s1 ep16-6

「──え?」

 場に空白が生まれた一瞬後。

 まるで、隙を非難するブーイングのように複数のバイブが唸りを上げた。武器商人と二人のエージェントへの着電だった。

 厳しい面構えで応じる彼らの緊迫感を数秒眺めてから、中野はラップトップのキーボードに指を走らせ続ける情報屋を見た。

「中野坂上のどのへんが? まさかエリア一帯?」

「いや、お前んちだ」

 わかりやすい答えが跳ね返ってきた。

 さっき口走った中野坂上って単語は、永田町や霞が関、赤坂といった隠語と同じニュアンスだったらしい。

「じゃあ、中野坂上駅崩壊だとか青梅街道寸断なんて大惨事にはなってないってことだよね?」

「まぁな」

「爆破って爆弾か何かで? 被害の規模は?」

「わかるまで大人しく待ってろ」

 冨賀は苛ついた声を吐いた。

 エージェントたちと武器商人はまだ電話中。システム屋も机上のディスプレイと睨めっこしていて、中野ひとりだけが手持ち無沙汰だった。

 けどまぁ、一応はホッとしていた。

 いくら何でも、公共のインフラ設備が破壊されたり無関係の生命が奪われたりする元凶となっては寝覚めが悪いし、日々あくせく働いてる勤め人たちの通勤に支障なんか出たら、自身もリーマンである身として心苦しい。

 もしも自分がとばっちりで足止めを喰らった側だったなら、脳内に棲むヤツらのうち誰かひとりは舌打ちして悪態の限りを尽くすだろう。

 ──とにかく、だ。

 中野が『レンガのおうち』に逃げ込んで小一時間のうちに、ついさっきまで惰眠を貪ってた藁の家が攻撃された。

 全ては同じ根っこに端を発した一連の流れだ。

 ヴェロニカの企み。策に酔い痴れたパーティ開催、ソイツに便乗した坂上たちの動き。そしてプラン変更を傍受した人物たちの手引きで中野が急遽避難することとなり、今夜ついにカタがつくはずだった庶長子殺害計画を失敗へと追い遣った。

 慢心が呼んだ皮肉かな──中野は思った。

 あくまで個人的な見解を述べるなら、容姿と財力に恵まれた女ってのは往々にして自信に足元を掬われがちなイメージがある。

 そりゃ男だって勿論、同じ失敗は犯すだろう。が、男を滅ぼすものは思い上がりだの何だのよりも、ダントツで女に決まってる──

「脱出が間に合って良かった」

 隣で呟きが聞こえた。いつの間にか電話を終えて戻った同僚だった。

「そうだね。新井が叩き起こしてくれたおかげだよ、ありがとう」

 中野が言うと新井は首を振った。

「いや、完全に俺の手落ちだった。冨賀からの連絡がなかったら、今頃二人とも建物ごと吹っ飛ばされてたとこだ」

 それを聞いた冨賀が、ラップトップに目を据えたまま肩を竦めた。

「まぁ、クリスの盗み聞きもあってこその情報だったけどな」

 気のない声音にハッと顔を上げたクリスが、大袈裟なくらい首と両手を振り回した。

「違うよう! 冨賀くんとこには全然別のとこから情報が入ってきたじゃん? ホント良かったよね、中野くんにもしものことがあったら僕ら全員、Kに合わせる顔がないっていうか命がなかったよね! あっ勿論、中野くんだけじゃなくて新井くんが無事だったことも何よりだよ!?」

「ヘイ! ボーイズ!!」

 無駄に流暢なイントネーションで喝を突っ込んだのは、眉間に険を刻んだエージェント女子だった。

「何なのこれ? 大丈夫? 現実逃避しないでよ男子たち! 全く男ってのはこれだから!」

「その男って括りはどっから……」

 言いかけた冨賀の声を、ガラリと一変したクリスの半ベソが掻き消した。

「だってヒカルちゃん! あ、あの物件、僕あんなに頑張って丸っとセキュリティ対策したのにど、どこに穴があったのか全然わ、わかんな」

 突然、反響を抑えた破裂音の連発がシステム屋の泣き言を強制終了させた。

 全員が一瞬で静止し、武器商人が腰だめに構えたコンパクトなサブマシンガンを見てから部屋の奥へと目をシフトした。

「──」

 壁にデカデカと貼られた、胡散臭い笑顔を放つアメコミヒーローのポスター。

 ディスプレイの明滅が照らす彼の顔面に、黒い小さな穴が無数に点在していた。

「穴ならあそこにいくらでもあるから落ち着きな」

 サプレッサーを装着した火器のセイフティをオンにしながら、アンナが鬱陶しげな声を投げた。

「ったく……過ぎたことを今グダグダ言ってたってしょうがねぇだろうが? グズってる暇があったらさっさと自分の仕事をしろってんだよ白豚がぁ──ついでに覚えときな、今度馴れ馴れしくヒカルを呼んだら次に風穴が開くのはアンタの顔だよ!」

 最後の一句が終わるのを待たず、ケツを蹴っ飛ばされた馬みたいにシステム屋が猛然とキーボードを叩き始めた。

 平素のゆるキャラじみた顔面は見たことがないほどキリッとしていて、いくらも経たないうちに上げた声までもが別人のように鋭利だった。

「映像出たよ!」

 壁面ディスプレイの右半面、上下それぞれに別角度からの映像が現れる。上はカラー、下はモノクロ。どちらも見慣れた風景だ。が、ある意味、見たこともない光景がそこにあった。

 激しい炎に包まれた中野坂上の玩具箱。

 窓という窓から伸びる火の手がコンクリートの壁を這いずり、舐め回し、夜空に向かって湧き上がる黒煙を煌々と照らし出す──

「上はネットニュースに上がってる動画で、下のヤツは斜向かいにある業者の倉庫の防カメ映像だよ」

 何かが爆ぜる音。野次馬の悲鳴とざわめき。みるみる近づいて迫る、緊急車両のけたたましいサイレン。

 隣のアパートも半分吹っ飛んでるのが見えたとき、冨賀が言った。

「今のところ、元定食屋の老朽化した設備が何らかの誘因でガス爆発を起こしたんじゃねぇかって説が有力みてぇだな。まぁまだ推測の域を出ねぇし、実際その線で巧妙に工作されたのかもしんねぇし、何にしろ中間報告だ。あと、そこには映ってねぇけど裏の家も屋根と壁の一部がぶっ壊れたってよ」

 するとアンナが補足した。

「裏のお宅は一家総出でご主人の実家に帰省してて、全員無事らしいわ」

「待てよ」

 情報屋が眉間に刻んだ懐疑を武器屋に振り向けた。

「なんで俺んとこにも来てねぇネタをお前が持ってんだ?」

「やぁね、テリトリーを荒らすつもりはないから安心してよ冨賀。たまたま私の飼い犬のひとり……いえ友人が報せてきたの。その友人の調教師……じゃなくて知り合いが裏のお宅の奥様と親密な交友関係にあって、帰省先から毎日熱烈な連絡が来てるとかいう話よ。勿論家族の目を盗んで、ね」

 要らない情報もいくつか混ざってはいたけど、とにかく裏の一家が無事だってことはわかった。

 アンナが続けた。

「ちなみに余計な情報だけど」

 まだ何か余計な情報があるらしい。

「その奥様、よく中野さんのことを噂してるそうよ。自宅の裏のボロい賃貸物件に住んでる、長身でジェントルなイケメンハーフとも一度寝てみたい、ってね」

「ジェントルって形容は一体どっから出てくんのよ?」

 ヒカルの疑問に誰かが乗っかる前に、中野は別件を滑り込ませた。

「裏の被害は一部って言ったっけ? 隣のアパートは半分くらいなくなってるみたいなんだけど、あそこの人たちは大丈夫なのかな」

 正直に言う。

 裏の奥様ネタが続くと面倒だから話を逸らしただけで、アパートの住人の安否に興味なんかなかった。悪いけど塵ほども、だ。何しろどんな人物が住んでるのか、そもそも住人がいるのかどうかも知らないんだから関心の持ちようがない。

 だからこそ、答えをくれた同僚の愁眉に若干の後ろめたさを覚えなかったと言えば嘘になる。

「情報が錯綜してて、どこの機関も近所の状況まではまだ掴んでないらしい」

「あぁそう、まぁどうしても知りたいわけじゃないから別にいいよ」

「けど、こんな時間に壊れた部屋の住人までもが留守で無事だったとしたら、隣か裏の誰かが敵の手先だって線は考えるべきだろうな」

「でも裏は例の奥様んちだから、やっぱり怪しいのは隣かしらね?」

 首を傾げたアンナに冨賀が薄笑いを投げた。

「裏んちも除外はできなくねぇか? ビッチな嫁を娶っちまった哀れな被害者かと思いきや、実はダンナがどっかのハンターなのかもしんねぇし。大体そのビッチだって、この」

 と、中野を顎で示してから続ける。

「イケメンハーフと寝てみてぇなんて日頃から口にしてる辺りが、いかにも怪しいぜ。なぁ?」

 同意を求められた草食系エージェントが、チラリと中野を掠めた目を肉食系の情報屋に戻した。

「その要素じゃ判断しかねるな。純粋に寝てみたいと思ったって別に不自然じゃない」

「あぁやっぱり、お前も寝てみてぇって思ってんだな?」

「俺は客観的な意見を言ったまでだし、その質問に答える義務もない」

 彼らの会話は聞こえなかったフリで、中野はクリスに顔を向けた。

「ところであそこ、瓦礫の中から何か不味いものが見つかったりしないのかな」

「不味いって例えば?」

 無粋な下半身ネタとは無縁の純粋無垢な顔が訊き返してくる。

「だから、例えば地下の射撃訓練部屋の残骸とかさ。多分違法だと思う武器もいろいろ置きっぱなしだったし、むしろ不味いものだらけだよね。大体あの地下室の存在自体、合法なわけ?」

 が、彼は「何だそんなことか」と言わんばかりの軽さでこう答えた。

「なぁんだ、問題ないよ」

 一体、どんな根拠で──?

 だけど他の面々に目を巡らせてみても、返ってくるのは似たり寄ったりの反応ばかりだった。

 ふと、初めてドンパチを目の当たりにした夜が脳裏に蘇った。あのときの坂上も冗談みたいにざっくりした警察への対応を中野に指図して、実際それで事なきを得た。

 およそ半年前に初体験した騒動を懐かしく反芻しかけた中野は、不意にあることに思い至って溜め息を吐いた。

「どうしたんだ?」

 聞き咎めた同僚に、中野は緩く首を振ってみせた。

「こないだ、仕事用の靴を買い換えたばっかりだったんだよ。まだ二回しか履いてなかったのにな」

 言いながら思った。デジャヴだ。アパートでも、おろしたての靴が闖入者の死体の下敷きになった上に血で汚されて駄目になった。しかも今回は、あのとき奮発した本革のビジネスシューズより更にワンランク高いヤツだったってのに。

 ひょっとしたら、いい靴を買うと災厄に見舞われるのが中野的ジンクスなんだろうか?

 次の靴は絶対フェイクレザーにしよう──内心そう誓った。ただし口には出さない。元カノの険しい面構えに「こんなときに靴なんかどうだっていいわよね!?」の極太文字が見えたからだ。

 しかし顔面に書き殴っただけじゃ飽き足らなかったのか、こちらに目を据えたままヒカルが口を開いた刹那、一拍早くクリスの声が走った。

「ヴェロニカがクルマでミトロファノフ邸を脱出したよ!」

 と同時に壁面ディスプレイの左半分で、公道を捉えた俯瞰映像が拡大される。

「こっちサイドのクルマも一台飛び出してって、すぐ後ろを追跡してる」

 解像度がアップしていく画面の中で、周囲の車列を右へ左へと躱しながら弾丸みたいに駆け抜ける二台のクルマ。前を行くのはシルバーのセダン、その尻を追うのは黒っぽいSUVだ。

「後ろのランクルはKたちのクルマのうちのひとつだね。ヴェロニカのはロールス……? じゃないや──アウルス・セナートかな!」

 システム屋の実況が謎の興奮に弾み、右上の四面がシルバーボディのズームに占領された。おかげで、やたらデカいメッキグリルを引っ提げたフロントフェイスのいかつさだけは十二分に把握することができた。

「熊と闘っちゃう大統領御用達のロシア製高級セダンだよ! 排気量4・4リッターのエンジンはポルシェと共同開発したV8ツインターボのハイブリットで──」

「いろいろやってもらってるのに、お楽しみのところ申し訳ないんだけどさ。拡大するとこ間違ってない?」

 武器商人が再び銃をぶっ放さないうちに、中野ができるだけ穏やかな口調を挟むと、お楽しみに水を差されたシステム屋の目が輝きを失い、ズーム画面の被写体が速やかに後方のクルマへと移った。

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