第2話 思い返せばきっかけは

 わたし、及川 春音と彼――生駒 祐樹は、友人である。


 あまりに一緒に居すぎて「恋人同士なんじゃないか」という興味本位の詰問を時々されるけれど、今のところそういう関係ではない。もしそんな未来があったとして、いずれそうなるのだとしても、きっと彼はわたしを「面倒見のいい姉貴分」くらいにしか思っていない……はずだ。


 ――彼はその日も、教室の窓際、一番後ろの席で、ずっと窓から空を眺めていた。


 なんとなしにそれが気になって、わたしも彼の見ているであろう方向を見てみたのだけれど、そこにはいつも通り青空が広がっているだけで、さして何か特別な物があるとかではなく。そちらに視線を向ける彼の様子も、単に「眺めている」というだけだった。

 別にそれだけならなんということも無かったのだけれど、いつみてもそんな様子だと気になって、彼がぼーっとして授業に遅れたのを呼び出した時に訊いたのだ。

 それに対して彼は、こんな答えを返した。

 ――別に。なんでもないよ、と。


 わたしからすれば拍子抜け極まりない答えだったけれど、考えてみると一番ありそうな答えだったので、そこで変に食い下がるような真似はせず、移動教室の行き先に連れて行って、終わり。その時点ではそのはずだった。


 それから数日と経たないある日、昼休み。昼食は一階の購買で済ませようと、教室のある四階から直接繋がっている階段を使おうとしたところ、そこで女子生徒二人と一人の男子生徒が何やら話していることが気になった。


 女子生徒の片方は決まったばかりのクラス委員で、彼女が人付き合いに物怖じしない明るい性格だったのもあって既に友人だったのだけれど、そんな彼女がおそらく教師から頼まれたのであろう、提出指示が出ていたクラス全員分の――といっても一部の不真面目な生徒の分はない――ノート類を運ぼうとしていたら、そこを通りがかった男子生徒が代わりに運ぼうとして、持ちきれずに落としてしまった……という流れを、わたしと同じように通りがかったもう片方の女子生徒から聞いた。


 状況を聞いているその間も遠慮する女子生徒とそれでも運ぼうとする男子生徒のやりとりは続いていて、事情を知ったわたしは割り込んで「ノートは彼とわたしで運び、二人にはわたしの分も昼食を確保しに行ってもらう」という形でとりあえず手を打ってもらい、そして二人が去ったのちノートを拾い集めようとしたところで、その男子生徒が生駒くんだと気付いたのだった。


 約四十人分のノートはやはりそれなりの重量があって、運動部でもない女子がひとりで運ぶのは無理だろう……と手伝いを申し出るのはまだわかる。

 しかし「少なくとも教室から階段までは運べた」女子生徒と、「受け取ったその場で落としてしまった」生駒くん。男子とはいえ見るからに筋力のなさそうな彼がどうしてそこまで頑なになっていたのか、それを訊いてみたのだが、返ってきた答えは「やれると思って引き受けたから、あれだけでできないとは思いたくなかった」というものだった。……正直、よく分からなかった。


 それからもそんなようなことを何度か見かけて、無理だろうと本人にも言ったこともあったのだけれど、けれども彼は困っている人を見かければ必ず引き受けようとして、そんな様子を放っておくこともできなくて。

 それからどこか抜けている彼の世話というか、フォローというか。とにかくそんな感じの関係が、今の私達の距離感だった。


 ……ただ、こんな風に関わって分かったのは、彼は決して生活能力が欠如している訳ではない、ということだ。


 確かに青白い肌は不健康さを感じさせるけれど、時折のぞく腕とか首元とかを見る限り極端にやせ細っているという訳ではなく、身だしなみもきちんとしている。昼食のお弁当は毎朝自分で作っているというから自炊も出来るようだし、時折調子を崩して学校を休んでも、次の日には元の様子で学校に来るのだから、一人暮らしでもそういう所の管理はできるようだった。……それなのに。


 どうしてかそれ以外――特に学校関連のことは出来ないのだ。気が付くとぼーっとしているし、時間割を間違えて教科書や課題を忘れたり……なんてのはまだいい方で。遅刻はしないのに、完全下校時刻になってもぼんやりと空を眺めていたりする。そのせいで下校前の声掛けを欠かせないし、放っておくと事故にでも巻き込まれてふらっと死んでしまいそうなので、気が付くと家まで送ったりなんかしてしまう。

 何か悩みがあるのでは、と思ってそれとなく尋ねてみても、ちょっと考えてから返ってくる答えはやっぱり「別に」で、それが面倒なのではなく本当に何でもないのだと――あるいは、それがわたしにどうにか出来ることは無いのだとわかっているから、それ以上何か訊くこともなく、黙って家に帰るのを見届けて、すっきりしない思いを抱えて帰路につく。


 ――わたしは、本当に彼にとって必要な存在なのだろうか。


 毎日毎日、生駒くんが彼の住むアパートの部屋に入って、完全に姿が見えなくなる度に思う。


 もし、わたしのしていることが生駒くんにとって迷惑で、彼の邪魔になっているのだとしたら?

 ある日突然、彼に拒絶されてしまったら?


 わたしは、その言葉いたみに耐えられるだろうか。


 生駒くんは、わたしにとって本当に必要な存在だいすきなひとだというのに。

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