第9話 遭遇と厨二病

いや、いいんだよ。いいんだよ別に。


僕はとても慣れ親しんだベッドの上で目が覚めた。枕元の時計を見れば、時刻は朝の6時過ぎ。初日から余裕を持った上々の目覚めである。

これも、いつも通り何ら変わりない自室で眠ったからだろうか。


特に客間を改装したと言われて、何か期待した訳じゃない。本当に。別に豪勢で贅沢な部屋を希望した訳じゃ無いし、僕は自分の部屋が嫌いだったと言う訳でも無い。寧ろ長い間お世話になった大好きな空間だ。


でも、だから、しかし、異世界の!それも魔王城に!就職が決まり住む場所も用意しましたと言われれば、人間誰しも少しは今までとは違う生活を期待する筈だ。まさか異世界に来てまで自分の住んでいた部屋に、また住むことになるとは。

いや、住ませていただけるとは。ありがとうございます。


「やはり慣れない異世界と言う事もありますので。せめてプライベートルームだけは御寛ぎやすい空間を、と思いまして。」


あ、なんだか脳内で鈴木さんが語りかけて来ている様な気がする。本当に気が利く悪魔だ。ありがとうございます。


僕はこの慣れた空間で慣れた洗面台へ向かうと慣れた水で顔を洗い、軽く身支度を整え、慣れた冷蔵庫から慣れた卵とベーコンを取り出し、慣れたトースターにパンを突っ込んだ。

全くもって昨日と変わらない朝だった。


気を抜けばここが異世界の魔王城だなんて忘れてしまいそうな程、のんびりと朝食を食べる僕。残念ながらテレビだけは映らなかったけれど。ここまでいつもと変わらない日常ならもう一層のことテレビも観たかった。


───────コンコン。


「おはようございます、石田殿。」


扉の外から鈴木さんの声がする。やっと非日常がやって来た感じだ。このままでは履歴書を持って近くのポストに投函しに行ってしまいそうだったので助かった。


「おはようございます、鈴木さん。」


僕は返事をしながらパンを口へと突っ込むと、扉を開けた。


「今朝の朝しょ…おや?」


鈴木さんはパンを頬張る僕を見て、言葉に詰まったかと思うと「もう召し上がられていたのですね。」と部屋の奥に顔を覗かせた。


「昨晩のジドウヨウゴシセツのお話も含め、サトウ様と朝食を召し上がられては。とお誘いに伺ったのですが…。」

「もがっ!早く言って下さいよ!」


僕はパンを飲み込めず慌てた。良い子の皆は口に食べ物が入った状態でお話してはいけないよ!

僕は胸の辺りをドンドンと叩き、無理矢理にパンを胃の中へ押し込むと「いえ、食べていません。」と鈴木さんに大嘘を吐き、魔王佐藤さんの待つ大食堂へと案内して貰った。


僕は保育士免許を持つ一指導員だか、その前に人間でもあるのでこんなバレバレな嘘も吐く。我ながら実にがめつく最低だ。

こんな事でこの国の子供達に教育をして行けるのだろうか。



大食堂へ着くと、魔王佐藤さんは長いテーブルの神座に座り、既に朝食を摂っている最中だった。左右に分かれて高く聳え立つ何枚もの大皿が、魔王佐藤さんが大食感なのを表していた。魔王様クラスになると、朝食もこのレベルなのかと感心しながら僕も席につく。お皿が鎮座し、魔王佐藤さんが見えない。


座ると同時に僕の目の前に給餌さん(多分魔族)が差し出したのは紫色のスープだった。その色からしてもかなり食欲を削られる見た目なのだけれど、その中には干からびたトカゲの様な黒い物体と、沢山の目がついた円盤形の具が数種類、今にも飛び出しそうな(実際に少しお皿から出ている)タコの足が入っていた。


僕は子供達に会ったらまず"嘘を吐く事は絶対にいけないよ。"と教えようと心から誓った。

「おー、石田。朝だな!」


僕が座り、妙なスープに怪訝な顔つきをしている事に気付いたのか、魔王佐藤さんは大皿の隙間からひょっこりと顔を出した。


「おはようございます、佐藤さん。」


僕はスープを隣へ避けながら苦笑いで言った。


「さっきご飯の前にちょっと聞きかじったんだけどさー、ジドウヨウゴシセツ?ってのを作るってー?」


目の前の食事と僕のスープを綺麗に平らげ、給餌さんがテキパキと大皿を片付ける中、魔王佐藤さんは話を切り出した。


「はい、その予定です。昨日の夜に鈴木さんにちょっとお話を伺って…幼稚園とも保育施設とも迷ったんですけど。現状、親が居なくて家も無い子供達。となるとやっぱり児童養護施設が一番望ましいかな、と。」


児童養護施設とはその名前の通り、親のいない子供達、(ここでは戦争に)虐待されている子供達、環境上に置いて養い、護っていかなくてはいけない子供達が入所する場所だ。

あわせて退所した者に対する相談やその他の自立のための援助を行うことを目的とする施設。

住処や居場所を失った子供達はここが家になる。


幼稚園や保育所は"子供達を一時的に預かる場所"なので、僕的には今現状を考えると児童養護施設の方がこの国には必要なんじゃ無いかと思ったのだ。


そんな僕の話を目をつぶりながら聞く魔王佐藤さん。真剣に子供達の精神安泰と未来を考え、深く悩んでいる様子だった。実に慈悲深い。魔王でありながらその心はまるで洗練されたマリア様の様な方だ。


「じゃっ、それで!」


あ、違う。

この人僕の長い話に飽きていただけだ!

魔王佐藤さん、軽い。軽すぎる。鈴木さんはいつもの事だと言わんばかりに何も口を出さない。もう呆れているのかもしれない。


「なんか難しい事はよく分かんないけどさー。石田が"良い"って言うなら"良い"んだろーな!」


一様は国を治めている頂点の魔王様が、昨日今日来たともしれないこんな僕の言う事をここまで信用するなんて。純粋ピュアを通り越して馬鹿だ。

昨日鈴木さんが愚痴っていた意味が分かる気がする。確かにこの人の側近は大変だろうな。


「んでー、石田的に要望は?」

「要望…ですか?」

「うん。取り敢えず建物とか作る?」

「え!?建物ってそんな軽いノリで作れるもんなんですか!?」

「サトウ様は馬鹿ですがその魔力はこの魔王国随一増大で強大なモノ。この魔王城も一晩でお造りになられました。」


軽く悪口を挟みつつ、鈴木さんは驚くべき事実を備考してくれた。この人、魔王佐藤さんに対する悪態が日に日に露骨になって来ている。


「えっと、じゃあですね。お昼にはある程度必要になる施設と設備をメモに書き出しておきますんで…児童養護施設。作って頂いてもいいですか?」


僕は半ば信じられない気持ちを胸に抱きつつも、魔王佐藤さんに児童養護施設を作って貰う事にした。

二つ返事でOKを出し、次は軍事会議です!と鈴木さんに連れられて大食堂を渋々、本当に渋々、殆ど鈴木さんに引き摺られながら魔王佐藤さんは出ていった。


忙しい身分だな、鈴木さん。


僕は今までの鈴木さんの苦労を密かに労いつつ、なんだか自室に戻る気もしなかったので魔王城の中を少し散歩する事にした。児童福祉施設で3年間アルバイトをさせて貰っていたお陰で、ある程度必要になるだろう施設内の建物や設備はもう分かっている。せっかくだからお城の中を見て回るのも有りだろう。


僕はこの国をまだ全然と言っていいほど知らないので、外に出たい気持ちも多少はあったのだけれど、なにせ魔界である。

流石に順応性がいくら高い僕でも初期装備で魔王城から出るのは怖い。既に最終目的地である魔王城からの出発と言うのがなんだか笑える話だけれど。


まぁ魔王佐藤さんが児童養護施設を作ってくれた後には、いくらでも外出する機会はあるだろう。それまで冒険はこのお城の中だけに留めておくとして


「さて、どこへ行こうかなー。」


大食堂を出た僕はふらふらと廊下を歩いていた。静かだ。とても戦争の真っただ中とは思えない位に静かな城内。そんな城内とは打って変わり今もこの瞬間、何処かで戦火が切られていて、誰かの家族が消えていると思うと…確かに魔王佐藤さんが心を痛めるのがよく分かる。


僕は異世界から来たとは言え人間だ。この国で戦争中の人達と同じ、人間。そう思えば、魔王佐藤さんに雇われているのもおかしな話なのだけれど。他者の愛し方が解らず、教育の仕方が分からない魔王佐藤さんや鈴木さんを見ていると、どうしても何か力になりたくなるのは僕だけだろうか。


これは人として人間に反逆している行為なのか。

助けたいと思う気持ちは人間からすれば裏切りになるのか。

罪の無い子供達を救いたいと願う僕の気持ちは悪なのか。

魔王佐藤さんが心を痛めるのは、罪なのか。


考えれば考える程に行き詰まる。

だけど保育士である僕の頭では到底答えも出ない。


僕がもうこの件について考えるのを先延ばしにしようと思ったその時、背後から誰かに呼び止められた。


「貴公が石田希月いしだきづきか?」


それはたった今まで静かだった廊下に重く響き、無機質なのにどこか威厳と威圧感のある声色だった。僕は振り向き、相手を確認する。


そこに在ったのは黒い、真黒の西洋鎧だった。


形こそ全身を覆うタイプのプレートアーマーだが、その西洋鎧は普通の金属板で構成されているプレートアーマーではなかった。


銀鎧ではなく、黒鎧。


こんな事を言えば、かなりの確率で厨二病を疑われてしまうだろうけれど言わざるを得ない。その黒い鎧は暗黒色の中に、幾多の血を啜ってきたかのような深い紅が混ざり合った不気味な出で立ちをしていた。


言っていて恥ずかしい。いい年こいて本当に恥ずかしい。まさにこれが僕の初黒歴史だ。


そんな不気味な色の黒鎧を、さらに倒錯的に引き立たせるかの様に小脇に抱えられた頭部。黒鎧に頭部が無い事を見れば、その抱えられた頭部はこの黒鎧の物なのだろう。

よく見ればその首元には仄暗く青い炎がゆらゆらと揺れていた。


「え、あ、はい。僕が石田希月ですが。」


多分100%間違いなくこの黒鎧に話しかけられたのだろうけれど、僕は首元から上がる青い炎か小脇に抱えられている頭部、どちらに返事をしたら良いのか分からずシドロモドロしながら答えた。


「我輩は魔王軍第一騎士団にして騎士団長、魔王様尊愛と敬愛に一心一身を捧げるデュラハンだ。」


あ、高橋さんだ。"頭部を小脇に抱えている鎧"の時点である程度察しはついていたけれど、彼は昨晩僕が魔王佐藤さんに言われて勝手に高橋と命名したデュラハンさんだった。


「貴公が異世界から連れて来られたと言う石田希月である事に間違いは無い様だな。それにしても魔王様は聡明な御方だと言うのに、何故このような軟弱そうで貧弱な人間など呼び出したと言うのだろうか。我輩の様な愚鈍な者には魔王様の深くて広大な御心を御理解する事は斯様にも難しい。流石、この国を統べるべくして流星の如くこの世にお生まれになった魔王様。この様に存在価値の皆無である弱き者までその深い懐にお抱え込むとは、このデュラハンが忠誠を誓っただけはある偉大で威風堂堂たる御方だ。」


ダメだ。話半分も頭に入ってこない。正直、「貴公がこの」位から聞いていなかった。なぜなら今僕の頭の中では"デュラハン高橋"と言う売れない芸人の芸名みたいな名前がグルグルと脳を支配していたからである。初対面にして実にお互い失礼な者同士である。


にしても高橋さん。魔王佐藤さんにかなり心酔のご様子だ。まだ何やら魔王佐藤さんについて熱弁している高橋さんだが、僕はここでふと思った。魔王軍第一騎士団の騎士団長がなぜこの廊下に居るのか。


確か高橋さんが狂愛しているであろう魔王佐藤さんは今、鈴木さんに連れられ軍事会議中の筈。第一騎士団の団長である高橋さんはそんな大事な会議に参加しなくても良いのだろうか?いや、ここまで魔王佐藤さんを溺愛しているのに、軍事会議に参加しないなんて有り得ないだろう。それこそ前日から会議室の前に立って待っていそうな勢いがある。


「あの、デュラハンさん。軍事会議は大丈夫なんですか?」


僕は魔王佐藤さんへの愛を未だに長々と語り続ける高橋さんに聞いた。ちなみに"高橋さん"とは昨晩のテンションで勝手に付けた名前なので、ここではちゃんと自己紹介された通りに"デュラハンさん"と呼ぶのが妥当だろう。


「うむ。軟弱な人間にしては良い質問だ。実は何とも有難い事に、魔王様は今"軍事会議からご自身が逃走する"と言う形で我々に敵軍の捕虜に逃走を許してしまった時の対処法をご指導、実地訓練をして頂いているのだ。」


要はつまり、軍事会議が面倒になって逃げた出した魔王佐藤さんを探している。らしい。

何たる駄魔王。


「その実地訓練中にたまたま貴公を見つけたので、これは機会と思い声を掛けたのだが。我が君主であられる魔王様自らこうして実習訓練を行ってくださっている最中、ふらふらと廊下を散歩しているなどとは言語道断。万死に値するな。」


高橋さんはえらく物騒な事を口走っている。ただ魔王佐藤さんが仕事放棄で逃げ出しただけなのに。本当に酷い言われようだ。と、まぁ取り敢えず彼がここにいる理由は分かった。そうなると鈴木さんもきっと魔王佐藤さんを探して城内を血眼になり走り回っている事だろう。


忙しい身分だな、鈴木さん。


「取り敢えず、佐藤さんを見つけたらお知らせしますね!」


僕は話の長くなりそうな高橋さんにそう言い残して、早々とその場を去った。後ろで「サトウさん?我輩が追跡している目標は偉大なる魔王様なのだが?」とボソボソ呟く高橋さんを無視して。


"佐藤さん"の氏名を知らないとなると、もしかすると魔王佐藤さんは軍事会議の会議室に辿り着く前に鈴木さんから逃げ出したのかもしれない。

逃げる事に対して怠惰な思考は無いみたいだ。


僕は高橋さんと別れ、そのまま廊下を歩きながら何度か右へ左へ曲がる事を繰り返した結果、大きな扉の前に辿り着いていた。


その扉の上には"魔王城 資料室"と書かれたプレートが嵌められている。資料室とは良い暇潰し…いや、勉強が出来そうだなーと、僕はその大きな扉をゆっくりと押し開いた。

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