△
登山を始めてから五年が経った頃、高校生だったなつめは久しぶりに父親と登山に向かった。その時、会社の部下である男性も一緒に登ることとなったのだが、登山口から頂上まで、なつめは一言も発することができなかった。彼は――
なつめは当然、性格的に積極的ではない。おかげで話はおろか、自己紹介すら父親に任せてしまったほどだ。印象的に最悪だった、しかし、嵩地はなつめがそういう子であることを察したのか、頷くことぐらいしかできないなつめに対して、優しく接してくれた。一人でしゃべらせてしまっていても、ちゃんとなつめが頷くだけで充分な話に持っていってくれた。きつそうにしていたら、すぐに声をかけてくれた。本当に素敵な人で、焦れる男性としてずっと意識してきた――だが、結局は父親の部下で、上司の娘という立場であることはその先も変わることはなかった。
時々、なつめの自宅に父親が彼を連れて来ることがあったが、その時も会釈するだけで自分の部屋に逃げ込んでいた。仮にきちんと会話ができたとしても、自分に自信のないなつめに、勝機などないことは至極当然、わかりきったこと。
そんな彼が今、目の前にいる。
「登山口で会った時、少し顔色が悪かったのが気になってね。中腹まで登ったけれど、引き返してきたんだ」慣れた様子で、嵩地はなつめの足首をテーピングで固めていく。「腫れも少ないし、骨折はしていないだろうけれど……うん、とにかく、下山したらまず冷やさないとね。靴紐はしっかりと結んで、足首が動かないように」
言われたとおりに靴紐を固く結び、がっちり固定された足首はさっきよりも痛みが少なく感じられた。それよりも、胸がばくばくと弾けそうなぐらいに高鳴っているほうが、なつめには気になって仕方ない。
「なつめちゃん、調子が悪い時は引き返すことも大事だよ。無理をしたら、楽しい登山も楽しめなくなる」
屈んで顔を見ながら叱ってくれる嵩地に頷き、反省する。ご尤も、まさにそのとおり、自己管理の甘さが引き起こした怪我だ。わざわざ気になって下山してきてくれた嵩地には、本当に申し訳ない気持ちだった。だが、彼は付け足すように微笑みながら言う。
「でもわかるよ、逆に、調子が悪いから登りたい時ってあるよね。俺もその口だ、ストレスが溜まると、どうしても山に登りたくなる」
腰を上げて空を見上げた嵩地につられて、なつめも見上げる。木々の隙間から見える空は、さっきよりもどんよりとしている。一雨来そうな、そんな黒い雲も見える。
「何かあった? 話、聞くよ」
言われて、思わず口を開きそうになる。それをすかさず、制止する。閉口し、黙り込む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます