えた。

「あの異変は予兆だったのかな……」

 外を眺めるあの目は、もしかしたら、かつての『自由』を懐かしむ目だったのかもしれない。自由を選び、再び野生の世界、外界へと飛び出した――想像をして、悠希は無性に腹が立った。

(いやいや、いくら元野良猫でも勝手に出て行く奴があるか!)

 相手が猫であることを忘れ、逆に怒りが込み上げてくる。どんな理由であれ、勝手に逃げ出し、家族をここまで悲しませた罪は重い。猫だろうと関係ない。見付け次第、確保、そして事情聴取。猫の言葉など理解できないが、そこはノリで充分。とにかく見付けなければ、本当に家庭崩壊を起こしかねない。


 兄と悠希の勢いの増した捜索活動は昼夜問わず行われた。夏休み期間であって助かった、と懐中電灯を手に歩き回る。昼間は近所の車庫を中心に探し、夜は猫が集まりそうな神社や空き地、駐車場などを重点的に探す。そんなことを毎日繰り返し、タマゴが脱走してから四日が経とうとしていた。この日も悠希は懐中電灯の明かりを頼りに近所を探し回っていた。兄は連日不眠不休での捜索活動による疲労で高熱を出し寝込んでしまった。土日の休日を除き、両親が捜索活動に加わることのできるお盆期間まで数日、悠希一人の捜索活動が続く。

「あの馬鹿……見付けたら首根っこ掴んで連れて帰ってやる……!」

 髪を染め直したい気持ちも抑えて、課題を片付ける時間も削っての捜索活動。夜の十時、一時捜索を中断する。さすがに悠希も疲れが溜まっている。ここで自分が倒れると、探す人間がいなくなってしまう。休養は大事だ。

 帰宅し、兄の様子を見てからシャワーを浴びる。風呂場の鏡で自分の顔を映し出す。寝不足、三白眼が余計に迫力を増しているようにも見えた。

「怖っ……」

 目を逸らし、湯を張った浴槽に浸かる。一度頭の中を空っぽにして、水面を吹くように息を吐き、昇り立つ湯気を吹き飛ばす。

「そういえば、ここ最近、沁みないな……」

 ここ最近、新しい傷がないせいかお湯に沁みることがなかった。昔の傷痕はうっすら見えるものの、真新しい傷は一つもない。そこまで気にしたことはなかったが、やはり女性としては傷一つない肌が理想的だ。理想的。

「……あー、これは、私が悪い。サイテーだ」

 お湯を両手で掬って顔に思い切り叩き付ける――少しでも、傷を負わなくてもいい日常が羨ましいと思ってしまった。タマゴのことは好きだ。嫌われていても、家族の一員だ。ただ、当然ながら、傷は負いたくない。それでもタマゴにいなくなって欲しいなんてことはない。悶々と考えるのはやめよう、悠希はさっとシャワーを浴び直して風呂から上がる。髪を乾かし、歯磨きを終えた悠希は、一度だけ和室の窓から外を眺める。照明の明かりがちらほら見える夜の世界。どこにいるんだよ、とぼやき、自室へ戻る。しっかりと寝て明日は範囲を広げてみようと決めた悠希は、布団に潜りこんですぐ睡魔に飲み込まれる。


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