第7話 覚悟と、理由
そのまま十数分は泣いただろうか。ようやく止まってくれた涙の痕を擦りながら、とっくに冷めたコーヒーを飲んで、二人して笑いだす。優花さんは「淹れなおすね」とカップを持ってキッチンにいき、すぐにまたわたしの貧弱な語彙力では表現しきれない、コーヒーのいい香りが漂ってきた。
しばらくして運ばれてきた二つのコーヒーは、最初からミルクと砂糖が溶けていた。本当に気が利いている。自分の分も少し甘めにしている辺り、優花さんも落ち着きたかったのだろう。
口をつける。さっきわたしが自分で溶かしたときは苦かったり甘かったり、なんだか味がまばらだったが、今度は纏まっている。上手く溶かすコツでもあるんだろうか。
互いに一息ついた後、優花さんが気まずそうに口を開いた。
「……その、ごめんね、さっきは取り乱しちゃって。いつもはあんまり思い出さないようにしてるから、さ。……特に、お父さんのことは」
「いえいえ、こっちこそ……というか、わたしが言わせたようなものですし」
優花さんは一言「ありがと」と気恥ずかしそうに言うと、もう一度コーヒーに口を付ける。カップを
「それで、及川さん。――覚悟は、変わっていない?」
思った通りの質問だった。わたしはその答えを、自分の胸に問いかける。
どんな話を聞いたとしても、生駒くんと距離を置くことはない。その覚悟を持って、わたしはここで彼の昔のことを聞いた。……正直、思ったよりもひどく、むごい過去だった。目を逸らしたくなった。
わたしだってそれなりに親と揉めたことくらいあるし、友達と絶交寸前の喧嘩をしたこともある。けど、そんなことじゃ全然比較にならない。彼の生きてきた道のりに比べたら、わたしの人生なんてせいぜい凹凸の目立ってきた舗装道路みたいなものだ。
だから、その覚悟は。
「変わってません。生駒くんから拒絶されない限り、わたしから彼と距離を置くことはありません。……この覚悟も、変わりません」
わたしはきっぱりと、優花さんの目を見つめて断言した。問いかけるまでもなかったけれど、問いかけてみて、やっぱり変わっていなかった。
「……あの子を好きになってくれたのが、あなたで本当によかったわ」
お姉さんは心の底から嬉しそうに微笑む。不思議だ、顔は全然違うのに、表情は本当にそっくり。でもそれが、間違いなく彼女が彼の「お姉さん」であると示している。
彼女はコーヒーを飲みほした後、こう続けた。さっきまでの微笑みとは違った笑み。……というか、なんかニヤけてない?
「それで及川さん。私、まだ大事なことを聞いていないんだけど」
「? 大事なこと、ですか?」
なんだろう、言っていないこと……というか、言わなきゃいけないことなんてあっただろうか。
「あなた、どうして祐樹のことを好きになったの?」
「…………」
えーっと。
「あっ、いやっ、それはっ、えっと! だからっ、そのっ」
びっくりした。してる。え、ちょ、こんな流れで訊いてくる!?
お姉さんは悪い顔をして、ここぞとばかりに畳みかけてくる。
「あっれぇ~? もしかして祐樹のことが好きっていうのは、ウソかなぁ? あの子の弱みに付け入って貢がせようとでもしたのかしらぁ~?」
「そっ、そんなワケないじゃないですかっ! あ、あんまりからかうと、怒りますよ!」
うわぁ、凄いニヤニヤ笑い。楽しんでる、あの顔はぜったい年頃の女の子の恋心を弄んで楽しんでる……!
「じゃあ、ほら。言ってみなさい? 春音さんがいつ、どうして、うちの祐樹に惚れたのか。ね?」
「あぅぅぅ……」
とりあえず、生駒くんがひとをからかって楽しむ人間にならなくてよかったと思う。あとなんかさらっと名前呼びになってる。
観念したわたしは、彼を好きになった理由を話しはじめた。
「……最初は、単に無茶してばっかの生駒くんから目を離せなかったっていうか。あ、無茶って言っても、運べない荷物を無理に手伝おうとしたり、どうしても用事で行かなきゃいけない人の掃除当番代わったりとかですけど。それでも生駒くん、やるって言いだした割には、どうにも上手くやれないっていうか」
「……途中でぼんやりしたり、一人で何かと話し始めたり?」
「えぇ、そうです。……一人で話してるところは、今のところ見てないですけど」
流石は姉、離れていてもなんとなく弟の様子が分かっているらしい。なんて言っていいか分からなかったわたしに、的確に答えをくれる。
「生駒くん、普段からぼーっとしてるんです。下校時刻になっても一人だけ教室に残ってたり。それでどうしてもほっとけなくて。そんな調子だからなんだか自然と世話焼いたりしてるうちに、時々彼が見てるところには何があるんだろうな、って思うようになっていって。いつかわたしも、それを一緒に見れるようになりたいな……って。なんとなくそう考えたとき、わたし生駒くんが好きなんだなって、気が付いたんです」
だから、決定的に「これがあったから好き」とか、「これをしてくれたから好き」とか、そういうのは無い。一緒にいたけど一緒のものは見れなくて、それを見ようとするうちに、好きになっていた。それだけ。
言葉にしてみればつまらない。ただそれだけの理由を、
「……そっか、うん。多分だけど、人を好きになるのに一番いい理由はそれだと思うわ。――だってそれって、『ずっと隣にいたい』ってことだもの」
彼女は、笑い飛ばさなかった。それがなんだか嬉しかった。
「”ずっと隣にいたい”……かぁ。……うん、確かにわたし、ずっと生駒くんの隣にいたいと思ってます」
「まぁ、ある人の受け売りなんだけどね。『他人の見ているものを見るのは難しい。というより、不可能だ。けど見ようとしなければ絶対に見えない。それこそ、隣にでもいないとね』なーんて、今思えばキザったらしいってレベルじゃないけど」
そうやって笑う優花さんの表情はとても穏やかで、何より楽しそうだ。五つも上の相手に失礼かもだけど、これが伊月の言う「恋する乙女の顔」かと、なんとなく理解した。
きっと彼女にもいるのだろう。その人のことを考えるだけで楽しくなったり、辛くなったりする、そんな相手が。
◇◇◇
「――さて、なんだかんだあと一時間くらいだけど。何か手伝うことはある?」
優花さんはもう一度コーヒーを淹れ(豆を挽くアレは”ミル”というらしい)、わたしも一杯貰って、ちょっとした雑談なんかをしていたところで、そんなことを訊いてきた。
服装は見てもらった限り問題ないみたいだし、メイクは化粧道具が高いので元々していない。泣き痕は念のためお手拭きで拭いて確認してもらったので大丈夫のはず。あ、コーヒー飲んだしお手洗いには行っとこう。
でも、これで土壇場で逃げ出すことはないだろう。今日の要件が何にせよ、気持ちを伝える覚悟は出来た。それから先は――今は考えない。少しの期待と大きな不安。けど、覚悟がそれを支えている。
「大丈夫です。今のわたしがダメならいつ告白してもダメ、ってくらい本調子ですから」
「そっか。――じゃあ、頑張って」
静かなエールを受けて、わたしは一歩、店の外へと踏み出す。優花さんは居ていいと言ってくれたけど、そろそろマスターが来て開店準備が始まるとなると、これ以上長居する訳にもいかない。
それに、ほら。
せめて一時間くらい、先に行って、ドキドキしながら待っていたいから。
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