第11話 私の親友

 酷い頭痛がする。当然だ、一睡もしていないのだ、徹夜に慣れていないわたしの体はとっくに限界だろう。ごうごうと音を立てている耳鳴りが喧しい。


 あの日受けた言葉と、脳内に直接響いた声のことをずっと考えていた……というより、途中からは単に頭の中で繰り返していただけなのだけれど、それでもまったく反響は止まず、気が付いたら月曜の朝だった。いつも通りの教室の喧騒が耳に、脳に突き刺さって、思わず席に着くなり机の天板にうつ伏せに倒れこむ。

 それら異音の中のひとつが自分に向けられたものだと気付くのに時間がかかったのも、致し方ないことだろう。


「――ーい。おーい春音? だいじょぶかー?」

「…………あぁ、伊月か。気付かなかった」

「気付かなかったって、さっきからずっと話かけてたんだけど……春音、めちゃくちゃ顔色悪いけど大丈夫? いや、何も言わなくていい。大丈夫じゃない」


 もはや返答する気力もない。具合が悪いのは分かってる。考えてみれば丸一日は絶食状態なのだ、五体が鉛のように重いのも当然だった。よく考えれば学校にも来たくないし、来ていい状態でもないのだけれど、それでも来てしまったのは、やっぱりあのこと以外何も考えていなかったからだろう。


 ――だから、あいつをこれ以上苦しめないでやってほしい。

 ――この程度の言葉で揺らぐなら、本当に始めから好きでもなんでも無かったんじゃない?


「…………」


 ずっとこの調子だ。この二日間、この言葉が止まなかったことは一瞬たりともない。わたしが呼吸をするたび、酸素が脳に運ばれるたびにこの言葉が聞こえてくる。脳にエネルギーを送って思考させる毛細血管の脈動が憎らしい。


 わたしは壊れたように同じところばかり繰り返す脳を恨みながら、色を亡くした空を見る。


  ◆◆◆


 私の親友の様子がおかしい。

 普段は快活で面倒見が良くて優しい天然記念物レベルの美少女なのに、今日はどうにも暗くて不愛想だ。……生駒君との間に何かあったのだろうか。


「おい御神楽。今ヤツはどこにいる?」

「生駒なら既に敷地内にはいるかと。なんだかんだと遅刻はしないですから、彼」

「となると、ロッカーまでの道中で遭えるか」


 私は一度春音の方をみやってから、教室を後にする。荷物を置いていくのには少し不安はあるが、御神楽に任せておけば大丈夫だろう。……そういえば御神楽の奴、いつの間にか私の近くに控えてるし、曖昧な私の問いにも完璧に答えていたな。躾けた私が言うのもなんだけれど、奴隷としての優秀さが高すぎる。


 各々の教室に向かったり廊下で駄弁っている生徒たちの脇をすり抜け、生徒用の昇降口に続く階段を下る。入ってすぐのロッカールームで靴を履き替えている生駒君を見つけ、近くの時計を見やる。ホームルームの開始まであと十五分はある、話をするには充分だ。


「ねぇ生駒君。少し話があるんだけど。……外、いいかな?」


 急に話しかけられて面食らったのか、彼は少し驚いた表情をするも、替えようとしていた上履きをもう一度ロッカーに戻し、「わかった」と先に外に出た。私の用を知ってか知らずか、堂々とした態度。……いや、単に委縮してないだけだけど。


 一度校舎から出て、外の連絡通路を進んだ先にある、全校集会でも使われる体育館、その入口。昼休みはそれなりに人がいるが、朝の時間帯はそうでもない。迷わずここに向かった辺り、そのくらいは知ってるのか。

 先に口を開いたのも生駒君の方だった。


「……えっと、用っていうのはやっぱり及川さんの件……かな」

「そうだけど。――あの子になんかしてないでしょうね」

「……近江さんが考えてるようなことはしてないと思うよ。ただちょっと……」

「何?」

「……まぁ、金輪際僕の世話を焼くのはやめてほしい、とだけ」


 嘘だ。あの子がそれだけであそこまで消沈する訳がない。小さい頃、周りでいじめられている子を助けて回って、自分もクラスのバカ共から執拗かつ幼稚な嫌がらせを受けても折れる様子が微塵もなかった春音が、そう簡単に。


 だから、考えられるとすれば。


「……あんた、春音を振ったでしょ。それも根っからの善意で」

「…………」


 当たりか。悪意に挫けない彼女が挫けるとしたら、それは善意でしかありえない。悪意であれば怒ればいい、けれど善意が元であるのなら、それを否定するのは善人であればあるほど難しい。そして自分に対する善意を跳ね除けられるほど、あの子は自己中心的にはなれないんだ。それを私は知っている。


 あぁ、イライラする。彼が春音を憎からず思っているのは見れば分かるし、その上で善意で振ったのならば、なんとなく予想はつく。彼が本当に生駒祐樹なら、好きな相手からの好意を切り捨てようとする気持ちも……まぁ、推測くらいなら出来る。理解できる……なんて、軽々しく言えたものじゃないけど。


 春音は知らない、或いは覚えてなかっただろうけれど、彼はその当時、相当ワイドショーや週刊誌を騒がせた。

 父親の自殺現場を最初に目撃するも、そこで泣きわめいたりするのでなく姉が暫く帰ってこないように手をまわして、しかもその父親や姉とは実は血が繋がっておらず……なんて、実にメディア受けするドラマ性だ、どの情報番組もかなりセンセーショナルに報じたし、当時十歳にも満たない彼のもとに報道陣が押し掛ける映像も、なんとなく記憶に残っている。

 それが今私のクラスメイトで、親友の想い人である彼と同一人物だと気付いたのは、春音が彼の世話を焼き始めて、何か妙な噂でも出てこないかと心配して軽く調べていた時だけれど。……でも、これでもそれからは本気で春音と彼を応援していたのだ。だから。


 だからここは、心を鬼にしてでも言わせてもらおう。


「悪いけど、君がやったことは全部逆効果だよ。春音は見ればわかるくらい追い詰められてるし、生駒君のこともきっと一生忘れない」

「そんなの――」

「ううん、分かってない。全然。あの子は一生、君を救えなかったって悔やみ続ける。……君への想いだって、絶対に捨てられない。それどころか、救えなかった自分への罰だって考えて、幸せになる権利を捨てるだろうね」

「そんなこと分からない。あんなにいい人なんだから、きっと彼女を幸福にする人が彼女を好きになって――」

「なるだろうね。けど、春音はその想いには応えない。だって、ずっと君を好きなままだから。他の人を好きなままで付き合ったりなんて不誠実なこと、あの子がすると思う?」

「……それは」


 分かってる。彼にも自分の目論見が、致命的に成立していないことを、彼自身も理解していることくらい。だから、その引け目に付け込む。


「あの子が今苦しんでるのは、君に言われたことがショックだったからってだけじゃない。そんなことを大切な人に思わせて、させたってことが、一番あの子を苦しめてる」

「……でも」

「――あぁもう、うっさいなぁ!」


 思わず叫ぶ。生駒君はかなり驚いた様子だけど、構うもんか。もしかすると他の生徒にも聞かれるかもしれないけど、この際どうだっていい。一切合切吐き出してやる。


「せっかくお互い好きで、何よりも大切に思ってる同士なのに、なに勝手に諦めてんの!? 自分じゃ幸せに出来ないとか、別れなきゃいけなくなったとき辛いとか考えたのかもしれないけどね、そんなのあんたがあの子を世界一幸せに出来る人間になればいいだけじゃない!」

「それが出来ないから――」

「自分のやったことくらいちゃんと把握しろ! 知ってる? あんたと居る時、あんたのことを考えてる時のあの子、私が知ってるどのあの子よりもずっと、ずーっと幸せそうなんだよ! これがどれだけ凄いことか分かってるの!?」


 小学校の時から、私はずっと春音を見てきた。けれど、私が知ってるどの春音よりも、今の彼女は輝いてるし、幸福なんだ。苦しい思いをしても、それすら愛おしいと思えるほどに。


「私にも、他の誰にも出来なかった凄いことを、あんたは簡単に、まったく意図せずにやったの。そんなあんたが本気であの子を幸せにしようと思ったら、あの子を世界一幸せにするくらい簡単なはず。そうでしょ?」


 あぁ、私めちゃくちゃ言ってるなぁ。我ながら全く理屈が通ってない。それどころか、もしかするとどこかで的外れかもしれない。

 けど多分、こいつはこうでも言わないと、ずっと最悪の形で自己完結したままだ。そんなヤツに、大事な親友の人生を台無しにさせる訳にはいかない。


 と、ここで鐘が鳴る。ホームルームまであと五分の合図だ、早くいかないと遅刻扱いになってしまう。私は未だ俯いている彼に背を向け、一度だけ振り向く。声をかけようと思ったが、どうせまた体をほったらかしにして考え込んでいるのだろう。私から春音を盗って悩ませている罰だ、一回くらい遅刻になってしまえ。


「性格悪いですよ」


 と、昇降口で図体ばかり立派などうしようもない彼氏バカが待っている。なんだろう、コイツは私の言いなりになっているうちにエスパーにでもなったんだろうか。従順なのはいいけれど、少し気に食わない。


「めんどくさいですね。ほら、行きましょう。遅刻しますよ」

「……分かってるっての。なにそのふてぶてしさ」


 今気が付いたが、私は靴を履き替えす上履きのまま来ていたみたいだ。よほど気が立っていたに違いない。一度軽くため息を吐くと、私は御神楽を追い越し、先に教室に向かった。


 とりあえず、私がやっていい範囲でやれることはやった……はずだ。

 ここからは、生駒君が考えて決めること。彼が本当はどうしたくて、どうするべきなのか。そのヒントは与えたのだから。

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