第6話
お姉さんに連れられ辿り着いたのは、二久巻公園からほど近く、やや裏道に入ったところにある喫茶店だった。学校でも比較的おとなしめの女子たちの間でひそかに定番になっている店で、わたしも何気に気になっていた――のだが。
入口のドアに立てかけてあるプレートの「CLOSE」の五文字が、雄弁に開店前だと訴えている。どうやら開店時間は朝十時。一方現在時刻は七時半にすらなっていない。
「……あの、閉まってますけど」
「だって開店前だもの。今開けるわね」
というと、お姉さんは持っていたバッグからやや金色っぽい色の鍵を取り出し、ドアハンドルの下の鍵穴に挿して右に百八十度回した。次に、抜き出した鍵をドアハンドルの上にある鍵穴に挿し、今度は左に百八十度回す。前にテレビで観たことがある、常識になりつつある二重ロックだ。どうやら上下で鍵の回す向きが違うようになってるらしい。それを間違えずに……というか、そもそもここの鍵を持っていたということは。
「……お姉さん、ここのお店の人だったんですか」
「まぁね。高校の頃ここでバイトしてた縁で、今でも雇ってもらってるのよ」
「へぇ~……って、そういえばお姉さんって、今おいくつなんですか?」
「んー? 丁度
20。ということは、わたしたちのだいたい五つ上。わたしにきょうだいはいないけれど、周りの友人たちを見るにそんなにおかしな年齢差はないか。
お姉さんに促され、縦長でやや狭い店内に入る。内装はカフェというより家具屋のモデルルームを思わせる木造らしきつくりになっていて、アンティーク調のソファやテーブルが落ち着きを感じさせる。もっと早く来ていれば良かった。
「好きな席、座ってていいから。――あ、珈琲でいいかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます」
好きに、と言われても、目的が目的だけに二人が向かい合う席を選ぶことになる。わたしは少し迷ったあと、一番奥のレトロな木製椅子に座る。一応礼儀を意識して、下座に座った。あれ? 下座って入口側でいいんだっけ?
一方お姉さんはキッチンに入ると、後ろの棚から豆とそれをこれまたレトロな挽く機器(えーっと、なんだっけ? 名前がわからない)を取り出すと、きこきこと音を立てて豆を挽き始めた。そう経たずに機器から豆が砕けた粉末を取り出すと、ドリッパー(こっちはわかる。粉を入れてお湯を注ぐアレ)に金属製のポットから少しずつお湯を注いだ。下のコップのような瓶(これはわからない)に黒く光る液体が落ちるたび、挽いているときにも漂ってきたコーヒーの香りが一層強くなる。
お姉さんは瓶からコーヒーを取り出したコーヒーカップに注ぎ、小さいプレートに載せて運んできた。片方には角砂糖とミルクつき。間違いなくわたし用だろう。わたしが早々コーヒーを飲まない人間であることも見抜かれていたらしい。ちょっとこわい。
無意味に張り合ってブラックで口をつける。惨敗。大人しく角砂糖とミルクをいれた。けれど、思っていたより全然苦みも酸味もない。というか、飲みやすい。
「どうかしら? 慣れてない人でも飲みやすいブレンドを選んだつもりなんだけど」
「はい、おいしいです。……お察しの通り違いとかはわかりませんけど」
「よかった。――それで、本題なんだけど」
お互い一度カップを置いて、話に備える。きっと聞く方も話す方もつらい話になるに違いないから、話す場所にわざわざここを選んだのだろう。そんな気がする。
お姉さんは小さく深呼吸をすると、訥々と語り始めた。
「……うん。最初に言っておくとね、私と祐樹、血が繋がってないの」
「…………」
なんとなく、そうじゃないかと思っていた。
だって、容姿が全然似ていない。顔のパーツも、髪の色の感じも。それに、わたしに姉であると名乗った時にも「一応」と付け加えていた。だから、気付けた。
「……それは、連れ子とか、そういうことですか?」
「ううん。最初は家族みんな、血が繋がってると思ってたの。あの子が八歳のときに血液型診断を受けるまで、ね」
「……えっと、それは」
こんな時だけ察しのいい自分が嫌だ。血が繋がっていない、でも始めは繋がっていると思っていた。そんなの、答えはひとつしかない。
「……祐樹はね、他の子と取り違えられた子供なの」
「――――」
あぁ、やっぱり。
「取り違えって……今時そんなことってあるんですか、この日本で?」
「父方の実家が田舎の方で産婦人科をやっててね、普通に産むより安く済むからってお願いしたんだけど。その時ちょうど急患でもう一人妊婦さんが入ったのと、その……その時に、”うちの”お母さんが……その、死んじゃって、ね」
「……それは」
それは――それは、なんて言えばいいのだろう。
「あぁ、いいのいいの、気にしないで! もうずっと前のことで、わたしも立ち直ってるから! ――でも、お父さんはそうじゃなかった。たぶん、それだけお母さんのことが好きだったのね……」
「…………お父様は、どうして」
死んだ前提で訊く自分が嫌だ。死にたいほど、殺したいほど。
お姉さんは続ける。表情はどんどん曇っていくけれど、ここで止めたら、わたしはもっとわたしが嫌いになってしまう。
「祐樹が生まれてからちょっと……一年くらいかな。そのくらいして、別のひとと再婚したんだけどね。その人も病気で亡くなっちゃった。祐樹の取り違えが分かったのも、その直後。『何があるかわからないからね』なんて皆で健康診断に行ったら……はは、とんでもないことが起きちゃった」
笑ったような言い方をしたけれど、彼女の表情は一切笑っていなかった。きっとそのときを思い出してしまったのだろう。そしてそれを思い出させているのは、わたしだ。
「好きになって結婚した人が死んじゃって。次に結婚した人も死んじゃって。その上息子がほんとは自分の子供じゃないってこともわかって……いろんなことが重なりすぎたから、お父さんも限界だったんだと思う。
……取り違えられた相手の家族と病院立ち合いで初めて会った次の日、家で首を吊っちゃった。……それを最初に見つけることになるのが、まだ八歳の祐樹だってことを知ってたら、お父さん、考え直してくれたかな……?」
「そんな……」
自分の父親――少なくとも育ての、という意味では――の遺体を、最初に見つける。それも自殺の。きっと警察やマスコミ、色んな人からその時のことを訊かれただろう。まだ八歳の子供に、”自分の父親の遺体を見つけた時”のことを。
「でも……でもっ! 取り違えられたって相手の家は、よくしてくれたんですよね!? 血の繋がった両親とか、取り違えられたその子とも、家族として――」
思わず身を乗り出す。期待を込めて問い詰める。……答えはわかっているのに。
「火事でみんな死んじゃった。放火だって。近所の子供の悪戯、だったかな」
「あ……」
――そんな……そんなことって、あるの? この世にあっていいことなの?
生駒くんのことだ、もしかするとお姉さんのお母さんのことを、「自分が生まれたせいでお母さんが死んだ」と思ったかもしれない。その上、育ててくれたお母さんも亡くなって。自分の育ての父親が首を吊っているところを見ることになって。もうひとつの……ある意味本当の家族に至っては、殺された。火をつけた当人たちに、その気がなかったとしても。
「ひどい……ひどいです、こんなの……どうして生駒くん、そんなひどい目に」
いつしかわたしは泣いていた。拭っても拭っても、世界がぼやけて仕方ない。
「
気付けばお姉さんも泣きだしていた。いつからはわからない。だって、ずっと泣きそうな顔をしていたから。
「ごめ、なさい……”優花さん”だって、つらいはずなのに……」
「……うん。ありがとね、ありがとう……」
その「ありがとう」は、いったい何に対してのものなのか。
それすら考えられず、わたしたちはしばらくそうして泣き続けた。
涙ひとつ見せたことのない彼の代わりに、なんて我ながらおこがましいと思うけれど、そんなものでも、今はひとまず、この涙に理由が欲しかった。
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