第26話 甘いものには苦いものを、苦いものには甘いものを

「……珈琲で、いいよね?」

「……うん」


 二人はぎこちない様子でそれだけ交わすと、入口に近い四人掛けのテーブルに着く。わたしと命碁さんが隣あい、わたしの正面に生駒くんがくるかたちだ。

 生駒くんはよほど緊張したのか、右手首を抑えるようにして小さく息を吐いているし、命碁さんは不思議そうに生駒くんと優花さんを交互に見ているし。生駒家の事情を少なからず知る者としては、ここはどうするべきなのか判断に困る。

 話し合いに使った時間ぶんピークを外れたらしく、狭い店内には隅っこでカップを傾けながら本を読んでいる男の人(うちの制服だ)だけで、その他には私だけ。店長らしき人も出払っているみたいだ。


 コーヒーを淹れる、コトコトという音。天井のファンがくるくる回る小さな音。それより微かな、不規則にページをめくる音。

 ばらばらなリズムがどういう訳か調和した店内は、本来なら居心地がいいものなんだろうけど……困ったなぁ。


 と、そこで命碁さんが不意に口を開いた。


「ねぇ生駒君。生駒君って、もしかしなくても優花さんの弟?」

「……えっと」


 あー、と内心頭を抱えてしまう、わたし。生駒くんの方も予期していた疑問ではあったのだろう、特に慌てるような様子もないけど、少しばかり答えに困っているみたいだ。でも、やっぱりそう間を空けずに「まぁ、そうだよ」とだけ返す。

 生駒くんだって、別に優花さんを姉と認めたくない訳じゃない。ただ、優花さんを「姉」と呼ぶことに、少しだけ引け目を感じているだけ。……彼女に弟と呼ばれ、彼女を姉と呼ぶはずだった男の子は、本来自分が名乗るはずだった名前と一緒に亡くなってしまったから。


 もちろんそうとは知らない命碁さんはそのまま話を続ける。


「そっかー、苗字が同じだからもしかして、と思ってたけど。”生駒”って結構珍しい苗字だし」

「そうかな?」

「そうだよー。……って、優花さんはここに住み込んでるはずだし、確か生駒君も一人暮らしだよね。なんで?」

「「え?」」

「だから、なんで優花さんはわざわざここに住んでるのかなって。生駒君の住んでるところも、優花さんが家賃払ってるんでしょ? 一緒に住めばいいのに」

「それは……」「…………」


 しまった、予想外のところから踏み込んできちゃった。今度は生駒くんも固まってしまっている。

 本当のことを言う訳にもいかず、慌ててわたしが代わりに口を開く。


「ほ、ほら。ここって二人きりでやってるからさ、やっぱり忙しいみたいで。こっちに住んじゃう方が何かと便利なんだよ」

「あー、そういうことか。なるほどね、納得」


 どうにか誤魔化せたみたいで、心の中で胸を撫で下ろす。そこでタイミングよく優花さんがトレイを運んできてくれたので、ヘンに追及されることもないだろう。

「どうぞー」と優花さんがそれぞれ色の違うコーヒーの入ったカップを二つと、その片方と同じ泡立った明るい色の液体が入った銀色の小さなカップ、そして真っ白な深い小皿に入ったアイスをテーブルに置く。

 頼んだ覚えのないアイスが謎だったのか、命碁さんが疑問を投げかける。


「あれ、アイスって頼みましたっけ? ……というか、こんなメニューありましたっけ?」

「今度からうちで出す予定のやつ。そのまま食べてもいいけど、出来ればこうして……っと」


 そう言って、優花さんは銀色のカップの中身をアイスにかける。冷たいアイスがコーヒーの熱でみるみるうちに溶かされていき、半分くらいしか原型をとどめていない。液体の中心にアイスが浮いているように見えて、ちょっとクリームソーダっぽいかもしれない。


「あー、”アフォガード”かぁ。え、いつから置くんですか?」

「夏前には出せるかな? というわけで……はい、祐樹」

「……え?」

「店に出す前の試作品なんて、お客さんに出せる訳ないでしょ。だからほら」

「え、あぁ、うん、なるほど?」

「…………」


 なるほど、食べさせたかったのか。


 優花さんの遠回しな愛情表現に思わずニヤニヤしてしまいながら、目の前に置かれたカフェオレを傾ける。……んー、やっぱりこれ、これなんです、わたしの求めていたのは。苦いのはまだダメなんです。


「それじゃ、ごゆっくり」


 そう言ってカウンターに戻る優花さんだが、その間にも何度も生駒くんの方を見ているのは触れないべきだろう。

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