🐈
誰よりも狼狽していたのは兄だった。最後に兄がタマゴを見かけたのは昼過ぎ、外出する直前の事。その間、家に居たのは悠希ただ一人。ただ、朝から外出をしていない。探した時に施錠確認もしたが、扉や窓が開いている箇所はなかった。つまり、タマゴが脱走した可能性があるとしたら、その原因に外出時の自分に不注意があったからではないか、ということらしかった。もちろんそれを責める人はいない。両親にはメールでタマゴが脱走したことを伝え、とにかく近所を探して回ることになったのだが、時刻はすでに夜の八時を回っている。真っ暗な中、いくら白黒の毛色であろうと見付けるのは困難。ましてや脱走してから時間が経っていると考えると、もうこの近辺にはいないのかもしれない。ただ「猫は脱走しても遠くまでは行かない」と以前どこかで聞いたことがあった。しかしながら、気落ちした兄曰く「例外もあるんだよ!」とのことだった。
結局、その晩の捜索は諦め、翌日に捜索を再開した。とはいえ、そう簡単に見付かるはずもなく、両親の提案で尋ね人ならぬ、尋ね猫のポスターを張り出すこととなった。本来ならば今日は兄が引っ越す日だったのだが、手書きのポスターを数十枚と印刷する兄がそんな気分であるはずもないのは目に見えてわかっていた。
「大丈夫さ、元々は野良ね、野りゃ、野良猫野良だったん、だだし」と出勤前の父も動揺している様子で、何故かパンをおかずに白米を食している。そんな父を止める者はいない。
「そうよ、ご近所さんにも見かけなかったか訊いてみるわ」と同じく出勤前の母も動揺している様子で、お湯を注がないまま珈琲の粉を飲み始める。当然咳込み、しかし誰一人母の失態を笑う者はいない。
(タマゴがいなくなると、ここまで崩壊するのか……)
軸の揺らぐ家族を眺めていた悠希だったが、確かにタマゴがいないのは違和感がある。ここ数日は攻撃こそされなかったが、今まですれ違うことを恐れて避けてきた。その心配がない廊下。下りている最中に振り返ったらタマゴがいるようなシチュエーションのない階段。昼寝をしても「退け」と目で追い払われることのないお気に入りの縁側。いいことばかりのように見えるが、しっくりこない。タマゴがいなくなったことで家族の気が動転しているように、悠希もまた、どこかで気持ちが揺らいでいるのかもしれない。
きっとしばらくしたら戻ってくるよ――なんてことは言えない。嫌われていた悠希が言うと、誤解を生む。悠希は家族に声をかけることなく二階に上がる。タマゴが最近よく座っていた二階の和室の窓枠、そこから外を眺めてみる。これといって面白いものも見えないが、案外、空を飛ぶ鳥を眺めたり、走る車を目で追ったり、人を見下す快楽に浸っていた、なんてことも、タマゴなら考えられる。
別にタマゴのことを嫌ったことはない。好きか嫌いかなら、好きだ。でも、タマゴは悠希を嫌っている。引っ掻いてきたり、叩いてきたり、強襲してきたりとやりたい放題の奴だったが、一度も唸ってくることはなかった。嫌っているというよりも、下に見ているだけだったりするのかもしれない。それはそれで、虚しい気もするが。
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