第11話 何でもない日のお茶会
高く形成されている本棚の、その膨大な数に上る資料や図書を横目に、するすると進んでゆくレイミアさんを見失わないように僕は必死でついて行く。
ゆらゆらと揺れる長い黒髪から時々見えるくびれた腰周りに一瞬ドキッとしたのは内緒だ。
「この資料図書室はね、奥に私の部屋があるの。前線から退いた私に魔王様がそう心添えしてくれたのよ。」
「前線?レイミアさんもこの戦争に参加していたんですか?」
「えぇ、随分昔の話になるわ。」
だから年なんて面白くない事は聞かないでね。とお茶目に付け加え、「ここよ。」と一枚扉を開けた。
資料図書室よりは少し明るけれどまだ薄暗いその空間は、まるで貴族の宮殿の様な内装だった。奥にまだ扉がある事を見れば、ここはリビングルームと言った所だろうか?きっとベッドは天窓に違いない。
僕の事をソファーに座るよう促すとレイミアさんはテーブルを挟んだ先にある大きな三人掛けの、いかにも高級そうなソファーに腰を下ろした。その装飾は座るのに必要なのかな?と思わなくもない。しかしそんな優雅なソファーが端正な顔立ちのレイミアさんにとても似合う。彼女専用に誂えたかのようなソファーだった。好感の持てるセンスだ。
「紅茶でいいかしら、先生?」
「はい、ありがとうございます。」
その優雅なソファーに腰掛けながらも、慣れた手つきで紅茶を入れる。テーブルには3段のケーキスタンドがあり、サンドイッチ、ケーキ、スコーンなんかが乗っている。サイドにはクロテッドクリーム。かなり本格的なティーセットだ。
僕は淹れてもらった紅茶に少し口を付け、お高そうなカップをそっと置いた。
「凄く、美味しいですね。」
素直に感動した。僕は紅茶には詳しくないけれど、こんなに美味しい紅茶を飲んだのは生まれて初めてだった。朝食で紫のスープを見ていた事もあり、これからのこの世界での食生活に不安を覚えていたけれど、レイミアさんのティーセットを見る限り僕が食べれそうな普通の食事もありそうだ。
「引退してからとても退屈でね。お茶を淹れる事ばっかり上手くなるのよ。」
微笑しながらレイミアさんもカップに口をつける。その気品ある穏やかな動作から、レイミアさんが前線で戦っていたと言う姿が想像出来ない。それに、引退したと言う事は何かそうなってしまった原因もある筈だ。
「先生、何だか色んな事を聞きたそうな色をしてるわねぇ。まずは私の話からしましょうか?」
カラカラと笑い僕を見透かす。その蛇眼に見つめられるとワーウルフさん(会った事はないけれど)の心酔する気持ちが分からなくもない。少し危険で冷たい香りのする彼女。だけど心地よい、暖かさもある。蛇って変温動物なのに。
「あ、すみません。色々気にはなっちゃったんですけど…あんまり根掘り葉掘り聞くのもどうかな、て。」
蛇女のレイミアさんに嘘は通じない。そんな気がした。高度な熱センサーを持つ彼女は、僕の嘘なんて微々たる体温変化から察するだろうし。その皮膚感覚や臭覚器官で嘘から出る匂いにすら敏感に反応するだろう。
「先生は素直な人ね。別に年齢以外なら何を聞かれても答えるわよ、私。」
「え?いいんですか?」
「情報が欲しいのなら、私もそれなりの情報を提供しないとね。不公平でしょ?」
それに、と彼女は続ける。
「この部屋に入ったのは先生、貴方が初めてなのよ。」
と。
ドキリとした反面、僕が思ったのは
どんまいワーウルフさん。だ。
「じゃあ、一つ僕が質問するんで答えて下さい。その後はレイミアさんが僕に一つ質問を、それを交互に繰り返しましょう。それなら等価交換的でしょう?」
僕は未だ会った事の無いワーウルフさんに同情心を少し抱きながらそう提案した。
「やっぱり先生は物分りがいいわね。ワーウルフやデュラハン、他の魔物達とは大違いだわ!」
嬉しそうにカラカラ笑うレイミアさん。どうやらこの提案をかなり気に入ってくれた様だ。
「あ、デュラハンは今タカハシになったんだっけ?」
レイミアさんはまた微笑む。蛇と言うだけに冷たい印象を受けがちだが、彼女はとても感情豊かで表情豊かな魅力的な女性だった。情報通過ぎて多少怖いけれど。
「じゃあ、先生からでいいわよ。一つ質問。」
「そうですね…まずこの国。この世界には人間と魔物の二種族が存在しているんですか?」
「大きく分けるとその二つね。細かく分けると、魔王様、魔族、魔物、妖精、妖魔、人間、魔法使い、騎士。そして50年位前に突然現れた勇者。と言った所かしら?」
「成程。思っていたより多いんですね。」
まだまだ細かく分かれていそうなので、僕は一旦質問を終えた。にしても魔王佐藤さんは魔族には入らないのか。"魔王"と言う希少種族なのかな。鈴木さんも、魔王佐藤さんは生まれた時から魔王でそう在るべきものだって言っていたし。人間が沢山の種族に分けられるよう、魔物も沢山の分類に分けられるのだろう。
「それじゃあ私の質問。先生、彼女は?」
「え?」
「え?じゃなくて、彼女よ彼女。ガールフレンド。想い人、伴侶、情婦、愛する人、恋人。恋人って死語なのかしら?」
「いや、死語かどうかは個人差があるかと。」
僕はてっきり、僕の世界の事を聞かれるかと思っていたのに。と言うかレイミアさんがそう言っていたのでそのつもりだった。なのに僕に彼女がいるかどうかを一番初めに聞くなんて。そりゃあ間抜けな声も出るってもんだ。
「ねぇそれで、先生。いるの?いないの?」
「い…ません…よ。」
くそう!僕はどうせ彼女いない歴が年齢の悲しい生き物ですよ!どうして異世界に来てまで、こんな魅惑で妖艶な女性にこんな事を聞かれているのか。羞恥プレイも甚だしい。
「ふーん、そうなの。」
そんな羞恥プレイをかましておいて、レイミアさんの返事は素っ気ないものだった。しかしペロリと唇を舐めたレイミアさんの口角は上がっている。それがどんな意味を持つ微笑みなのか、僕は考えたくない。
「ごほんっ!じゃあ次は僕ですね。」
そんな空気を咳払いで誤魔化し僕は次の質問へとうつる。
「レイミアさんは、どうしてこんなに戦争が長引いているのか知っているんですか?」
これはここに来た当初からの疑問だった。魔王佐藤さんが居て、デュラハンさんを筆頭に魔族、魔物がいるこの世界で、戦争孤児が出る程人間との戦いに苦戦しているなんて。正直信じられない。まだ魔王佐藤さんの実力を目にした訳ではないけれど、この魔王城や児童養護施設なんかをあっという間に建てられてしまう位の魔力を持っているのなら
人間の世界を滅ぼすなんて一日あれば充分だろう。
「端的に言うと、勇者が現れたから。かしらねぇ?」
「勇者。」
「そう。本当に突然現れたのよ、まるで魔族みたいに。それも魔王軍が優勢を誇っていてそろそろ戦争なんて止めようか、そう魔王様が言い出した頃に。」
「戦争を止めようって言ってたんですか?」
そう聞いた僕に「それは二つ目の質問かしら?先生。」とレイミアさんは制した。おっと自分で提案したルールを破る所だった。
しかしその後の彼女の質問は
「先生、何年くらい一人なの?」
とか
「先生の好きな食べ物は何?」
だとか
「先生はボクサーパンツ派?」
とか
「先生ってどんな人が好み?」
とか
本当に他愛もない事ばかりだった。
その間に僕が質問した事と言えば、突如現れた勇者の事。その勇者は何人居るのかと言う事。戦況は今どんな感じでどれ位の戦争孤児がいるのか、戦争を止めようと言っていた魔王佐藤さんの事。
レイミアさん、本当は僕の世界の事が知りたかったんじゃなくて、ただ誰かと世間話がしたかっただけなんじゃないだろうか?僕は中盤辺りからそんな事を思っていた。
話している間、彼女は何度も表情をコロコロと変えとても楽しそうだったから。僕もこんな質問じゃなくて彼女の事を知りたいと、聞こうと思った。
折角の雑談なのだ。
難しい話は鈴木さん辺りとまたすれば良い。
「じゃあ次、レイミアさんの事を教えて下さい。」
「あら、やっと私の事を聞いてくれるの?」
「はい。お待たせしました。」
僕が微笑むと彼女はカラカラ笑いながら頬杖を付いた。何でも聞いて。と言いながら。
「ちょっと不躾な気もするんですけど、聞きたくて…。」
「えぇ、どうぞ。」
「レイミアさんって目が見えてませんよね?」
一瞬、彼女は驚いた様な顔をして直ぐにいつも通り微笑むと
「あらあら、やっぱり先生は凄いわねぇ。これ、魔王様しか分からなかったのに。」
と自分の目を左手でなぞった。
「それじゃあ私ね。先生、どうして分かったの?」
「それは…。」
一種の小さな疑念だった。何かが心に引っかかるような、普段なら気にしないような気にも止めない様な些細な事。
彼女は僕と出会ってからこの数時間、瞬きを一回もしていなかった。
それは別に大したことでも無いかもしれない。蛇が瞬きするのか僕は知らないし、ましてや人間の定義では測れないレイミアさんが瞬きをするのかどうかなんて分からない。
だけど人間である僕からしたらそれはとても大きな違和感になっていた。だから一か八かと言う気持ちもあった。もし見えないのなら、普通はするであろう瞬きの癖が無いのかな、と。
熱センサーや皮膚感覚が優れている彼女にとって目は必要無いものだろうし、目が悪いとは出会い頭に言っていた。それに僕に対して色んな事を聞きたそうな顔ではなく色んな事を聞きたそうな色と言ったのも気になっていた。
「まぁ原因までは、分からないですけどね。」
僕は自分の考察を伝えた後、肩を竦めた。
元々かもしれないし、何か原因があって視力を失いそれが結果として前線からレイミアさんを退かせたのかも知れない。
「それは聞かないのかしら?」
レイミアさんは首をかしげた。
「話してくれるなら、聞きたいですけど。」
僕は彼女の瞳をみた。僕が見えない彼女の瞳を。細まる瞳孔を。
あ、見えないけど動くんだ。不思議。
「それじゃあ、等価交換的質問タイムは終わりね。ここからは先生が、お喋り好きな女の話をただただ聞くタイム。」
パンッと手を軽く叩いてレイミアさんは明るく笑った。視力を失った事なんてなんとも思っていないみたいに。
「私が昔、魔王軍第二騎士団の騎士団長として戦争に参加していた時。と言っても私は武力行使するタイプじゃなかったわ。そんな野蛮な事は、それこそデュラハンやワーウルフみたいな脳筋達の仕事だもの。そうね、魔王様は私の事を"作戦係"。側近、鈴木は"軍師"。デュラハンは"知将"。ワーウルフは"策士"。なんて呼んでいたわねぇ…。」
レイミアさんは当時を懐かしむ様に目を細める。
「私は自分の知識欲を満たしてくれるものなら何でも良かったのよ。それこそ戦争でどう布陣を組めば侵略して行けるのか、侵略した先には何があるのか。誰が死のうが誰が生きようが興味無かったの。魔王様に忠誠さえ誓っていなかったかも知れないわ。」
紅茶のお代わりを入れながら微笑するレイミアさん。確かに作戦参謀なら彼女のイメージにもピッタリだ。
「でもある年、突然現れたのよ勇者って存在が。」
「驚いたわ。とても躍ろいた。」
「嬉しくて、愉快で、心躍る。」
「私の中に新しく生まれた知識欲を満たしてくれる。」
それはとても新鮮で甘美な存在だったらしい。今まで完全に有利とされ、完膚無きまでに侵略してきた人間の中から魔王を倒せるかも知れない実力を持った者が現れたのだから。
普通なら一時撤退や作戦を練り直す所だが、レイミアさんは違った。普段の彼女なら冷静に状況を判断出来ただろう。しかしそんな常軌を逸した存在の前に、彼女の心は踊ってしまったのだ。
「私も優勢だったのよ?先生。普段は戦わないとはいっても私だって第二騎士団の騎士団長だったんだもの。」
だけど
「その勇者、魔力閃光弾を私の目の前で炸裂させたのよ!どう思う!?」
レイミアさんは興奮気味に言った。
「はぁ…私、種族的には蛇だから元々視力は良くなかったんだけれど…それでもう駄目。熱センサーも皮膚感覚も一瞬麻痺しちゃって……負けちゃった。」
そして軽くそう続けた。
戦争における戦いの中では、その一瞬すら命取りでそれで勝負が決まる。僕には想像出来ない世界だけれど、相手は勇者。こうして命あっただけで儲けものと言えば儲けものだろうか。
「次に起きた時には、もう全く役に立たない目になってたのね。それで、止めたの。戦争…。あら先生、そんな悲しそうな顔しないで頂戴。私これでも蛇なんだから、目が視えなくなった位でへこまないのよ?」
レイミアさんの笑顔を見ていると本当にへこんでも気にしても無いのだろう。立ち直ったというよりは元々そんな事は気に留めていない感じだった。
視力が失われてから彼女は熱センサーや皮膚感覚の感度が増し、寧ろ過ごしやすくなったと付け足した。
「体力が回復した後、魔王様がね。それはそれは鬱陶しい位に面倒を見てくれて…知識欲の高かった私にこの資料図書室を作ってくれたの。薄暗くて電気が無いのも、魔王様の計らいなのよ。」
意外なことに怠惰だと思っていた魔王佐藤さんは部下のアフターケアに関しては助力を尽くすいいタイプの上司だった様だ。"鬱陶しい位"らしいけれど。
「私はここで過ごす内に、色々な事を考え直したわ。それこそ興味の無かったこの戦争の始まりや過去の私の無茶な作戦だとか…。」
「そうする間に私にも魔王様への忠誠心が芽生えたのよね。不思議な事に。今ではあの人の為に何かしてあげたいとさえ思うわ。」
「勿論、どうしてか先生にも。」
レイミアさんはペロリと笑う。
「魔王様の次に、私の視力について気付いてくれたからかしら?」
優しく、暖かく、暗闇に指す光の様に。
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