s1 ep16-11
微動だにせず立っていた坂上が、緩慢な仕種でパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「そのまま、ゆっくり出して。電話以外のものが見えたら私の可愛いナノが火を噴くわよ?」
ベレッタか……と武器商人が呟いた。女が構えてる鉄砲のモデルについてだろう。
それはそうと、どこかで聞いたような「俺のマグナムが火を噴くぜ」的発言が中野の神経に引っかかった。
翻訳システムの──ひいては開発者の好みで過剰に意訳された可能性もあるけど、実際に大体そんな意味のことを言ったんだと思う。電話端末以外のものが出てくるリスクを背負ってまで架電を促すのだって、始末する前に中野の死を確認させて絶望するさまを見物したいとか、その手の劇場型ドS根性丸出しの目的に決まってる。
なら、少なくとも電話を切るまでは撃たないはずだ。
こうしてる間に母の可南子でも誰でもいいから到着してくれれば、さっさと片が付くはずなのに。こんなときに限ってギリギリの瀬戸際、下手すりゃ手遅れってタイミングまで登場を引っ張りかねないのが正義の味方の助っ人ってヤツだ。
──待てよ?
これは正義なのか?
改めて考えると答えは否だった。敵味方まとめて重箱にぶっ込んで隅々まで箸先でほじくり返したって、そんな単語は出てくるわけがない。
コイツは単に、世界を股にかけて生命を狩り合う酔狂な
が、なら尚更、さっさと誰か到着すればいいのに。正義の味方の助っ人じゃないならギリギリに登場するセオリーは無効のはずだ。
画面の坂上は引っぱり出したスマホに目を落としたまま動かない。その姿に業を煮やしたのか、見かけだけは草食系の同僚がやや苛立ちを孕んで呟いた。
「アイツは何やってんだ? 中野から電話したほうが早いんじゃないのか? 言いつけを破って覗き見してたことがバレて怒られたって、この際もういいだろ? 番号はわかってるんだよなクリス」
「え、あ、うんっ?」
名指しされたシステム屋が条件反射的なレスポンスで机上のマシンを弄りかけて、パッと顔を上げた。
「中野くんにかけてるよ!?」
「え?」
「Kが今、中野くんに電話してるんだよ!」
「俺に? でも鳴ってないよ」
電源が落ちてるんじゃないかと同僚に言われてスマホを探した。が、全てのポケットを探ってみても、どこにもない。
その間に、クルマの中で落としたんじゃないかと言って酒屋がガレージに走り、見つからないまますぐに戻ってきた。
中野は宙に目を投げて数秒反芻した。
ベッドに入るとき、枕元の充電ケーブルに繋いだ。しかし叩き起こされてから慌ただしく抜け出してくるまでの間に、そういえば外した記憶がない。
つまり今頃、原形をとどめない姿で瓦礫に埋もれてるに違いなかった。
「多分、中野坂上だ──」
「はぁ!? 何やってんだよ!?」
冨賀の恫喝に弁解や反論を返す気はなかった。むしろ誰よりも中野自身が己の迂闊さを罵倒したいくらいだった。
画面の坂上はまだ動かない。否、正しくは「ドラレコのカメラがキャッチできないほどの僅かな動きしかない」ってことが、悲鳴のようなクリスの半ベソで判明した。
「リダイヤルしてる……何回も中野くんにかけ直してるよぉ!」
「今すぐ回線に割り込め白豚ぁっ!!」
アンナが鬼気迫る圧力で怒号と銃口をクリスに振り向け、眦を吊り上げた元カノがビームみたいな眼差しを中野に寄越した。
「何なのよこんなときにミナトあんた、この役立たず!!」
「クソ、K! いっぺん電話は諦めて先にその女を殺れって!」
画面に向かって酒屋が声を荒げる。
隣に立つ同僚が中野の顔を見て眉を顰めた。
「大丈夫か、中野」
「大丈夫なように見える?」
中野は答えて、ゆっくりとひとつ瞬いた。氷の塊でも押し込まれたみたいに腹の底が冷たくて、しんと静まり返っていた。
俺は何故、こんなところで馬鹿みたいに彼の窮地をただ眺めてるんだ?
よりにもよって、こんなときにスマホがない? 何なんだこの、いざってときに限ってわざとみたいにヘマをやらかす、海外ドラマのお約束みたいに陳腐な失態は?
「まだなのクリス!?」
「や、やってるけど反応してくれないんだよぉ、Kが!」
こちら側の混沌など知る由もなく、画面の向こうでは勝ち誇ったような角度に顎を上げたヴェロニカが勿体ぶった仕種で腕を伸ばして、ナノとやらをおもむろに構え直した。
「さぁ、気は済んだかしら? そろそろ愛しいノゥリの後を追うといいわ」
「あぁ……」
俯いた坂上から零れ落ちたのは、ロシア語じゃなく日本語だった。
「そうだな、俺の居場所はアイツのとこにしかねぇから」
そのセリフにか。
平素の抑揚のなさから更にバリ取りして研磨された声の静けさにか。
それとも、こんな大事なセリフにまで合成ボイスが被った腹立ちのせいか。
自分でもわからないまま中野の全身が総毛立った刹那、坂上の右手が密やかなひと呼吸のように流れた。
個性や特徴を削ぎ落とした男の、無駄や躊躇や気負いが一切ない自然な動きは、辺りの木立が風にそよぐさまほども注意を惹くことはなかった。銃声すら、クルマが燃え盛る音に吸い込まれるように紛れた。
腰の後ろを経由して前方に伸ばされた右腕。その軌跡にギャラリーの意識が追いついたのは、女の身体がゆらりと
「──けど、アイツを追うのに手助けは要らねぇ」
そう付け足した坂上の口ぶりにも姿勢にも、ほとんど変化はない。左手のスマホに落ちた顔の角度でさえも。
全身のうち、ただひとつのパーツ──右手だけが、本体の系統から切り離された生命体みたいに正確無比な働きを見せ、何事もなかったかのような素振りで鉄砲を元の場所に収めた。
その手のひらが、額に落ちかかる前髪を鬱陶しげに払ってスマホへと戻る。崩れ落ちたヴェロニカには見向きもしない。
ひょっとして、自分が殺したことにも気づいてないんじゃないのか。そんな疑いを抱かせるほどの無関心がそこに佇んでいた。
どこか遠くで、サイレンみたいな音が聞こえ始めた。
鬱蒼と生い茂る木々とバス停しか見えないロケーションとは言え、あれだけ派手な爆発が起これば誰かが気づいて通報したっておかしくはない。
「えっと、今度こそ終わった……のよね?」
誰にともなく漏らしたヒカルの、半信半疑の問い。
彼女だけじゃない。ヴェロニカ車が爆発したときは弛緩した安堵感で満たされた部屋を、今は慎重に窺うような空気が支配していた。
が、システム屋の素っ頓狂な慌てっぷりが室内のモヤつきを容易く破り去った。
「ちょっと中野くん、Kがまだリダイヤルしてるよ!?」
炎上するクルマと女の死体の狭間で、坂上は相変わらず立ち尽くしてる。
一見ただ突っ立ってるように見えるけど、手元のスマホから発信を繰り返してるというのか。
「罪な男ね、全く!」
元カノが腹立たしげに吐き捨て、酒屋の呆れ声が続いた。
「こんな大事なときに携帯も忘れるような間抜け野郎のどこがいいんだよ?」
「ていうか早く回線に割り込みなさいよクリス。ヴェロニカが片付いたからって何サボってんの?」
「え、あれ、ゴメンね? アンナちゃん」
「気安く呼ぶな白豚」
女王様と家畜の応酬も普段どおりの温度を取り戻し、中野の隣では同僚が溜め息混じりに首を振った。
「Kの回線に割り込むより、中野のお母さんにかけたほうが早いんじゃないか? もうすぐ着くだろうから、中野の携帯がないことを伝えてもらえばいいだろ」
「あぁ、そうかもね。けどそれより俺はあのサイレンが気になるよ。消防隊が着いたとき、あんな現場にいたらまずいんじゃ……」
中野が言い終えないうちに、ふと目を上げた新井が表情を凍り付かせた。
「おい、あれ!」
ただならぬ声音に全員が同じ方向を見て、寸前までののんきな空気が一変した。
ドラレコ画面の隅で、地面に横たわる影が身動いでいた。
キャンプファイアの炎が明滅する中、くたばったはずの女がゆらりと腕をもたげる。その先端から無防備な殺し屋を狙う、小ぶりな鉄砲のシルエット──
「ちょ、ねぇ何なのゾンビなの!? ホントはマジでゾンビなの、あの女!?」
ヒカルのツッコミにアンナの怒号が被った。
「何チンタラしてんだぁクリス!? アイツがまだ生きてるって今すぐKに知らせろ!!」
「ま──待って待って……!」
室内の混乱を更に搔き消す、けたたましいサイレンの音。だけど消防車が到着しようがしまいが、彼の窮地には関係ない。
坂上が、スマホに落としていた目を上げた。
その視線と女の銃口がピタリと直線で結ばれる。
殺気立って聞こえる大音量の
突然。
激しい雑音混じりに画面右端の木立を蹴倒しながら、真っ赤な巨体が斜めに飛び出してきた。
同時に、別の角度から跳躍した黒馬の騎手が身を乗り出すように伸ばした腕で坂上を薙ぎ、細身のフード姿をバス停の方向へ数メートル弾き飛ばしていた。
何もかもが一瞬だった。
それでいて、全てがスローモーションみたいに見えた。
横転スレスレのフルバンクで画面の死角に回り込んでいく黒い鉄馬。手前では、サスペンションがぶっ壊れそうなほど沈み込んで着地した赤い筐体が、繰り返しバウンドしながら耳障りなブレーキ音を響かせて減速する。
キャンプファイアに突っ込む寸前で全身を軋ませて消防車が停止し、ようやくサイレンも鳴り止んで静寂が訪れた。
ちなみに停車した場所はさっきまで同居人が立っていた辺りで、ヴェロニカの姿はもうどこにも見当たらなかった。
一般的には、危険を報せる役割を担うであろうサイレン。ソイツが死をもたらしたとなれば皮肉な話だけど、船乗りを誘惑して沈没させる海の怪物セイレーンが語源だってことを考えれば意外でもない。この場合、ヴェロニカが船乗りというわけだ。
が、それはさておき。
何だろうこの、コメディタッチのアクション系海外ドラマでしかお目にかからないような荒唐無稽っぷりは──?
全員が無言で画面を見守る中、消防車から飛び出してきた人物がバス停のほうへ駆け寄りながら叫んだ。
「ケイ! 無事なの!?」
中野の母、可南子だった。どうやら司令塔自ら突っ込んできたらしい。
しかし何故、消防車で──?
「ていうかちょっと譲二! やることが雑なのよアンタは昔っから!!」
まだ作動していた同時通訳の合成ボイスが、可南子のボリュームで完全に掻き消されていた。気づいたクリスがシステムをオフにする。何にせよ、音声が拾えてるってことは坂上のスマホは無事なようだ。
それにしても、味方が立つ場所目がけて重量級のクルマでダイブするのは、雑とは言わないんだろうか?
「いや、可南子お前こそ……まぁいいや。立てるか、ケイ?」
溜め息を吐いた叔父が地面を覗き込み、差し伸べた手を掴んで起き上がるパーカー姿が遠目に見えた。
「頭打ったり、どっか折れたりとかしてない?」
心配げな可南子の問いに答える声は聞こえなかったけど、反応はあったんだろう。不意に母の物言いが一変した。
「あんな女に鉄砲向けられてボケッと突っ立ってるなんて、一体何考えてんの!?」
「だって可南子さん……」
低く漏れた声が、微かに震えるように聞こえたのは気のせいだろうか。
「あの女、中野坂上のいづみ食堂を爆破したって──繋がらないんだ、アイツの電話……」
「大丈夫、湊なら無事だよ」
叔父の譲二がやんわりと声を滑り込ませた。
「中野坂上の
ハッ、と冨賀が鼻を鳴らした。
一方で坂上の反応はなく、さらに叔父がこう畳みかけた。
「そんな顔しなくても、この状況でこんな嘘言う必要ないだろ? 敵はもう片づいたんだから、湊が死んだって正直に言って慰める余裕もあるんだし」
「いちいち回りくどい言い方しなくても、湊はクリスんちにいて無事だって言えば済むことでしょ?」
母のセリフを聞いてアンナが小首を傾げた。
「中野さんがここにいるなんて情報、お母さんたちはどこから入手したの?」
「それはねぇアンナちゃん!」
クリスがいそいそと手を挙げた。
「中野坂上が爆破されたあと、お母さんの電話回線がオンになったらメッセージが届くように手配しておいたんだよ。他のとこから情報が回ると中野くんの安否がわかんなくて心配するだろうし、だからって直接Kに連絡するとホラ、怒られちゃうしね」
「へぇ。コソコソとそんな小細工してたなんて、あんたもたまには気が回るじゃない」
「えっ、見直しちゃった? アンナちゃん! もしかして惚れ直しちゃったりした!?」
「直す……だと?」
システム屋の眉間目がけて武器商人の銃口が狙いを定めた。
「元がないモンをどうやって直すんだよ、ちょっと役に立ったからってつけ上がんな豚野郎が。ただしアタシにも情けはある。額に風穴空けるか、そのうるせぇ口を拷問用の針で綴じるか、どっちか選ばせてやってもいい」
「第三の選択肢をお願いします」
「けどアンナ」
情報屋が割り込んだ。
「今夜クリスが大活躍だったことは確かだぜ?」
「えぇ腹立たしいことにね。幸か不幸か、アタシの仔猫ちゃんたちの出番はなかったってのに」
アンナはつまらなそうに言って拳銃をテーブルに置くと、ダッフルバッグから覗くショットガンの銃身を愛おしげに指先で辿った。
そりゃあ彼女としては、黒や銀色の仔猫ちゃんたちが大暴れできなかったのは残念なことかもしれない。でも中野の個人的な感覚で言えば、ソイツは不幸じゃなく幸だ。
画面の中では、母の矛先が同居人に向けられていた。
「だから言ったじゃない、誰かが湊の名前を出しても動揺するなって! さっき電話で釘を刺したの、ちゃんと聞いてた!?」
「聞いてましたけど……」
何か言いたげな風情を孕んだ低い呟きは、一緒に暮らしてたときにもよく耳にした声音だった。
何をどう言えばいいのかわからない、そんなコミュ障感たっぷりの色合い。画面で確認できなくたって、ありありと表情が目に浮かんでくる。
叔父が口を挟んだ。
「だから先に教えとこうって言っただろ? 中野坂上が吹っ飛ばされたけど湊は無事だって」
「今更物わかりのいい大人ぶるのはやめなさいよ譲二、全て終わるまでは気が散るような情報は排除しようって結論になったでしょ? 湊が無事だってのは動揺させないための方便じゃないかなんて、ケイが変に勘繰らないとも限らないからって」
「結論っていうか、押し切られただけだけどね」
「ていうか、湊のことでケイがここまでコントロール不能になるとは思わなかったわ、全く!」
「僕はそこそこ予想できたけどなぁ?」
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