s1 ep16-12

 彼らのやり取りを聞いて酒屋が鼻で嗤い、箱から抜き取ったボトルビールを武器屋に放った。それを隣のヒカルに回しながらアンナがこうコメントした。

「何だか、ヒカルと中野さんの会話を聞いてるような気がしてくるわね」

「えぇ? どこらへんがぁ?」

 眉を顰めた元カノから同僚経由でやってきたIPAのラベルには、ヴィヴィッドな色合いのドラゴンが描かれていた。

 銘柄名に混じる『Double』や『Monster』の単語が一瞬、しぶとく二度も蘇ったモンスターを思わせた。が、彼女を重ねるには少々可愛すぎるイラストだし、あの振る舞いにも似つかわしくないファンシーなデザインだ。

 そんなどうでもいいことを考えていられる己に気づいて、中野はふと笑いたくなった。ついさっきまでの緊張感が、夢の中の出来事みたいに感じられた。

 まるで照明が灯った映画館だ。

 結局、ここに集合したメンバーはホームシアターで洋画か海外ドラマでも観ていたようなものだった。

 画面の中の展開にハラハラドキドキで手に汗握り、安堵に胸を撫で下ろし、コーヒーブレイクを挟んだりしながら、単なる観客に過ぎないままエンドロールを迎えてしまった。

 まぁしかし、必ずしも全てのスポットでトラブルやアクションが発生するわけじゃないのは当然だろう。海外ドラマならいざ知らず、中野が暮らすこの世界は紛れもない現実なんだから。例え、どんなに荒唐無稽な出来事が連発しようとも。

 一方、トラブルやアクションが発生しまくった異国の地では、坂上と母がSUVに乗り込んで走り出すところだった。

 叔父の鉄馬はひと足先に発っていて、消防車にとどめを刺されたはずのヴェロニカの姿は最後までカメラに映ることはなかった。

 これがホラー映画なら、性懲りもなくくたばり損なってた女が自分を轢いた消防車で追いかけてくる……なんて展開もアリなのかもしれない。

 でもさすがにそんなジャンル変更はなく、ドラレコの映像は無事にキャンプファイアの森から遠ざかっていった。



 帰りのルートは、お伽話の世界みたいな森の中の獣道じゃなかった。

 往路で坂上が斜めに横切った片側一車線道路を左に折れてしばらく行くと、対向車線を猛スピードで走ってくるパトカーや消防車の隊列と出くわした。今度こそ、あの赤い箱車には本物の消防士たちが乗ってるんだろう。

 後方カメラの中であっという間に小さくなった回転灯の一団は、やがてカーブの向こうに消えていった。

「そういえば、なんで消防車だったんですか?」

 坂上の声がそう尋ねた。車内カメラがないから映像は見えないけど、乗り込むときの位置からしてハンドルを握ってるのは可南子のはずだった。

「それがねぇ、パーティ客のお高そうなSUVを借りてカッ飛ばしてきたらハイウェイを降りた辺りで急にエンジントラブル起こしやがってさ。全く、外観ばっかピカピカにするより中身をメンテしろっての。とにかく騙し騙し走ってたんだけど、いよいよウンともスンとも言わなくなった頃に颯爽と消防車がやってきたのよ。王子様たちをワンサカ乗せた、頼もしい白馬ならぬ赤馬が二台。火事だけにね」

 火事の比喩でもある『赤馬』という単語と消防車のカラーリングを掛けたのかもしれないけど、坂上の反応は嗅ぎ取れなかった。

「で、まぁ今度はソイツを拝借したってわけ」

「消防車が二台って言いましたよね、もう一台は?」

「タイヤを全部撃って置いてきたわ。消防士さんたちが暖をとれるように、ちゃんとエンジンは生かしてね。あぁそろそろ、この辺じゃないかと思うんだけど……」

 数秒後、誰の目にも明らかなそのポイントに差しかかった。

 現場検証でもやってるらしく、消防車だけじゃなくパトカーの姿もある。複数の回転灯が派手に闇を彩り、深夜の森の中で立ち働く制服の男たちが見えた。

 こちらに気づいた警察官がひとり、道路の真ん中に出てきて両手を振った。

 不審なものを見なかったか尋ねるつもりなのかもしれないけど、運転手の顔を消防士に見られたらジャック犯だってバレるんじゃないのか。

 中野の懸念をよそに、母は素直にクルマを寄せて停車した。

 何か策でもあるのか──と思ったのも束の間、モンスターラベルのボトル片手に取り澄ましたロシア語のやり取りを聞いていたら、案の定だ。

 不意に誰かが声を上げたかと思うと一気に辺りがザワつき、猛々しくエンジンを吹き上げたランクルが弾丸のごとく飛び出した。全く、コメディ映画かコントみたいなドタバタシーンだった。

 ヘッドライト頼みの暗い景色が、みるみる加速する。左右に続く木々と路面の白いラインがジェットコースターのレールみたいに後方へと飛び退る。すぐに追ってきたパトカーのサイレンは、近づくどころか逆に遠ざかっていった。

 どこの国でも、パトカーなんてのは恐ろしくスピードが出るものだと中野は思ってたけど、そうとも限らないらしい。それとも装甲車ってのは、敵から逃げ延びるために警察車輌を上回るようなカスタマイズでもしてるのか。

 だとしてもアイツは軽装甲車じゃなくて重装甲車だ。内燃機関や足廻りを強化したって重量で半減しちまう気がするのは、素人考えというものか。

 まぁでも結局は、同居人を無事に運んでくれさえするなら重装甲車だろうが軽四だろうが何だって構わなかった。

 で──やがて、完全にパトカーを振り切った頃だ。

 ようやく速度を緩めたランクルの車内に、今度は怒濤のようなメタルの奔流が渦巻いた。銃撃戦やら爆破やら盛り沢山のデスゲームが終わっても、騒々しさは途絶えることがない。

「ちょっ、何なのよこのデカい音は!?」

 ドライブ気分でオーディオをオンにしたらしい可南子が喚いた。坂上が何か答えたようだけど、音圧に潰されて聞こえない。

 とにかく数秒後には静寂を挟んで妙に無邪気なイントロが取って代わり、すぐに低音が滑り込み、無邪気とは縁遠いヴォーカルが被って、重たいドラムと弦楽器たちが加わった結果、最終的には坂上のチョイスと大差ないBGMになっていた。つまり、ややスロウテンポなだけでロックには違いない。

「シャインダウン、BLACK SOUL」

 母のスマホのデータでも拾ったらしく、クリスがライブラリの情報を読み上げた。

黒人のブラックソウル?」

「いや、黒いブラックハート的なほうじゃないかな……わかんないけど」

「そっちなら、俺らに似合いじゃねぇか?」

 箱からビールを抜き取って酒屋が笑うと、

「あら、私のハートは真っ白よ?」

 心外そうな武器商人がボトルを掲げて腰でリズムを取り始め、女子エージェントの手を取った。

 タイトルに似合わないキャッチーなサウンドに乗って、ドラレコの映像は一直線にのびる道の先を目指してひた走る。

 今にも『FIN』と浮かび上がってきそうな画面を眺めていたら、同僚が思い出したように口を開いた。

「そういえば中野、もし親父さんの事業の後継者に指名されたら、あっちに行く気はあるのか?」

「まさか。今からロシア語の勉強なんかしたくもないし、それにセルゲイが生きてるはずだよね? あのあと死んでなければ。こんな馬鹿騒ぎの後始末も事業承継も、みんな彼が背負ってくれたらいいと思うな」

「セルゲイと言えばさぁ」

 案外楽しげにアンナのダンスに付き合っていたヒカルが、こちらを見て唇をニヤつかせた。

「Kはどうして生かしといたのかしら。やっぱミナトに似てるから殺せなかったとか? どうするミナト、向こうにいる間にKが腹違いの弟に心変わりしちゃったりしたらさぁ?」

「ないね」

「やだ、何その自信ありげな即答」

「ヒカルったら、野暮なこと訊くもんじゃないわ」

 武器商人が蠱惑的に目尻を弛ませ、恋人である女子エージェントをやんわりと嗜めた。

「中野さん以外の誰かに心を奪われるなんて、Kに限ってあるわけないでしょ? そんなこと天地がひっくり返ったって──」

 声が途切れた瞬間、アンナの顔つきが豹変した。

 と同時にダッフルバッグへ伸びた手が、ついさっき撫で回していたショットガンのバレルを引っ掴むや否や、彼女は身体ごと振り返りざま腰だめにトリガーを絞っていた。すかさず、フォアエンドを前後にスライドさせて更に一発。

 その隣では、同じくダッフルバッグからフルサイズのハンドガン二丁を抉り取った女子エージェントが瞬時に向きを変え、小ぶりで小生意気な面構えに殺気を漲らせて、真っ直ぐ伸ばした両腕の先から立て続けにぶっ放し始めた。

 男たちが手出しする間もなかった。

 横殴りに交錯する流れ弾の雨が壁を舐め、棚の機器類を弾き、アメコミフィギュアの林が射的の景品みたいに順序よく倒されていく狭間を縫って、家主の悲鳴が迸る。

 一応フォローするなら、男子のうち唯一武器を所持する先輩エージェントもサボってたわけじゃない。最初の一発が発射されたときにはラリアット的なモーションで中野の胸元を薙ぎ、もろとも机の陰に転がり込んでいた。

 しかし全く、その腕の外形に似合わぬ力強さときたら──

 でも草食動物ってのは結構筋肉質らしいから、あながちイメージ違いでもないのかもしれない。

 が、残念なことに、本領発揮の臨戦態勢にシフトした草食動物が参戦する寸前、女子二人によるショットガンと二丁拳銃の乱舞は終演しちまった。

 充満する硝煙臭さの中、長いバレルを担いだアンナが部屋の入口で倒れてる男に近づいていく。

 いい身体してるわねぇ──と、ご満悦な声音で懐から抜き取ったスマホを当人の指でロック解除して冨賀に放ると、ソイツをキャッチした情報屋がダブルモンスター片手に端末を弄って、数秒のうちにこう言った。

「ベラルーシの殺し屋集団のメンバーだ。常に四人で動くヤツらのはずだけど、何人いた?」

「三人かしら」

「多分三人ね」

 女子陣の答えを聞いた新井が拳銃を手に廊下へ出て行き、すぐに後輩エージェントもあとを追った。

 武器商人も行くのかと思ったけど、残ることにしたらしい。確かに彼女までいなくなると、この部屋が手薄になる。

 中野は室内の惨状を見るともなく眺めた。

 大抵のものは割れてるか転がってるかのどちらかで、壁面ディスプレイなんか派手にぶっ壊れてる。ロシアン・エピソードを一応エンディングまでし終えてはいたけど、あのあとダメ押しのトラブルなんか起こってないことを願う。

「それにしても、ここが知れちゃうとはね」

 アンナが海外ドラマの女優みたいな仕種で肩を竦めた。

「戦争が終結したことも把握してなかったくらいだから、情報ルートのスピード感はイマイチなんだろうけど、こんなところまで追ってきたことは評価してやるべきかしら」

「残念だったなクリス、次はどこに引っ越すんだ?」

 揶揄混じりの冨賀の問いに、クリスが心底無念そうな表情で嘆く。

「ここ気に入ってたのになぁ……」

 そのとき、家主の未練を弾き飛ばすように屋内のどこかで銃声が入り乱れ、数秒で静かになった。

 部屋に残っていた四人はちょっと目を交わしただけで、すぐに何事もなかった風情でダブルホップモンスターを傾けながらクリスの転居先について勝手な意見を投げ合った。

 これで一応、全てのスポットでトラブルが発生したことになるわけだけど、異国のアクションがド派手過ぎたせいか多少のドンパチくらいじゃどうにも緊張感に欠けててしまう。

 そうこうするうち、エージェント二人が戻ってきた。

「一応片付けたけど、念のためさっさと移動した方がいい」

 部屋に入るなり新井が言うと、冨賀が尋ねた。

「俺のクルマは無事か?」

「いや。タイヤの空気を全部抜かれてるから、ヤツらのクルマをもらっていこう」

「マジかよ。クソ、先週タイヤ交換したばっかだってのに」

「クルマごと交換したらいいだろ? エクスプローラのトラックだから酒屋の配達に使えるんじゃないか」

「ふざけてんのか、エクスプローラってフォードのアレだよな? リアシートも4リッター超のエンジンも酒の配達には無用の長物でしかねぇ」

「あら冨賀、それ言ったらフルサイズバンなんて酒屋にも情報屋にも必要ないじゃない。ラゲッジスペースにクリスのシステムを積むとかならともかく──あ、そうよクリスあんた、この際もうキャンピングカーに所持品積んで生活したら?」

「えぇ? やだよそんなのぉ!」

「ていうか、さっきから何やってんの?」

「え」

 生き残りのアメコミフィギュアたちを掻き集めていたクリスの手が止まった。

「や、だって、みんな連れてかなきゃなんないから……」

「オモチャを擬人化表現すんな白豚、何なら一緒に置いてってやろうか?」

「だってアンナちゃん、マシン類は替わりがあっても、この子たちは二度と巡り逢えないかもしれないんだよ!?」

「はっ、クソの役にも立ちゃしねぇ」

 そんなタイムロスはあったものの、どうにかチョイスした必要最低限の物資を全員でガレージに運び──残していく機器類は女子二人の手で全て破壊された──定員オーバーのピックアップSUVは隠れ家を抜け出した。

 クリスとは対照的にスマホすら失くした身軽な中野は、どことなく白み始めた窓越しの空に目を投げた。

「今日、仕事行けんのかなぁ」

「まさか出勤する気でいたのか?」

 隣の新井から呆れ声が返る。フロントシートはセパレートタイプだから必然的に前二人、後ろ四人という配分で、リアシートには女子陣と細身の新井、それに中野という顔ぶれが詰め込まれた。

 ただし同僚は細身とは言え、密着した二の腕の硬質な筋肉が厚手のアノラックを通しても伝わってくる。

 そういえば、さっきの襲撃でタックルされて転がり込んだとき弾みで唇がぶつかったことについては、互いに気づかなかったフリを決め込んでいた。

「だって生きてるから休む理由も特にないしね。別に、仕事に人生なんか捧げてないけどさ」

「中野……」

「うん」

「頼むから今日は休んでくれ」

「あ、そう?」

 休んでどうするのかは知らないけど、真摯に請われてまで断る理由はなかったから従うことにした。

 クルマがどこへ向かってるのかも中野は聞いてない。

 それでも、閑散とした都内の道路を走る間に窓の向こうの世界は確実に明けていく。

 同居人がいる場所は、これから深夜という時刻かもしれない。だけど彼のもとにも、そう遠くないうちに朝が訪れるだろう。

 中野はふと、同僚の向こうにいる元カノを覗き込んだ。

「そうだ、ヒカル」

「何?」

「ひとつ、ずっと気になってたことがあるんだけど」

「──」

 ヒカルが探るように目を眇めた。

「いいわ、言ってみなさいよ」

 謎の警戒心剥き出しの眼差しを数秒見返してから、中野はゆっくり首を傾け、こう尋ねた。

「坊主バーって何?」

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