第14話 君に
「僕は、君が好きだ」
激しさを増してきた雨の中で、体力が限界を迎えつつあるわたしの耳に、はっきりと聞こえた、その言葉。それを頭の中で何度も反芻し、吟味して、ようやくその意味を理解する。
「えっ、いや、生駒くん何言って――」
「何度でも言うよ。僕は君が好きだ。困っている人を放っておけないところとか、いつも僕みたいな落ちこぼれを気にかけて助けてくれるところとか、一度決めたら迷わないフリしてるけど実は強がってるところとか、本当は泣き虫なところとか。……そういう君の、強いところと弱いところが、ぜんぶ、好きだ」
彼の目はまっすぐで、表情は真剣だ。ふざけている様子も、からかっている様子もない。だいいち彼がそんなひとではないことを、わたしはちゃんと知っている。
けれどあまりにも唐突だったから、わたしはますますこんがらがった頭で、おかしな返答をしてしまう。顔が熱い。頬に触れた雨がたちまち蒸発するんじゃないだろうか。
「そんな、だって、今までそんな素振りなんてぜんぜんなかったしっ。急にそんなこと言われたって困るっていうかっ」
「うん、ごめんね。でもずっと――初めて教室で君を見つけた時からずっと、君のことが好きだった。誰かを好きになる……ましてや一目惚れなんて、僕から一番縁遠い事柄だと思ってたのにね。
だから君があの時、いつもみたいに空に囚われた僕に話しかけてくれたときは、凄く驚いた。……僕と君は同じ教室にいても、別々の世界に生きていると思ってたから」
彼は大切な宝物を愛でるように、記憶を思い返している。彼にとって記憶とは、ただ彼自身を苦しめるものでしかないはずなのに。それが、凄く、うれしい。
「……でも、だとしてもわかんないよ。生駒くんは、その……わたしとはもう、一緒に居たくないって」
「……まぁ、それも紛れもない本心ではあるんだ。僕は誰かと関わると、どうしても”別れ”のことを考えてしまう。
だから自分の居場所を探して、誰かの力になろうとする一方で……別れるその時の苦しみを減らす為に、壁を作って、周りと深く関わらないように生きてきた。今ではたった一人の”家族”である姉さんでさえ、ね」
「だったらどうして――」
「だって、しょうがないでしょ? ――君は、その壁を簡単に越えてきてしまったんだから」
「……!」
同じだ。ここ数日わたしの世界を覆っていた額縁。けど生駒くんだけはずっと、その遮りを越えたこちらにいた。親友も、自分自身ですら例外ではなかったはずなのに、彼だけは、ずっと。
「それだけ”特別”な君だったからこそ、君には僕じゃない、僕よりももっと君を幸福に出来る人のために生きてほしい。そう思って、”あいつ”も君を拒絶するようなことを言ったんだけど……今朝、近江さんに言われたんだ。僕のこのやり方じゃ、及川さんは幸せになれない。けど僕なら……どういう訳か君に好きになってもらえた僕なら、君を世界一幸せに出来るって。いくらなんでも買いかぶりすぎだと思うけどね」
「……あはは、伊月らしいなぁ。ふふ」
生駒くんに詰め寄って大声で叱りつける親友の姿が簡単に目に浮かぶ。そうか、だから生駒くんは今日遅刻してきたのか。まったく、わたしの大切な人の出席表に汚点を作るなんて度し難い。後であの子の好きなミルクレープでも買っていってやろう。
わたしたちは軽く笑ったあと、お互いを見つめ直す。それだけで雨の音も耳鳴りも消え去って、まったく嫌ではないが嫌でも再確認できる。
わたしは、これほど彼に惹かれているのだと。
そして、彼が同じようにわたしを見てくれたことが、何よりもうれしいのだと。
彼は持っていた傘を広げるとこちらに寄って、わたしと彼の身体に降り注ぐ雨を遮る。決して大きいものではないからお互い少しずつ濡れてしまうけれど、でも、今のわたしにはこれで充分だ。
ごく自然に並び立って、どちらからともなく彼の左手を/わたしの右手を握る。……あーあ、充分だったのに、ちょっと欲張りたくなっちゃった。
「……ねぇ、生駒くん。わたしのことどう思ってるか、もう一回ちゃんと言って欲しいな。”君”じゃなくて、ちゃんと、下の名前で」
「いや、急にそんなこと言われても……」
「えー、”何度でも言うよ”って言ったじゃん。……それとも、ウソ?」
拗ねるフリして覗き見た彼の表情は、とても困っていて、そして恥ずかしそうだ。
けれどすぐに小さく深呼吸をして、こっちを見て。ちゃんと言ってくれる。
「好きだよ、春音」
「……えへへ。うんっ」
親友が言っていたらしいことは、どうやら正しいようだ。
だってわたし今、世界で一番幸せだもん。
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