第10話 まともだと思ったら妖艶だった
中に入ると僕はその膨大な資料と図書の数々に感動した。天井はアーチ型に創作されており、全てのアーチが交わる先に丸くステンドグラスの窓が嵌められていた。
そのアーチをなぞるようにして天辺まで組み立てられている本棚。ステンドグラスから入る薄明かりが暗闇の中の本達を少しだけ照らしている。
多少の光しか入らないその空間は、人間である僕にとっては本を探すどころか歩くのも儘ならない。
そんな薄暗い資料室の奥が、冷たい空気と共にユラリと揺れた。暗くてはっきりとは見えないけれど目を凝らしてみればそれは人型の様だ。何か、いや、誰かいる?
「こんにちはー。そこに誰か居るんですか?」
僕はその人影に声を掛けた。
今思えば警戒心なんて微塵もない行動だったと思う。
少なからず異世界の魔王城で取る行動にしてはかなり間の抜けた声掛けだっただろう。
シュルシュルシュルシュル────
そんな軽率な行動を悔いるより早く、上品な布が地面をする様な音と共にそれは僕の前に姿を表した。暗がりから現れたのは、露出の多いアラビアン衣装を彷彿とさせるような衣装を身にまとった女性だった。ベリーダンスで見る物よりは上品そうだ。
いやしかし、性別が女性なだけで彼女は人間じゃあない。なぜなら下半身は蛇そのものだったからだ。
「こんにちは、先生。資料室に何か御用かしら?」
艶やかな黒髪を掻き揚げながら、甘ったるい声で彼女は言った。そして切れ長の目が僕を捉える。瞳をよく見ればその瞳孔は縦長であり、下半身から察せられる通り蛇である事は確かだった。何故そんな妖艶な蛇に"先生"と呼ばれたのかは分からなかったけれど、僕は取り敢えず自己紹介と目的を伝えた。
「あの、初めまして。僕は石田希月と言います。昨晩、魔王さんに呼び出されてこっちに来たばかりなので…何かこの国の事がもっと分かればなと思いまして。」
まぁ正直に言えば、ただ歩き回っていたらここに辿り着いたってだけなんだけれど。彼女はゆっくりとその蛇尾を動かし僕の周りをくるりと回ると、自分の唇をペロリと舐めた。その姿はとても妖艶で、僕のような人間には刺激の強いものだった。舌先が二つに分かれているのが僕に理性を保たせた唯一の抑え所だろう。
「ふーん。成程ねぇ…先生が魔王様に"サトウ"なんて名付けた物好きさんね。」
「知ってるんですか?」
魔王佐藤さんをあんなに敬愛していた高橋さんが知らなかったので、てっきりこの名前は僕と鈴木さん、それに当人である魔王佐藤さんしか知らないんだとばかり思っていた。
「私はラミュー・べロス・レイミア。見ての通り蛇女なの。蛇は目があまり良くないけれど他の感覚がするどいのよ。だから何でも知ってるの。」
そう言いながらレイミアさんはまた唇をペロリと舐めた。そういえば蛇って視覚やちょう覚が弱い変わりに皮膚感覚が鋭く、臭覚器官に関しては口の中の上部にヤコブソン器官と言われる特有のものを持っていると聞く。
それに蛇だけが持つ第6感器官。目と鼻孔の間にある一対の窩、頬窩器官。つまり熱センサーだ。
目や耳に頼らなくても蛇はそれらの感覚で、視覚的情報やちょう覚的情報から得る何倍もの情報量を収集しているのだろう。
「それに…蛇には毒もあるのよ?」
レイミアさんはカラカラと微笑しながら、僕の首筋をその割れた舌先で下から上へと軽く舐めた。
「ちょっ、なっ!?」
僕は舐められた首元を抑え動揺したけれど、レイミアさんは冗談よ。と小股の切れ上がった笑いを浮かべるだけだった。この蛇、侮れない。
「ここには余り誰も来ないから…ついつい誰か来ると
だから誰も来ないんじゃないだろうか?と言うのはすんでんの所で飲み込んだ。口は災の元だし、触らぬ蛇に祟なしだ。
「それで先生、まだ要件を聞いて居なかったわね?」
レイミアさんもう遊び飽きたのか、スルリと僕から離れると正面に戻ってきた。僕は取り敢えずこの国の歴史や戦争の起こった過程が知りたくて、それらが載っている資料は無いかと聞いた。するとレイミアさんは
「争いの始まりは些細な事だったの。些細で末梢的で、とても卑小な出来事だったわ。だから記録には残していないの。」
と、少しさびしそうに言った。俯いた顔に掛かる一本の毛束が涙に見えてしまう程、さびしそうに。
「私が先生に話してもいいんだけれど…物凄く高いわよ?」
僕の心配そうな目線に気付いたのか、レイミアさんは妖艶に微笑んでそう誤魔化した。これは対価に何を取られるか分かったものではない。
「魔王様に"サトウ"。なーんて名付けられる勇敢な先生だったら、御本人に聞いてみたらどうかしら?」
カラカラと舌を出して笑うレイミアさん。御本人とは魔王佐藤さんの事なのだろうけれど…あの長話と難しい話を好まない魔王佐藤さんが果たして教えてくれるのかは謎だ。絶対になんだかんだはぐらかされて終わりそうだ。
「この国の歴史…も対して面白いものじゃあないわねぇ。何せ人間みたいに"何かを作り上げた"だとか"誰かが何かを成し遂げた"とか、そんな俗世間的な過去は無いのよ。」
シュルシュルと移動しながら、時に蛇尾で身体をぐっと持ち上げ、いくつかの本棚を見回す。「面白くない。本当に面白くない世界だわ。」と小さく呟きながら。
「先生にはこの本なんていいんじゃないかしら?」
本棚を確認しながら何冊かの本を手に取ったレイミアさんが僕の前に戻ってきた。流石蛇と言う事あって、この暗闇でもレイミアさんには全て見えているらしい。
「魔物大全集?」
手渡された一冊の本をまじまじと見ながら、僕はその本のタイトルを読み上げた。なんとも陳腐なタイトルである。魔物から魔物大全集を手渡されるとは思ってもみなかった僕は、少し訝しげな顔をしていたに違いない。
「馬鹿みたいな名前の本でしょう?この本はね、この前の人間との戦いでワーウルフが戦利品として私にくれたのだけど…魔物に魔物大全集のプレゼントって…ねぇ?凄く詰まらないわ。」
レイミアさんは溜息を吐きながら首を左右に振った。どうやら彼女もまた、魔王佐藤さんと同じく楽しい事を追い求める積極的な性格の持ち主みたいだ。
「僕にとっては有難い本、ですね。」
ワーウルフさんとやらの心中を察しながら僕は本を胸に抱いた。割と大きく重量感のある本なので、しっかり持っていないと落としてしまいそうだ。
「ねぇ先生。お昼間まで時間あるんでしょう?」
レイミアさんは何でもお見通しと言った様な顔で、僕を伺った。確かに魔王佐藤さんに児童養護施設の建設メモを提出するのはお昼だと約束したので、それまで時間は割とある。それに軍事会議から逃げ出した魔王佐藤さんがまだ捕まっていないかもしれないと思うと、その予定もずれ込みそうだ。
「奥でお茶でもしながら少しお話しましょう。先生の世界の話、聞きたいわ。」
彼女は少し微笑みながら僕に提案した。まぁ戻っても今借りた本しか読む用事も無いし、折角の出会いなのだ。少しレイミアさんとお話するのも楽しそうだ。僕は二つ返事でレイミアさんの後に付いた。
「髪と尾っぽ、気をつけてね。」
後ろを歩く僕にそんな冗談めいた事を言いながら笑うレイミアさん。新しい知識を仕入れられる事に対してとても嬉しさを隠しきれていないような雰囲気だった。
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