第10-2話 「好き」の証明

 あやふやな頭で帰宅するなり、わたしは顔面からベッドに倒れこんでいた。明らかに服がしわになる体勢だけど、なんかもう、どうでもいい。仮に世界が終わりますと言われても、今ならどうぞで済ませてしまいそうだ。


 ……終わった。本当に、ぜんぶ。


 もしかしたらそうかもしれない、とは思っていた。けれど、面と向かってやめろと言われたのは、やはりショックだった。それが本当の意味では彼自身に言われたのではないといえど、彼自身の想いには違いない。


 迷惑がってる訳じゃない、と彼は言った。身近に感じているからこそ苦しいと。


 その気持ちを完全に理解している訳ではないけれど、言ってみれば家族と見知らぬ他人、亡くなったときにどっちがより悲しいか……みたいな話だろう。人が亡くなるのは悲しいけれど、わたしは博愛主義者ではないから、やっぱり家族とか友達とか、そういう身近な人が亡くなる方が、ずっとつらい。

 ましてや生駒くんは都合三度それを経験してしまっているし……あまり考えたくはないけれど、この先優花さんとの別れも待っている。もうこれ以上、悲しい思いはしたくないというのは、決しておかしなことでも、批判されることでもない。生駒くんのことだ、その裏には「相手にも失うつらさを知らせたくない」という気持ちもあるだろう。


 こんなの、どうしようもない。わたしのしていること、抱えている想いが彼の痛みになることは、わたしだって望んでいない。いくら何でも、そこまで自己中心的には、なれない。


 ――何を今更。あんたが彼の世話をしてたのだって、ぜーんぶ自己満足。彼に好かれたい一心でやってた、自己中心的な偽善じゃない。


「違う!」


 嫌らしい声を咄嗟に否定して身体を起こす。が、部屋を見回しても誰もいない。当たり前だ、一人暮らしのワンルームに、わたし以外の誰かがいる訳がない。


「幻……聴……?」


 ――違う? 何が? 都合の悪いとこから目を逸らすな。あんたは生駒くんに好かれたかっただけ。その証拠にほら、彼の見てないところで、彼以外の手助けをしたかしら? 彼の見ているところで、彼からの視線を気にせずに何かをしたことはあったかしら?


「違う、違う、違う!」


 耳を塞いでも聞こえてくる。頭の中で何度も反響する。違う、本当に違うのに。

 最初に助けに入ったときは彼だって分かってなかった。彼の見てないところで何もしてない訳じゃない、ずっと彼と一緒にいたから、周りで誰か困ってれば生駒くんが真っ先に助けにいこうとするから、どうしても「誰かの手伝い」が「生駒くんの手伝い」になっただけ。ずっと彼といたのも、彼から目を離したらいなくなっちゃいそうで、だから彼が心配で――


 ――結局それも、生駒くんを言い訳にしてるだけよね? 身の周りのことばかり優先して自分を一切顧みない彼にコンプレックス感じて、自分はそんな生駒くんの為になってるからこれでいいんだって自己弁護して。本当は生駒くんを好きだって言うのも、都合のいい言い訳なんじゃないの?


「違う!!」


 ベッドの上で頭を抱えて叫ぶ。それでわたしを問い詰める声は消えてくれたけれど、彼女の言ったことは消えてくれない。


 あぁそうか、わたしはおかしくなっちゃったんだ。彼女の言ってることは正しいのかもしれないけど、それが”わたしじゃないわたし”から聞こえてくるなんて、どうかしてる。我ながら酷い自己嫌悪……というか、もはやこれは自己否定だ。生駒くんを好きな気持ちまで否定されたのは悔しいけれど、わたしにはそれを否定できる材料がない。


 さっきまであんなに伝えたかった気持ちを、今は伝えなくてよかったすらと思い始めてる。迷いなく好きになったつもりだし、優花さんにもそう宣言したはずなのに、今はこの気持ちに自信が持てない。こんな曖昧な気持ちを、言葉で伝える訳にはいかない。


 あぁ、いっそのこと心を無理やりにでも引き抜いて、捨ててしまいたい。頭をいじくって感情のない機械になってしまいたい。どうせなら呼吸を止めて、首を切り裂いて死んでしまいたいけれど、そんなことをすればきっと彼は思い詰めるから、絶対に出来ない。もうこれ以上、わたしのせいで彼を苦しめたくない。


 ――この程度の言葉で揺らぐなら、本当に始めから好きでもなんでも無かったんじゃない?


 あの声は最後にそんなことを言って、二度と聞こえてくることはなかった。わたしはその言葉を、反射的にすら否定できなかった。

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