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これは誰かに相談すべき問題ではないのだ。自分が変わらなければ、変わることのない問題。じっと俯くなつみの隣に嵩地が座り、ザックから携帯食、カロリーメイトを取り出すと、なつめに一本手渡してきた。申し訳なさそうに受け取ったなつめは、ちびちびと食べ始める。その時、目の前を登山客のグループが通り過ぎて行く。爽やかな笑顔で嵩地が「こんにちわ」と言うと、「こんにちわ」と嬉しそうな声で返す人、ぶっきらぼうでも返してくれる人、様々な人が目の前を通っていく。なつめも小さく会釈をして挨拶をする。八人ほど見送った後、嵩地は最後に通った子供に手を振りながら話し始めた。
「入社したての頃さ、中々職場の空気に慣れることができなくて苦しかった」
え、となつめは嵩地のほうを見た。
「何だろう、こう……自分じゃない自分を作らなきゃいけないような、空気。この会社に入ったからには『こうならなければならない』みたいな。大人になるって、自分を偽ることなのかなって思い始めてさ、嫌いじゃない営業も辛くなってきたんだ。それこそ、辞めようと思った時期があった」
少しだけ低いトーン、物悲しさに思わず口元をぎゅっと結ぶ。人当たりも良く、優しさに溢れている嵩地にも、思い詰めるほどに悩んでいた時期があったことに驚き、同時に、自分と似た経験に同情してしまっているのか、胸が締め付けられる思いだった。
でも、どうして、まるでなつめの悩みを知っているかのような口ぶりなのだろうか、不思議になつめは思う。
「真っ直ぐ歩けない、そんな自分に嫌気が差した時、なつめちゃんのお父さんに『山に登ろう』って誘われた。その時、なつめちゃんと初めて出会ったんだ。覚えてる?」
うん、と頷くと、嵩地は嬉しそうに、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「最初はね、なつめちゃんに嫌われていると思ったんだ。話しかけても返事してくれないし」
すみません、と思いながら目を伏せる。しかし、責められているわけではないのはわかっていた。嵩地は静かな口調で言葉を紡いでいく。
「でも、そういう子もいるって思ったらさ、別段気にならなくなった。だから、会話ができなくても完結できるような話をしようって思ったんだ。そしたら、頷いてくれるだけでも、少し意思疎通ができたような気がしてさ、嬉しかった」
今も変わらず、頷くぐらいしかできないことが悔しい、となつめは必至に言葉を返そうとする。だが、上手く口が開かず、言葉も喉から先へ出て来てくれない。焦れているから、ではなく、単純に、どういう言葉を返したらいいのかわからないでいるようだった。
それを見抜いているのか「無理はしなくていいよ」と嵩地は背伸びをする。
「なつめちゃんと、なつめちゃんのお父さんとの登山はね、俺に色んなことを教えてくれた。例えば、登るペースが自分に合っていないと疲れること。歩き方ひとつで疲れも変わってくること。前半無理をすれば後半が辛くなってしまうこと……人生はさ、登山と似ているんだよ。足腰が強くて慣れた人はひょいひょいと登っていくけれど、まだまだ未熟な人はじっくりと自分を知りながら登っていく。知っていくことで、次に活かすことができる。その時の俺は、未熟者だった。だから、登り方を知らなかった。生き方がわからなかった」
一歩前に踏み出し、嵩地は続ける。
「なつめちゃんみたいな子もいる。なつめちゃんのお父さんみたいに寡黙ながらも優しい人もいる。俺みたいに、不器用な奴もいる。世界には色んな人がいて、それぞれに合った生き方があるんだって、わかった。合わせるだけじゃダメなんだって、わかったんだ」
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