s1 ep15-2

 あのときは何だかよくわからない会話だったけど、振り返ってみればそうと思い至る。あれはヒカルがチラつかせた趣味の世界だ。

 それにしても、新井は男だよ? なんて訝った自分が挽肉の腸詰じゃないウインナーと関係を持つことになるんだから、全く人生ってイベントはどこでどんなベクトルを描くものやらわかったもんじゃない。

 一方で、あの頃と変わらないこともある。

 人体パーツのサイズには今だって拘らない。

 自分のウインナーさえ坂上の腹を満たすに足るものであれば、当の相手の坂上はもちろん誰のサイズがどうだろうが何だっていい。

 中野はそこで、ふと自問した。

 腹を満たすに──足りてたよな?

 そりゃあ、世界最長の男に比べたら赤子同然かもしれない。だけどソイツはむしろ歓迎すべき事実で、勃起時に五十五センチもあったら満腹を通り越して同居人の腹が裂けちまう。だから別に、度肝を抜くようなサイズじゃなくたって──

 ふと、妙に柔らかな同僚の眼差しとぶつかった。

「まだ、朝っぱらから生々しい続き?」



「意外と元気よね、ミナト」

 仕事での外出中、運転席のヒカルが言った。

 表向きは電車移動ってことになっていても、一歩会社を出ようものなら当然の如く押し込められる重装甲仕様の国産SUV車内。

 職場での交通費の申請はどうしたらいいんだろう? 先日そんな疑問を口にしたら「大丈夫」とだけ答えが返ったけど、何がどう大丈夫なんだか未だにさっぱりわからない。

 タフなヘビーウエイトのボディを操る細腕を──実際に頑張ってるのはパワステの機構なわけだけど──リアシートから見るともなく眺めてから、中野は訊き返した。

「意外って何が?」

「Kがいなくなっても、あんまりヘコんでないってこと」

「まさか。十分ヘコんでるよ」

「でも傍から見る限り何ひとつ変わんないし、顔色もいいし、ごはんも普通に食べてるわよね」

 彼女の声を聞きながら、何気なく窓の外の風景に目を遣る。

 透過率の極めて低い、真っ昼間だってのに夕方かと勘違いしかねないガラスの向こうには、川のように流れ続ける車列が見える。ほとんどが白か黒かシルバーで、大抵は社用車かトラックか、もしくはカネ持ちの高級セダンだ。

 中野は運転席に目を戻し、そりゃあさ、と言った。

「見るからにやつれて、目の下に隈なんかできちゃってさ。仕事も手に付かなくてミスを連発したり、メシが喉を通らなくてみるみる痩せ細ったりすれば、彼が鬼退治チームを離脱して帰って来る……とでもいうなら、まぁそうするかもしんないけど」

「してみればいいじゃない」

「無駄だってわかりきってることを?」

「世の中に無駄なことなんてないわよ、ミナト」

「月並みな綺麗ごとで俺を愚行に走らせようと思ってるなら、それこそ無駄だよ」

「何よ、相変わらずの合理主義ね。たまには無駄なことをしてみたっていいじゃない。なんて言うの? 願掛けみたいなものよ。試しにやってみたら、あまりの絶不調に胸を痛めたお空のお星さまがKに想いを届けてくれるかもしれないでしょ?」

「あぁ、誰かが衛星のトランスポンダを介して電波を送ってくれるってこと? それよりも、彼が帰ってきたときに何ひとつ変わらないコンディションで迎えられるように保っておきたいかな、俺的には」

 全くの余談ながら、Kというコードネームの由来はカレじゃなくて本名らしいと教えてやったとき、ヒカルは数秒沈黙したあと小さく鼻を鳴らしてこう言った。

「あぁそう、名前がわかったなんてすごいわね。だけど何なの、その得意げな顔? 私が敗北感に打ちのめされるとでも思ったわけ? 残念ね! だって由来がカレだなんて冗談みたいな仮説、別に私のアイデアじゃないし!」

 誰がどう見たってツンデレ属性にしか見えない面構えで声を荒げる元カノを眺めながら、中野は思った──得意げな顔なんかしてたかな、俺?

 SUVは、二列並んだ右折レーンの右側の最後尾に付けて止まった。

「連絡は取ってんの?」

 ヒカルが言った。

「彼と? いや。電話番号は変わっちゃってるし、向こうから連絡も来ないしね」

「今頃、どっかの国のイケメンと浮気してるかもしんないわね」

「ないよ」

「何その即答? どうして言い切れるの? 十数カ国を経由してロシア入りするって話だし、どのポイントにもミナトのお母さんの協力者がいるみたいじゃない?」

「それが何?」

「だからぁ。そのうちの誰かひとりくらい、Kと一夜の恋に落ちたって別におかしくはないと思わない? だって、こっちにいるときはミナトとセックス三昧だったってのに、急に捌け口がなくなっちゃうわけなんだから」

 三昧と言える頻度だったのかはわからないけど、確かに自分比では「やりまくってた」と表現してもいい。

 だから中野は敢えて口を挟まず、黙って聞いていた。

「そんな身体が疼いて眠れない夜によ? 金髪碧眼の、いえ黒髪でも褐色の肌でも何だっていいわ、とにかく海外産のマッチョなイケメンにムーディで情熱的な迫られ方なんかしたら、ひとたまりもないんじゃないかしら?」

「まるで、バラエティ豊かなメインキャストたちが巻き起こす波瀾万丈な人間模様を描いた海外ドラマ並みのチョロさだよね、それって」

 肩を竦めて中野が答えた途端、元カノは熱っぽい声音で喰いついてきた。

「いいわね。波瀾万丈なヒューマンドラマ」

 どうやら逆効果だったらしい。

「想像してみなさいよ。地中海辺りのどっかの国の、高台の崖っぷちに建つ白亜の隠れ家とかでさぁ……」

 信号待ちの間にヒカルが語りはじめたのは、こんな妄想だった。

 ──だだっ広い寝室とバルコニーを仕切る窓は全面ガラス張り。装飾的なデザインを施された手摺の向こうには、眼下に広がる街並みと地中海を一望できる。

 深夜だというのに開けっ放しの窓辺では、あってもなくても変わらないほど透け透けなレースのカーテンが翻り……

「虫が入ってこない?」

「なんで何かっていうと虫なわけ?」

 元カレの横槍に声を尖らせながらも彼女は続けた。

 エキゾチックな香り漂う室内には、馬鹿デカいベッドが鎮座している。窓辺のカーテンと同じく存在感のない布切れが天蓋から垂れ下がり、取り澄ましたシルクサテン地のシーツの上では、彫刻みたいに顔の濃い黒髪のイケメンとKが組んずほぐれつ──

 右折信号の矢印が灯った。

 前を行く白いメルセデスのセダンに尾いて交差点に進入しながら、ヒカルがこう続けた。

「それにほら、もしかしたら相手はダミアンだなんてこともあり得るかもよ? アイツ、中身はともかく顔だけは彫りの深い、どこぞの人種の外国人モデル並みじゃない。あの顔面で、ちょっともっともらしい愛の言葉でも囁かれてごらんなさいよ。日照り続きで枯渇しきったKの泉があっという間にたーっぷり満たされちゃっても、ぜーんぜん不思議はないわよねぇ。何たって一緒に旅してるわけだし、機会は山ほどあるんだから──ってちょっとミナトあんた何してんの!?」

 シートベルトを解いてドアを開けかける中野の動きに、半ドア警告ブザーと仰天の一喝が被さった。

 と同時に車体が強引に左車線を横切ってけたたましいクラクションを浴び、国産SUVは歩道の境界ブロックに突っ込む勢いで路肩に急停車した。

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