ジーンズより曖昧なシルエット

しゅんぺい

ジーンズより曖昧なシルエット

ある休日を、僕は木漏れ日の代官山で過ごしていた。人々は陽を避け、歩道の影の部分に集中して歩いている。曖昧なシルエットのパンツを履いた若い者や、大声で喋っている外国人たちが、晩夏の暑さを引き伸ばしてるように思えた。僕は、どこからが光か影かわからない木漏れ日をお気に入りのスニーカーで混ぜながら、ようやく目的の古着屋についた。店内には軽快なジャズが流れていたが、二階のジーンズ売り場に行くと、それは聞こえなくなった。


音楽が聞こえなくなる境界はとても曖昧で、僕は気づかない間にそれを越えていたらしい。


僕は長年欲しかった名盤のジーンズを買うことだけを目的にここまで来たのだが、それを見つけても、しばらく店内を歩いて回っていた。しかし、飽きるまではすぐで、結局、五分ほどで目的のジーンズをレジに持っていった。僕の給料では背伸びしすぎた買い物だったが、僕はそれを一生履くつもりでいたので、後悔の念は一切なかった。僕の今日の目的はこれぎりだったので、家に帰ることにした。


まだ陽も落ちてないので、都内と言えども電車にはまだ席の空きがあった。僕は膝に大きめの紙袋を膝に抱えて、スマホを睨む男の隣に座った。僕は両手が紙袋でふさがっていたので、暇つぶしにその男がいじるスマホの画面を横目で覗くことにした。


どうやら、男は彼女と喧嘩をしていた。メッセージアプリで二人の男女が揉めていることは疎い僕にもすぐにわかった。相手がこう送ってきた。

「なんでわかってくれないの!」

「わかってくれないのは君の方じゃないか。僕は飲み会に行っただけだよ。それを浮気と取られちゃ行動できないよ。」

「私はあなたが好きだから言ってるの!」

「僕だって君が好きだけど、君が飲み会に行っても僕は文句は言わない。まぁ、でも、君に言わないで飲み会に行ったことは僕も申し訳なく思う。次からは君にいうようにするよ。ごめん。」

既読がついて、ようやくしてから彼女が答えた。

「わかった。私も言いすぎた。ごめん。」


車内に流れる女性の声が、次の停車駅を伝えた。男がパッと顔を上げたので、僕は焦ったが、彼の顔にはそんなことに構っているような余裕は伺えない。結局彼はため息を一口ついて、誰も降りない駅に消えて行った。


彼もまた、曖昧なシルエットのパンツを履いていた。


ややあって、僕も電車から降りた。太陽の陽は弱まって、柔らかいオレンジを街にかぶせていた。駅から少し歩いたところに、僕の住むアパートはあった。汗を拭いて、アパートを見上げると、僕の部屋に電気が付いていた。階段を登り、ドアを開けると、思った通り、1Kの部屋で彼女がテレビを見ていた。僕は、彼女から何か言われることを期待していたが、件の紙袋に対しては何も言ってこなかった。椅子に座って僕がジーンズを取り出している間も彼女の意識はテレビに向けられていた。

「名盤のジーンズを買ったんだ。どうだい?」

と彼女に聞いて見たが、彼女はいいとも悪いとも言わなかった。

僕はムッとした。

「君はいつも何にも僕に言って来ない。僕と君は付き合ってるんだろう?少しでも僕に介入してきてくれよ。僕に興味がないのかい?」


僕は彼女に何か言って欲しかった。「自分ばっかりずるい」でも、「そんな高いジーンズ買うお金なんてどこにあるの!」でもいい。喧嘩の一つでもしてみたかった。文句でもいいから僕に興味を向けて欲しいと普段から思っていた。


「文句を言って欲しいわけ?」

と彼女が答えたので、

「文句じゃなくとも、何かいうことがあるだろう。君はいっつもそうだ。喧嘩にもならない。僕に何も言わなさすぎて、興味がないように思えるよ。君と僕はカップルという形だけで、他人のようじゃないか。」

すると彼女はやっと僕の方を向いて、こう言った。

「もちろんあなたのことは好きだし、興味がないわけじゃない。でもあなた、人と人とは曖昧な関係になるしかないの。あなたの好きと私の好きは違うし、それを完全に理解することはできない。永遠に私があなたにになれないようにね。だから私があなたに色々いうことはできないの。それがあなたの好きなら、高いジーンズも買えばいい。みんないうわ。『僕のことをわかってよ』とか、『その気持ちよくわかる』とか。そんなの思い違いよ。僕のこと、とか、気持ち、なんてものはわからないんだわ。曖昧なんだもの。」

彼女の台詞には沢山の矛盾があったが、僕はそれに対しての言及はせずに、僕はそうは思わない、とだけ言った。

「そう思うならいいわ。言ったでしょう?その考えもあなたのものだから、否定することはできないの。」

ここにも矛盾はあったが、僕は彼女の目を見たまま、何も言わなかった。


消すタイミングを逃したテレビのニュースが、秋の訪れを伝えていた。彼女は僕から視線を離すと、テレビのリモコンを手に取り、

「まだ暑いのにね。いつからが夏で、いつからが秋なのかしらね。」

と言って、テレビを消した。


またか、と、僕は嫌になった。

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ジーンズより曖昧なシルエット しゅんぺい @shunpei100

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